十九話:魔人
「無事か、アイラ!」
階段を駆け下り、キッチン近くにアイラの姿を認めてロイドは安否を確認する。
爆音に驚いたのか、アイラは床にぺたりと座り込んでいた。
ロイドの声にアイラは小さく頷き、不安げに瞳を揺らす。
「ロイド、今のは……?」
「詳しくは何もわからん。だが、よくないことが起きているのは間違いない。少し様子を見に行くが――」
そこまで口にして、ロイドはアイラを家に残していくべきかどうか逡巡する。
普通なら、危険な場所にわざわざ連れていくよりも家に残した方がいい。
だがもし自分の目の届かないところでアイラに危険が迫っていたら、そちらに対処できる自信がない。
結局のところ自分のすぐそばが一番守りやすい。
「よし、ついてこいアイラ。俺のそばから離れるなよ」
「わ、わかったわ」
ロイドの指示に、アイラは表情を強張らせる。
彼女も理解しているのだ。
ロイドが自分のそばから離れないように指示したことの意味を。
爆音が続く中二人は家を飛び出し、先ほど家屋から煙がでていた方向へと向かう。
そして、愕然とした。
たった数分前、窓の外から見た村はたった一軒の家屋からしか煙が出ていなかった。
だが今はどうだ。
周囲の家屋のほとんどが全壊し、瓦礫ばかりが周囲に転がっている。
「——ッ!」
崩れ落ちる瓦礫の下敷きになりかけていた村人の姿を視界にとらえて、ロイドはすぐさまそちらへ杖を突きだす。
地面に蹲っていた村人の頭上に白く光る魔法陣が浮かび上がり、それが瓦礫を弾く。
死を覚悟して目を瞑っていた村人は、いつまでたっても訪れない痛みを疑問に思い顔を上げた。
「怪我はないな?」
「ロ、ロイド様!」
地獄の中に救いを見つけたかのような表情で村人はロイドを呼ぶ。
ロイドは周囲に今のように瓦礫などによって死の危機に瀕している者がいないか確認しながら村人に問いかける。
「一体何が起こっている」
「そ、それが私にも何がなんだか……、突然自警団の連中が暴れ始めて」
「自警団の連中?」
反芻したロイドに、村人は前方を指さした。
そこには――——魔人がいた。
正確には、魔人となってしまった村人の姿だ。
確認できる魔人の数は五体。その誰もが今村人が言ったように自警団に所属している。
ロイドもよく知る顔だ。
魔法を半人前ながら扱える彼らは、時々ロイドの下を訪れ魔法に関することを聞いていた。
一体なぜ、と思うよりも先に今どうするべきかが思考を巡る。
どうやらこの事態を引き起こしたのはあの五人の元村人、現魔人だ。
なら――
「アイラ、自警団の連中は俺がなんとかする。その間にお前は皆を安全なところに避難、あと瓦礫に下敷きになっている者がいないかも確認しろ。……できるな?」
「————————」
ロイドの指示に、アイラはすぐに頷けなかった。
アイラにも、自警団の面々が魔人と化していることは理解できる。
魔人といえば自分の住んでいた村を単騎で壊滅させたような存在だ。
それを五体も。いくらロイドといえどただではすまされないのではないか。
そしてその疑念以上に、アイラの胸中には以前の出来事が蘇る。
すなわち子供たちを助けに森に入ったとき。
あの時、アイラは自分の無力さを改めて痛感した。
そんな自分にたった一人でこの村に住む人たちを助ける自信がない。
「——ッ」
言葉を詰まらせるアイラの両肩をロイドは力強く掴んだ。
「お前はなんのために賢者を目指してるんだ! こういう時のためだろ。大丈夫だ、お前ならやれる!」
「……わかった、ロイドも気を付けてね」
「ばーか、俺を誰だと思ってる。俺を気遣うのはまだ百年はえーよ」
アイラの額を小突きながらロイドは冗談めいた調子で言ってのける。
その自信に満ちた言動にアイラは思わず笑みを浮かべた。
彼女のその顔を見て、ロイドは視線を五体の魔人が現れるほうへと向ける。
ただ破壊だけを目的として、周囲を無差別に蹂躙している。
魔人に堕ち、理性を破壊された存在特有の行動だ。
だが正式には、彼らは魔人ではない。
今の彼らは、まだ魔獣だ。
魔人とは、正確には理性を持った魔獣。
瘴素によって破壊されながらも、それでも理性を取り戻し、得た力を最大限に活用する存在。
例えば、魔王はその最たるものだった。
だから、たとえ五体いるとしてもロイドなら問題なく対処できる。
五体の魔人へ近づいたロイドは周りを確認する。
万が一にもこれから起こる戦闘で負傷者を出すわけにはいかない。
魔人はロイドの姿を捉えて唐突に破壊行動をやめた。
獣のようなうめき声をあげながらロイドを睨みつける。
その全身からは瘴素が放たれている。
「いいぞ、俺を見ろ。間違っても浮気なんかするんじゃねえぞ」
煽るように言いながら、ロイドは杖の先端で地面をコンッとつく。
瞬間、ロイドを中心に白い光の粒子が球状に広がり、五人の魔人との闘技場が完成する。
突然自分たちを閉じ込めるように展開された光の粒子を突破しようと一人の魔人が突っ込んでいく。
だが、バチィと何かが反発しあうように魔人は弾かれた。
文字通り、魔人はこの空間に閉じ込められたのだ。
「安心しろ、俺を倒したらこの結界は解かれる。……俺を倒せたら、な」
「グォァアアッ!」
ロイドの挑発は恐らく理解できてなどいないだろう。
だがどうあれ、破壊という衝動が己の大半を占める魔人にとっては関係ない。
立ちはだかる敵がいるのなら、いや、たちはだからなくても認識できる範囲に存在するのならば破壊する。
破壊という衝動が高まるのに比例して、魔人が纏う瘴素が膨れ上がり、大気を蹂躙していく。
それに負けじと、ロイドも魔力を放出した。
この場で魔人五体を殲滅することなど用意だ。
だが、いくら魔人になってしまったとはいえ、元はこの村の自警団の人間たちだ。
そんな彼らを殺めることなど、ロイドはしたくない。
——もう二度とそんなことはしないと、心に誓ったのだ。
そうするための策はある。
だてにこの三年間引きこもっていたわけではない。
要するにこの場でロイドがとるべき行動は魔人の殲滅ではなく拘束だ。
だがそれはただ単純に力押しで押し通すよりも難しいことだ。
殺さない程度に手加減しなければならないのだから。
「——!」
五体の魔人が地を蹴り、一気に距離を詰めてくる。
ロイドは自身の前面に《防護》を展開し、直線での特攻を防ぐ。
即座に側面に回り込もうとする魔人たち。
だが、ロイドの魔法の展開速度はそれに勝る。
地面に手をつき、魔力を通す。
すると地面から土の縄が幾本も現れ、拘束せんと魔人たちの体を締め上げる。
しかし、その程度では瘴素によって強化された魔人を捕まえることなどできない。
「グァアアッ」
瘴素の入り混じった黒い息を吐きながら、魔人は全身の筋肉に力を籠める。
直後、土の縄は破裂するように弾け飛び、ただの土となって地面へと還った。
(さすがに無理か……)
魔力を籠めたことでイメージ通りに変質した土の縄。
だがその魔力は、魔人の放つ瘴素によって破壊され、土の縄はただの土と化した。
この程度は予想の範疇だ。むしろ、この程度で捕まえられるなら今頃魔族など殲滅されているだろう。
「ッ!」
ただの特攻では倒せないと悟ったのか、魔人は突然魔法を放ってきた。
黒炎が数十個、ロイドに迫る。
「——消え去れ」
ロイドがそう呟いた瞬間、黒炎はひとつ残らず弾け飛んだ。
「ウガァアアアアアアッ!」
どのようにして自分たちの魔法を消し去ったのか。
それを理解できなかったのか、あるいは目の前の敵を中々破壊できないことへの苛立ちか。
魔人たちは憎しみに満ちた咆哮を上げる。
「お前たちがなぜ魔人になってしまったのか、それは後で調べることにするよ。……とりあえず、眠ってもらおうか」
いつの間にかフワリと空に浮かび、黒いローブを風で靡かせながらロイドは呟く。
そして、杖の先を地面へと向けた。
「——《重力》」
光の粒子によって隔たれた空間。
その内側の地面いっぱいに一つの巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「グァゴァアアアア――ッ!」
「グォオオオオッ!!」
「ァァアアアアア……ッ」
魔法陣が強く光ると同時に魔人たちは地面に押しつぶされた。
口々に咆哮を上げる。
魔法陣の光はさらに増していき、それに比例して魔人たちはさらに地面にめり込んでいく。
そしてその衝撃で地面が割れる。
とうとう魔人の体がその力に耐えられず、崩壊を始める。
いくら瘴素を纏っているとはいえ内側から攻撃されてはひとたまりもない。
——やがて、魔人は一人残らず意識を失った。
「ふぅ……、こんなもんか」
それを確認して、ロイドはふわりと地面に降り立つ。
巨大なクレーターができてしまった。
そしてそのクレーターに魔人たちは倒れている。
ロイドはすぐさま地面に魔力を通し、土の縄を生成、気休めでしかないが魔人たちの体を何重にも縛り上げる。
「これで、終わりか……」
魔人五体を拘束という偉業をなしたにも関わらず、ロイドはそのことを特別視する様子はない。
それよりも問題は、なぜ世界樹にほど近いこの場所で、彼らが魔人化したのかということだ。
そしてそれ以上に、彼らを魔人から普通の人間へ戻す必要がある。
ロイドにとっては魔人の相手をすることよりもこちらの方が重要であり、不安でもある。
もし治療がうまくいかなければ、この五人を殺す必要がある。
「頼むから、うまくいってくれ……」
そう願いながら、ロイドは魔人たちを風の魔法で移動し始めた。