十三話:二人目の大賢者
グランデ村での騒動から暫く経ち、村内は落ち着きを取り戻した。
エイブたちも最近になってまた村の外に遊びに行くことを許されたらしい。
だが当然、出かける際は何時まで何処へ行くのかというのをしつこく聞かれているみたいだが。
その一方で、魔獣や魔竜を倒したロイドの活躍はエイブたちによって村内で英雄譚のように語られ、それが行商人の口を渡って国内外に流布されてもいた。
そんなことになっているとは露ほども知らないロイドは、自宅の地下室――工房にて難しい顔で紙にペンを走らせていた。
「……これだと厳しいか。いや、理論的にはこのままでも……」
賢者とは、何も魔法を振るうことだけを生業にしているわけではない。
魔法を扱う以前に、それを学び、深め、生み出すことこそが賢者の本分でもある。
ロイドは今まさに、魔法に関する研究を行っている。
魔王を討伐して以来この辺境の地で暮らし始めてから、ロイドは強力な魔法を使うことが少なくなった。
弟子であるアイラの育成に注力してきたロイドだが、しかしその傍ら、賢者として智慧を磨いてもいたのだ。
基本的にアイラは工房に勝手に入ることを許されている。だがこうして机の前に座り、魔法の研究をしている時だけは入ってはいけないとロイドは厳命している。
魔法の研究には相当な執念と時間、そして集中が必要であることはアイラにも理解している。
だからその指示を破ったことはない。
今も彼女は家の庭で一人、周囲に影響を及ぼさない程度の魔法の修行をしているところだ。
「……ふぅ、今日はこのぐらいにしとくか」
大きく息を吐き出し、ロイドはペンを紙の上に置いて目頭を押さえた。
イスの背もたれにもたれかかり、脱力する。
そうしながら暫くの間呆然と天井から吊り下げられたランプを眺めていた。
すると、突然一階からアイラが自分を呼ぶ声で薄れかけていた意識が一気に現実に引き戻された。
「ロイド、戻ってきて! お客様よ!」
「んん……?」
気だるげに視線をドアの方へと向けながらゆっくりと立ち上がる。
そして階段を上がり、一階へ行くと玄関に立っていたアイラが助けを求めるようにロイドに視線を向けてきた。
「どうした、アイラ。いつもの連中ならもう適当に追い返しても――」
「違うわよ! えっと、その……」
どう言えばいいのか困り果てているアイラ。
そんな彼女の後ろ、家の外からその女性は顔を覗かせながら声を発した。
「――久しぶりー、ロイド! 元気にしてた?」
満面の笑みを浮かべながらロイドに向けて手を振り、再会の挨拶を口にする女性。
彼女が羽織る黒いローブの胸元には、ロイドがつけているものと同じ金色に輝く勲章――大賢者の証がつけられていた。
「レティ……!」
彼女の姿を視認すると同時に、ロイドは目を見開いて目の前の女性の愛称を口にした。
と同時に、アイラが焦って自分を呼び戻した理由を理解した。
レティと呼ばれた女性は腰ほどまでの亜麻色の髪を靡かせながら、その碧眼をロイドに向けている。
そう、彼女こそが三年前ロイドと共に魔王を討伐した大賢者の一人――レティーシャ・メイシーだ。
◆ ◆
「――で、どうしたんだよ。今まで何のやり取りもしてなかったってのに急に家にまで押しかけてきて」
「えへへ、びっくりした?」
「当たり前だろ」
おどけた笑みを浮かべながら悪戯が成功したことに無邪気に喜ぶ幼馴染に、ロイドは呆れ交じりのため息を送る。
場所は応接間。二人はソファに腰掛けている。
アイラはその様子をドアの近くで黙って見つめていた。
「少し仕事でこの国に来たからね。途中でロイドがこの村で暮らしているっていう話を聞いて、寄っただけだよ」
「話?」
「そう、噂話。聞いたよ、随分と派手にやってるんだってね。なんでも、魔竜を倒したって」
「……さてはガキども、言いふらしやがったな」
「大賢者としての使命を果たした。そういう噂が流れるのはロイドにとっていいことだと思うよ?」
魔王を倒してから三年間も戦わず辺境で隠れるように暮らしているロイドに対する世間の評価は厳しいものだ。
落ちこぼれ、臆病者、大賢者の恥。
それが少しでも改善されるのなら、いいことだろうとレティーシャは指摘する。
だがその考えを、ロイドは鼻で笑い返す。
「元より、大賢者としての使命なんてないだろ。この称号は与えられたもので、望んだものじゃない」
「だとしても、私たちが大賢者であることは変わらないよ。……ねぇ、ロイド。あなたはどうして戦うことをやめたの?」
「…………」
レティーシャの問いに、ロイドは口を閉ざす。
そして少しの沈黙の後、大きく息を吐き出した。
「そんなことは、今はもうどうだっていいだろ。少なくとも俺の戦いはあの日に終わったんだよ。――それより」
神妙な面持ちから一転、ロイドは話題を変えるべく少し明るい表情を浮かべる。
「さっき仕事って言ってたが、何しに来たんだ。こんな辺境の国、それこそ世界樹ぐらいしかないだろう?」
「……うん」
ロイドの強引な話題転換に不満を抱きながらも、レティーシャはその流れに従うことに決めた。
「その世界樹に用があって来たんだよ」
「世界樹に? 一体何のために」
魔法を扱う賢者が療養のために世界樹の近くを訪れるのはよくあることだ。
体内を魔力が循環する賢者にとって、魔素が大気に多く漂う環境にいるだけで少なくとも摩耗した気力は回復する。心が軽くなるのだ。
だがレティーシャは仕事でと言った。
療養の可能性は低いだろう。
「それはさすがのロイドにも言えないなぁ。極秘の話だから。……まあ、ロイドが私について来るって言ってくれるなら話は別だけどね」
「なら聞かなくていいさ。別段興味があるわけではないからな」
「だろうね」
ロイドの返答がわかっていたと、レティーシャは苦笑した。
「それで? 今日はこのまま泊まっていくのか」
窓の外を見ると既に陽が沈みかけている。
このまま世界樹に行けば着くころには夜になっているだろう。
「そうだね、お邪魔でなければ御厄介になろうかな」
「邪魔だがかまわねえよ」
「ありがとう。……あ、工房も貸してくれると嬉しいなっ」
「魔力水を作るのか?」
「うん。ここに来るまでに手持ちを使っちゃったから補充をね」
レティーシャが肯定すると、ロイドは肩を竦める。
「世界樹の袂に行くなら、魔力水なんていらないんじゃないのか?」
「ま、何が起こるか分からないからね。念には念をだよ」
「そういうところは相変わらずだな。いいぞ、好きに使ってくれ」
レティーシャは以前からこういう性格だ。
魔王討伐の為にディアクトロ大陸に足を踏み入れた時も、彼女のこの慎重さで命の危機を脱したこともある。
そのことを懐かしく思い、ロイドは苦笑しながらレティーシャの申し出を受け入れた。