ワンデスパーウィーク
結末を知っている物語を、何度も読むのはおかしいだろうか。
ある日を境にして、彼は同じ日々を繰り返していた。やや秋深まる10月中頃のある一週間、日曜日を起点とした期間。彼は少なくとも土曜日までに、自ら試みない限り死ぬことはない。ただし土曜日の深夜に確実に命を失う。
死因は様々であった。新種のウイルス性感染症による出血性ショック死、何故か持ち込まれた黒死病、突然の心臓麻痺、デスゲームに巻き込まれ爆死、雷雨に田んぼを見に行って落雷に撃たれ感電死。人体実験の被験者になったり悪魔召喚の贄になったり、旅行先で探偵に出くわしたりと。
その回数が十桁になり始めたあたりに、彼は状況に対してもがくことを辞めた。
日曜日の朝目覚めた時、大抵彼はこう呟く。
「次の死因は何を試してみようかなぁ……」
海の男達が曜日感覚を忘れないよう、金曜日にカレーを食べる習慣がある。遡行に巻き込まれた少年、七見巡にとっての日曜日の朝食はそれに近かった。妹が面倒臭がって手間を掛けずに食べるコーンフレークと、ヨーグルトに野菜ジュースを混ぜ込んだ飲み物とも食べ物ともつかない何か。噛む回数が少ないので助かるとは妹である肇の談。
「肇、メシは美味しいもの食べないと楽しくなかろうよ」
巡にとっては何回も言ってきた言葉だが、こうでもしないと適当な話題を振れない。
「食事は単なる栄養補給の手段でしょ」
『昨日』の巡なら頷いていた。昨日とは最低でも七十億日ほど前の事を指す。その為、それ以前の物事については殆ど記憶がハッキリとしていない。
「だけど『一度きりの人生』だぞ。美味しいもの食べて楽しまなきゃ」
巡はそう言いつつ、テレビリモコンを手に取り電源を付ける。
「今日の兄貴は妙に哲学的ね」
「そうかい」
この会話も、何度となく繰り返していた。巡にとっては起点であるため、必然的に繰り返し回数が多くなるというのもあるが妹の肇に関して色々なことを知ってきた。勿論、お互いが話す会話内容も、正直な所、巡が知りたくはなかった一面も含めほぼ全て。妹に助けられたり殺されたりといった事も有ったが、総合的に見て大切で良い妹だと巡は思っている。
いつもと代わり映えしないテレビの内容。多分インターネット上のニュースも、掲示板の書き込みでさえも巡にとっては代わり映えしない。
そうして、これから数秒ほど後に起こる出来事も。
家のチャイムが鳴る。
「俺が行く」
話は早いに越したことはない、と思いつつ巡は椅子から立ち上がり玄関へと向かう。
これまでの傾向からして、高確率で玄関に居るのは彼女だと既に頭で予測はしている。
予測はドアを開けた瞬間、確信へと変わる。それは確信を得た喜びとは程遠く、やはりそうだったかという諦めに近い境地。妹の肇にとっての友人、黒井瞳。朝早くから来たというのにどの時間帯から着替えたのか分からないほど手の込んだゴシックロリィタ風のモノクロトーンファッション。巡が確認をしたかったのはその服ではない。彼女の瞳の色。『昨日』以前も出会った時は黒色をしていた一般的日本人の瞳だったが、今の彼女のそれは動脈血で無地の布を染めたかのような鮮やかな赤色をしていた。
「あ、あのっ」
「肇に用だろ、上がりなよ」
拍子抜けしたかのような黒井の表情。彼女はその瞳の色を恐れ、肇に相談しに来ていた。この一週間で彼女の瞳の色は一般的な光の波長の順番に色が変わってゆき、やがて白色となりそれがキッカケで世界が滅びる。そういう世界も巡は体験してきた。今の黒井に必要なのは、肇に相談する時間だろうと考え特に言葉をかけていない。そもそも、その必要は無かった。
「俺は部屋に戻っておく」
そう言い残し、肇と黒井とで二人だけの時間を設けておく。今のところ、それが巡にとっての最適解だった。自室に上がる階段を登りつつ、巡はある考えを抱いていた。
一度事態を整理したいなと。
デスクトップパソコンに、ポケットから取り出したSDカードを挿入する。今までの世界で過ごしてきた経験で、引き継ぐものは記憶の他に彼が手にしていたもの。持ち運びが容易い電子データを今は持ち帰っている。表計算ソフトをデータ移送し、起動する。
しばらくの起動時間の後にずらりと、大量の数値と様々な死に様が表示された。たまに巡は、自分の過去を振り返って感傷的になったりゲラゲラと笑ったりする。
巡が個人的に面白いと感じているのは主に2657万回から3197万回の間のループである。国内の政治界や芸能界での活躍がループの脱出に繋がるかと考えていたのだが、何故か毎回爆発オチで死んでしまうため流石にバカバカしくなって巡は辞めてしまった。だが、死の直前までのデータを録画し転送することでなんとかこれまでのデータを引き継ぐことに成功しており、たまに憂鬱な気分になったときに爆発オチを見て笑っている。
「東京タワーとスカイツリーでドミノ倒しの回、これとっておきたいんだけど容量がなぁ……」
ちなみに途中のドミノの代わりは、魔術で大量に生やされたモノリス。奇跡的に、というよりかは数万回程度の遡行により死者は七見巡1人で済んだ回である。街の被害は怪獣大戦争もびっくりなレベルではあるのだが。
直近数回の結果を考え、今回の人生をどうしてみようかをちょっとだけ考える。国外への移動はそれこそやってきたのだが、如何せん通勤時間が長いのが問題だ。極々まれに飛行機ジャックに遭遇してハイテンションになった事もあるが、単なる移動時間は正直に言えば避けたい。
むう、とため息ともつかない声を上げて腕を組む。試して居ないことは沢山有るものの、楽しいかどうかは正直別物である。出来れば人死は避けたいし犯罪はほんの若干ではあるが心が痛む。だからこそ、黒井瞳の事件を解決した後の事をじっくりと考えたいのだが。
パリン、と窓が割れる音がしたのは彼が椅子に寄りかかったその瞬間。直後、椅子を引っ掴んで投げる体勢になる。荒事は少々乗り越えてきたため、とっさの判断がつくようになっていた。振り向くまでの一瞬、巡は襲撃者の正体を考察する。黒井瞳を狙った科学者か、生け贄を欲した魔術師か、単なる国際テロリズム組織か。
椅子が人体にぶつかる鈍い音がした後、巡は窓越しにその人物を覗いてみる。
そして、彼は酷く歓んだ。
全くの、新しい人物だった。今まで彼の出会ったことのない人物。
地面に叩きつけられたにも関わらず、彼女は常人ではあり得ない跳躍を見せて部屋へ再び入り込んできた。今度は攻撃しない、むしろ色々と試してみたくてワクワクしていた。
「いきなり椅子投げつけるとかどういう神経している訳!?」
彼女は激昂した表情で言ってきた。それなりに痛かったのか、頭に片手を添えている
「いきなり窓ガラス割って入ってくるとかどういう神経している訳?」
売り言葉に買い言葉。だが、そう言いつつ巡るは新入者の姿をじっくりと観察していた。瞳の色は紫、明日辺りに世界は破滅するのか、髪は水色のロングヘアー、根本から同じ色なので染色では無さそう、背丈は少し低いぐらいなのでおよそ160cmで中肉中背。だけど小さい。だが、巡が興味津々なのはそこではない。彼女が何者であるかだ。
「折角あなたを助けに来たっていうのに!」
一瞬、思考が空白になった。
助ける。今までやってきたり、されたりしたこと。だがそれは大抵最終日の事だった。今の巡は何にも困っていない。
「何のことだよ」
人差し指をぐっと突き刺して、彼女は巡に対して言う。
「あなた、タイムリープしているでしょ」
ぞくりと、巡の背筋に走る悪寒。それすら彼にとっては心地良い、筈だった。だが実際に彼に襲い掛かってくるのは恐怖の感情。何故そのことを知っている?
「もう一度言うわ、『あなたを助けに来た』」
『ギャグ漫画の主人公って最後のコマで死ぬことが多いだろ、そして次週には生き返ってる』
『それと同じ』