二話:荷物持ち
――大賢者。
その称号を持つ者は世界に三人しかいない。
魔法という奇跡の術を扱う賢者の中で一線を画した力を持つと世界に認められた存在。
そしてその絶大な力で三年前魔王を倒した英雄だ。
そんな大賢者の一人が、ロイド・テルフォードである。
だが――
「――いい加減起きなさいよッ!」
大きな声で叫びながら、アイラは目の前の青年が大賢者であるという事実を忘れそうになりかけていた。
「……んぅ? んぬ――――」
全身を激しく揺さぶられ、耳元で大声を放たれる。
堪らずロイドは目を薄らと開け、アイラの姿を視界におさめる。
「……後、五分。いや、十分だな」
そう言い残し、ロイドは再び目を閉じる。
ロイドのその態度に、アイラはわなわなと肩を震わせる。
窓の外から見える太陽は既に真上に上がっている。
つまり、今はもう昼なのだ。
「そんなに寝ていたいなら、一生寝かせてあげましょうか」
怒気の孕んだ声と共に、アイラの赤髪が靡く。窓を開けていないので部屋に風が入り込んでいるのではない。
彼女が放出している魔力による影響だ。
「うおぅ!? おいバカやめろ! わかった、起きるから! 起きたから!」
傍らで魔力の動きを知覚し、ロイドは跳び起きる。
完全に開かれた彼の瞳には、目の前で魔法を発動しようとしている少女の姿が映った。
「……はぁ、たくっ、人を起こすためだけに魔法を使うなって何度言えばわかるんだ」
「私は別に魔法を使おうなんてしていないわよ。ただすこーし、魔力を放出しただけよ。……それより、今日はお昼から買い物に行く予定だったんだから、早く着替えてご飯を食べに来なさいよっ」
「俺は昨日お前の修行に付き合って疲れてんだよ。もう少しぐらい寝かせろ」
「弟子よりも疲れている師匠ってなんなのよ。ふざけたこと言ってないで早く降りて来なさい!」
寝癖のついたボサボサの黒髪を掻き乱しながら半眼で文句を連ねたロイドに、アイラは呆れながらそう返した。
そうして用件を伝え終え、ロイドを起こすという目的も達したアイラは一足早く彼の部屋を後にする。
「全く、師匠である俺に対してこの態度はなんなのかね……」
やれやれと文句を零しながらロイドはベッドから降りる。
そして欠伸をかみ殺しながらアイラに言われた通り着替える。
その最中、ロイドは三年前のことを思い返していた。
「はぁ、俺に弟子入りしたての頃なんかは、お師匠様、お師匠様ーって言いながら俺の背中を追ってきたもんなのに、どうしてこうなったんだか」
服を着て、手近なところにかけてあった黒いローブを羽織る。
それから枕元に置いてある木製の杖を手に取り、部屋を出ようとしたところでロイドは苦笑した。
「……いや、どうしても何もねえな。こんな師匠を敬う弟子なんている方が不思議だ」
ロイドはローブの胸元で金色に輝く勲章――大賢者の証に手を添えてため息を吐く。
そうしていると一階から「ロイドー!」と自分を呼ぶアイラの声が聞こえて、ロイドは慌てて部屋を出た。
◆ ◆
「お前ってホント、料理だけは上手いよな」
自室のある二階から食堂がある一階へ降りてきたロイドは、そこにあるテーブルに並べられた料理を頬張りながら対面に座るアイラを称賛する。
「だけは余計よっ。だいたい、ロイドが何もしないから私が仕方なく家事をやってあげてるんでしょうが」
「うんうん、師匠の身の回りの世話をするのも弟子の大切な仕事だよな」
「明日からロイドのご飯ないから」
「すいません調子に乗りました!」
食事抜きの事態を避けるべく、ロイドは頭を下げる。
師匠としての威厳も何もあったもんじゃない。
「まぁでもほら、お前ももう十七だろ? そのうちどこかの男に嫁ぐかもしれないんだ。家事とか、そういうのが出来た方が貰い手も多いだろ?」
パンをちぎり、自家製(アイラ作)のジャムをつけて口元に運びながら、ロイドはさもアイラに家事を一任している自分に非はないとでも言いたげにそう口にする。
彼のその言葉を聞いたアイラはムッとした表情でスプーンを静かに皿の上に置き、ロイドを真っ直ぐ見つめる。
「ロイドだってもう二十二なのに結婚とかそういう話、まったくないじゃない」
「俺はいいんだよ、アイラがいるからな」
「んなっ――」
事もなげに言い放ったロイドの言葉に、アイラは表情を固まらせる。
その顔には幾ばくかの羞恥が見え、彼女はそれを隠すかのように慌てて言葉を紡ぐ。
「そ、それなら私がもし結婚してこの家からいなくなったら、ご飯とかどうするのよ!」
「……確かに、それは困る。うん、大いに困る。魔法のこと以外、俺は何も出来ないからな。ま、せいぜいアイラに愛想吐かされないように励むとするよ」
神妙な面持ちでそう言ったロイドに、アイラは一瞬戸惑ってからすぐに誇らしげに胸を張った。
「もう、仕方ないわねっ。ロイドは私がいないと何も出来ないんだから! それがわかっているならロイドも私に師匠として良いところを見せなさいよ」
「へいへい、善処するよ」
肩を竦めながらのロイドの返事に、アイラは嬉しそうに笑みを浮かべてスプーンを手に取る。
そんな彼女をロイドは苦笑しながら見つめた。
◆ ◆
ロイドたちが暮らすグランデ村は、人々の生存圏であるオルレアン大陸西部に位置するアイデル王国北方にある小さな村だ。
近くには世界で有数の広さを誇るグランデ大森林があり、稀にそこから魔獣が侵攻してくることもあり、グランデ村は簡素な木の柵で囲まれている。
ロイドたちの家はそんな辺境の村の片隅に存在する。
二階建ての取り立てて評する所がない普通の一軒家だ。
この家に人類の英雄である大賢者、ロイド・テルフォードが住んでいると言われて信じることが出来る人はいないだろう。
家を出たロイドとアイラの二人は、村の東門近くに向かっていた。
各方位に四つある門の内、東門はよく行商人が訪れる場所で、自然にそこが商店街の様な場所となっていた。
「じゃあ俺はこの辺りで待っとくから、適当に買い物を済ませてきてくれ」
商店街に辿り着き、ロイドは足を止めてアイラを送りだそうとする。
が、振り返ったアイラは頭の上に疑問符を浮かべ、不思議そうに言葉を放つ。
「何言ってるの。ロイドがいなかったら誰が荷物を持つのよ」
「いやお前が持てよ。その腕は飾りか」
「女の子に重たい荷物を持たせるつもり?」
「それを言うなら師匠に荷物持ちをやらせる弟子はなんなんだよ!」
「ほら、もう我儘言わないの! 普段は家事を私に任せてるんだから、荷物ぐらい持ってくれても罰は当たらないわよ」
「なんで俺が悪いみたいな感じになってんだよ……」
ぶつくさと文句を垂れながら、ロイドは渋々アイラについていく。
すると、ロイドたちの姿を見た村人たちが声をかけてくる。
「お、ロイド様にアイラちゃん。うちの野菜はどうだい? 採れたてで美味いよ~」
「ロイド様は相変わらずアイラちゃんの尻に敷かれてるね~」
村人たちの声に応じながら、アイラは買い物を済ませていく。
数分後には、ロイドの持つ荷物はかなりの量になっていた。
「おもてぇ……」
消え入りそうな声で呟くロイド。
死にそうな表情のロイドとは正反対に、アイラは達成感で満ちた表情を浮かべていた。
「これでしばらくは買い出しに行く必要がなくなったわね! 色々と足りなくなってたものも買えてよかったわ」
「今からこれを持って帰らないといけない俺の身にもなってくれ……」
「おっと、今日は荷物持ちかい? 大賢者様」
「デルタさん!」
うな垂れるロイドに声をかけてきたのはグランデ村で暮らす村民の一人。
顎から白い髭を生やした初老の男性の声かけに、アイラはパッと笑顔を浮かべて応じる。
が、すぐにアイラは膨れっ面でロイドを指差した。
「こんな人を大賢者様なんて呼ぶ必要なんてないわ」
「おっと相変わらずだね、アイラちゃんは」
「事実を言っているまでよ」
「おいこら、もうちょっとは師を敬いやがれ」
アイラの額を人差し指で小突きながら、ロイドは顔を引くつかせる。
二人のこの関係性は最早グランデ村に住む人たちからすればいつものことで、デルタもまたどこか楽しそうに苦笑しながらその様子を見る。
そしていつもと同じ言葉を発する。
「いやいや、アイラちゃん、そういうわけにはいかないよ。ロイド様がいなけりゃ今私が生きているかどうかもわからないんだからね。今どんな暮らしを送っているとしても、彼がかつて魔王を倒した大賢者の一人であることに違いはないんだから」
デルタの言葉に、アイラは「それはそうだけど……」と不満げに呟く。
「おいおい、その言い方だとまるで俺が今自堕落な生活を送っているように聞こえるんだが」
「まるでじゃなくて事実でしょ! ……全く、他の大賢者様たちは今も残った魔人を討伐する日々を送っているのに。なんでロイドに弟子入りしたんだろ」
自分の過去の選択を悔やむかのように、アイラはあからさまに肩を落とした。
世界を変革する神秘の力を操る賢者。
その賢者全ての上に立つことを意味し、一国の王ですら頭を下げるような存在――それが大賢者だ。
デルタが語った通り、ロイド・テルフォードは三年前、人類の脅威である魔族の王――魔王を討ち滅ぼした大賢者の一人だ。
その功績は計り知れず、彼等を敬わない者はいない。
だが、ロイドは現在存在する三人の大賢者の中で一番慕われず、敬われていない英雄だ。
――何故か。それは残る二人の大賢者とは違って、ロイドは魔王を倒してからというもの未だ世界の至る所で猛威を振るう魔族の討伐を行っていないからだ。
「アイラちゃん、それは言い過ぎだよ。ロイド様の下で魔法を学べることは凄いことなんだよ?」
「そうだぞー」
「ロイド、ちょっと黙ってて」
デルタに同調して茶化してくるロイドをアイラは睨み返す。
しかし、デルタの言ったことは事実だ。
少なくとも賢者を志す者ならば、曲がりなりにも大賢者であるロイドの下で学べるということは幸せなことだ。
彼の魔法の腕が並外れたものであることは、それこそ世界が保証している。
それに、口では不満を漏らしているものの、それが本心という訳ではない。
確かに普段はどうしようもない怠け者ではあるが、自分に魔法を教える時のロイドはやはり大賢者の一人なのだと思わせる技量がある。
だが、それをアイラは決して口にしない。
口にすれば、調子に乗らせてしまうから。
アイラは欠伸をかみ殺すだらしのない師匠の姿を見て、小さくため息をついた。