十二話:魔竜討伐(下)
「なに……?」
背後でアイラが困惑の声をあげたのがわかる。
だがロイドは振り返ることなく魔竜を睨みつけ続けた。
「これを使うのは疲れるが、早々に蹴りをつければいいだろう」
杖を魔竜に向けて突き出し、右手に左手を重ねる。
杖にうねるようにして巻き付く白い光――魔力とは正反対に、ロイドの左手からは黒い光が漏れだしていた。
その光景に、魔竜は一瞬気圧される。
だがすぐに敵を消し去るために口中に瘴素を集める。
「これが効かなかったらいよいよもって大規模魔法を使うしかないが、理論上は大丈夫だろう」
言いながら、杖の先端に白く光る魔方陣を現出させる。
そしてその魔法陣の周囲を左手に纏わりついていた黒い光が覆った。
「――《風刃》」
放たれたのは不可視の刃――のはずだ。
だが魔法陣から放たれた魔法には、刃の形状をした不可視の何かに黒い光が纏わりついている。
見えないはずの魔法が、見えている。
真っ直ぐと魔竜に向かって飛翔すると、風の刃は魔竜の体躯にぶつかる。
この程度の威力の魔法ならば先ほどの《神雷》のように魔竜が纏う瘴素によって弾かれるはずだ。
しかし、今目の前で起きた光景は違った。
風の刃に纏わりついていた黒い光が魔竜が纏う瘴素と共に弾け飛び、がら空きとなった巨躯へ風の刃が食い込む。
血しぶきを立てながら魔竜は「グォォオオオッ」と大気を震わす咆哮を上げた。
それを見て、ロイドはニヤリと笑う。
「俺の見立て通り、これには弱いんだな。なら――」
ロイドが杖をかざすと魔竜の頭上に魔法陣が現れ、回転を始める。
先ほど魔獣を掃討するときに使った魔法だ。
加速に加速を重ねた魔法陣から数百の土の槍が放たれる。
先ほどと違うのはどの槍にも黒い光が纏わりついているということだ。
魔竜はその図体の大きさゆえに避けることが叶わず、放たれた土の槍のおよそ七割以上が魔竜の体躯を貫いた。
苦しそうに叫び声を上げる魔竜。
それでも空に逃げようとしないのは、逃げるという理性を瘴素によって破壊されているからだ。
魔獣化した竜ならば、その影響はより強く出る。
ボロボロの翼を大きく広げ、魔竜は最期の抵抗とでも言いたげに見に纏う瘴素を増大させていく。
そしてそれを翼近くに集約し、小さな黒いビームを幾本もロイドに向けて放った。
「たくっ、魔獣化してからどれだけ時間が経ってんだ。瘴素の扱いに慣れ過ぎだろ」
呆れ気味にそう呟きながら、ロイドは《防護》を行使する。
これもやはり、魔法陣に黒い光が見える。
自分たちに危害が及ぶ範囲の攻撃だけを防ぎ切ったロイドは、止めを刺すべく魔力を更に放出する。
そこでようやく、死を悟った魔竜に生存本能が呼び戻された。
すぐに翼を広げ、空に羽ばたこうとする。
だがその両翼は既に穴だらけ。とてもではないが飛べる体ではない。
それに――もう遅い。
「――《神雷》ッ」
魔竜に対して行使した最初の魔法。
空から黒い稲妻が降り注ぎ、魔竜の全身を焼き尽くす。
そうして、魔竜は悲鳴のような咆哮と共に灰となって消え去った。
「これで、本当に全て終わったな」
魔竜という下手をすれば国の存亡にも関わってくる脅威を倒したにもかかわらず、ロイドは事もなげにそう呟いた。
「……ん? どうした、変な顔しやがって」
振り返った先にいるアイラの表情を見て、ロイドは思わず吹き出す。
ぽかーんと、口を半開きにして呆然としていたのだ。
ロイドの言葉でハッとしながら、アイラはすぐさま立ち上がって詰め寄る。
そして、魔竜を倒したことへの称賛よりなによりも先に、一つの問いを投げた。
「今の、なんなの!」
「ん、なんのことだ?」
「惚けないで! 魔竜を倒すときに使っていた黒い光のことよ! あんな魔法があるなんて、私今まで一度も聞いたことがないわよっ」
「そりゃあ教えてないからな。――っと、だからって教えねえぞ」
「どうしてよ!」
魔竜さえも打倒する力。それは欲しい。すごく欲しい。
彼女のその考えを読んだかのように告げたロイドの言葉に、アイラは噛みつく。
すると珍しく少し困ったような表情を浮かべながら、
「あれは賢者の秘術みたいなもんだ。それこそまだ見習いでしかないお前に教えるもんじゃない。前も言ったが、物事には順序ってものがあんだよ、順序ってものが」
「じゃ、じゃあいつになったら教えてくれるの?」
「……そうだな、俺がお前を一人前の賢者と認めた時だな。その時に教えてやるよ」
「! 約束したからねっ!」
言質を取り、アイラの表情は瞬時に明るくなる。
現金な弟子の姿にロイドは苦笑しながら、
「元気なことは結構だが、今はそんなこと後だ後。先にやることがあるだろ。ガキどもの親も心配してるだろうしな」
「――ッ、そ、そうだった……」
つい目の前のことに夢中になっていた自分を恥じながら、アイラはすぐさま子供たちの下へ駆け寄る。
あれだけの戦いがあったというのに未だ熟睡していた。
「帰るか」
眠る三人を見て苦笑交じりに呟かれたその言葉に、アイラは大きく頷いた。
◆ ◆
結局グランデ村に着いた時には朝日が遠くの山からその顔を覗かせていた。
眠ったままの三人をそれぞれの家族の元へ届けてロイドたちは自分たちの家へと帰って来た。
「起きたら相当怒られてるだろうな、ガキども」
リビングのソファに座り、アイラの淹れた紅茶を飲みながらロイドは愉快そうに笑う。
「笑い事じゃないわよ。でも、当分の間は外出禁止かも知れないわね」
親の気持ちを考えるとそうなるだろう。
三人が外で元気に遊ぶのを見るのが好きだったアイラにとっては残念だが、仕方がない。
暫くは自らの軽率な行動を猛省すべきだろう。
もっとも、森で合流したときの彼らの表情や態度を見たアイラは、十分に反省しているはずだと思った。
アイラもロイドの横に腰掛け、紅茶を飲む。
すぐ横に座る師の姿を見ると、どうしても森の中で魔獣や魔竜と戦っていた彼の姿が脳裏をよぎる。
あの圧倒的な力は、三年前のあの日から何も変わっていなかった。
ロイドに命を救ってもらったあの日から。
そして変わっていないのは自分も同じだと、アイラは思う。
勿論、悪い意味でだ。
結局三人を助けたのはロイドで、自分は何も出来なかった。
その無力さは、やはり三年前のあの日と何も変わらない。
「……やっぱり、私は賢者に向いていないのかもしれないわね」
ボソリと、そんなことを呟いてしまった。
「なんだ? 急にどうした」
「だって、結局私もあの三人同様ロイドに助けられただけじゃない。そんな私が賢者を目指すなんて、間違ってるのかなって」
「――――」
いつになく落ち込んでいる弟子の姿に、ロイドはすぐには返事をしなかった。
暫くアイラを見つめ、それから視線を天井へ移す。
「……無力な人を助けられる存在にになりたい、だったか?」
「……うん」
ロイドが口にした台詞。
忘れもしない。それはアイラが、ロイドに弟子入りを志願したときに口にした言葉だ。
「なら賢者になることをこのまま目指していいんじゃないか。少なくとも、お前が目指す賢者に、今日はなれたんだからよ」
「え?」
「お前は最後の最後までガキどもを見捨てなかった。賢者としての素質なんて、それで十分じゃねえか。細かいことをグダグダ考えるのはお前らしくないぞ。それにな――」
そこで一度言葉を区切り、ロイドはどこか懐かしむような眼差しで話を続ける。
「弟子は師匠に助けられるもんなんだよ。俺だって魔法を学びたての頃はよく師匠に助けてもらったもんだ」
「ロイドも?」
「ああ。ま、当時は俺も素直じゃなかったからな。よくケンカもしてたよ」
「素直じゃないのは今もじゃない」
「おいこら、今いい話してるところだろうが」
アイラの突っ込みにロイドは噛みつく。
それがなんだか可笑しくて、アイラは思わず笑った。
「……ありがとう、ロイド。なんだか元気が出たわ」
それは、嘘偽りないアイラの心からの感謝だった。
ロイドは一瞬虚を突かれたような表情をし、それから小さく「ああ」と頷いた。
やはり、なんだかんだ言ってロイド・テルフォードは良い師匠だ。
やるときはやるし、弟子である自分にも真摯に向かい合ってくれる。
アイラは心の中でロイドにもう一度感謝した。
「しっかしまあ、あれだな。ロイド、ロイドぉ……って呟きながら泣き出したお前は中々可愛げがあったぞ。いつもそれならいいのにな」
「――――」
アイラの表情が一気に引き攣る。
対してロイドはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
「その後も俺の指示に素直に従って……いや、いつものお前からは全然想像できな――」
「いいから黙れぇ……!!!!」
やっぱり最低最悪な師匠だ。
アイラは顔を真っ赤にしながら手近にあったクッションをロイドの顔目がけて投げつけた。