不思議王子様(井上凛の場合)
ついに、五人目。最後の一人です。
よろしくお願いします。
「あ、ごめんなさい!」
ぶつかってしまった彼は、何も言わず落とした本を拾い上げた。
「あの、井上く―」
そのまま、言葉を発さぬまま、私の横を過ぎ去る。
「うーわ、感じ悪。顔はイケメンだけど、私はあんまり好きじゃないな~」
悠里は、彼の背中を目で追って言う。
「怒らせちゃったかな」
「さあね。でも、いっつもあんな感じでしょ」
井上凜。私と同じ高校二年生で、クラスメート。知っているのはそれだけだった。
「井上くんって、謎だよね」
「うん、たまに指名手配中の犯人なんじゃないかって思うもん」
悠里は、神妙な顔だ。私は、思わず笑って
「まさか」
「だって、ここまでわからないことだらけだと、隠してるみたいじゃん」
「確かにね、あんまり詮索されるの嫌いそう」
「でしょう?あ!犯人といえば、昨日のミステリードラマ見た?」
「ミステリー?うん、見たよ」
そして、話は昨日見たドラマへと移り変わっていくのであった。
「桜ちゃん、悪いけど、このイーゼル、美術室の倉庫に持っていってくれない?先生から急いでこいって呼び出されちゃって」
高校に入ってから仲良くなった里美ちゃんは美術部だ。腕にはイーゼル―絵を描くときにキャンバスをたてるあれ、が抱えられていた。
「良いよ。どうせ、部活へ行く通り道だし」
美術室は、体育館へと続く廊下の途中にある。
「ごめんね。ありがとう。お願いします」
里美ちゃんは、イーゼルを手渡した後、深々とお辞儀した。里美ちゃんは、とても礼儀正しい。これが悠里ならば、はいこれお願いね、と一言残すだけでさっさと行ってしまうだろう。まあ、これが小学校から一緒に過ごした絆の強さを表すのかもしれないが。
「いえいえ!さぁ、行って」
「本当に、ありがとう」
里美ちゃんは、今度は軽く会釈すると、走って職員室の方に向かっていった。
イーゼルとは、意外と持ちにくいもので…美術室につくまで、何度も持ち直した。そして、目的の部屋までたどり着くと、周りに人がいないのを確認して閉まっていた扉に足の裏をくっつけた。横へスライドさせる。少し開く。今度は、開いた隙間に足を入れ、思いっきり扉を開いた。ドスン、と音がする。
あは、やっちゃった、と自分が麗しい?レディであったことを思い出すと、頭の中で舌を出した。
中には、誰もいなかった。美術室の奥にある真っ暗な倉庫へ行く。倉庫の扉は開いていた。中は真っ暗だった。電灯がないのだ。私は、イーゼルをもう一度持ち直すと、奥へと進んだ。
どこに置いてあるんだろう。
いかんせん、暗くてよく見えない。その時、
「なんだ、誰もいないじゃないか。外の扉も倉庫の扉も開けっぱなしで」
え?
倉庫の外からのわずかな光が途絶えた。鍵の締まる音がする。
「嘘―」
私は、棚らしきものにイーゼルを立て掛けると、急いで倉庫の扉のノブを回した。開かない。
「あの―」
小さく美術室の扉の閉まる音がする。
「あの!中にいるんですけど!ねぇ!」
返事はなかった。扉を叩く。
「嘘でしょ」
もう一度呟く。へなへなと座り込んだ。
一瞬の静寂の後、今度は奥から音がした。心臓が大きく脈打つ。その音は、次第に大きくなってくる。足音だと気がついたのは、近くにその音が来てからだった。
「何してんの?」
男の声。
「誰?」
鋭く返事する。脈は唸りを止めるどころかさらに大きく早くなる。
「凜」
「…凜?」
パニックで、咄嗟に誰だかわからなかった。彼は、ため息をつき
「井上凜」
「…井上?」
私は、ようやくスレンダーでいつも無口な彼を思い浮かべた。
「井上くんかぁ」
緊張の解けた力のない声を出す。
「もう、脅かさないでよ~!」
「俺、別に脅かしてないけど。」
確かにそうだ。
ようやく目が慣れてきて、彼の顔をはっきりと見ることができた。
「閉められたの?」
「え?」
「扉」
井上くんの言葉には、感情がこもっていないように感じられた。
「う、うん。鍵も締められたみたい」
「…」
井上くんは、何も言わずドアノブを回した。やはり、開かないようだった。
「どうしよう」
今度は、このまま帰れなかったらどうしよう、という不安が沸いてきた。
「…誰か来るでしょ。最悪、明日になったら、授業あるだろうし」
「明日…」
絶望に苛まれる。だが、そんな中でも、疑問というのは生まれるらしかった。
「そういえば、井上くん。どうしてここに?」
ワンテンポ置いて、答えがあった。
「絵、描いてた」
「絵?」
「美術部だから」
「へぇ」
意外だった。絵に興味があったんだ。
井上くんは、私の隣に腰を下ろした。沈黙が二人を包む。気まずさを感じる。
「あの、井上くんって、どんな絵を描くの?」
「…あれ」
井上くんの指差した方向には、キャンバスらしきものがあった。暗がりの中では見えない。
「よく見えないや」
再び、静寂が流れる。
「えっと、井上くんの誕生日っていつ?」
「…4月」
その後も、好きな食べ物、住んでいる地区、昨夜したこと等を質問した。だが、話が続かない。次の質問を考えていると
「ねえ」
「なになに!?」
初めて井上くんから話し出してくれ、期待して次の言葉を待った。
「無理して話さなくても良いよ」
「あ…はい」
玉砕。がっくしと肩を落とす。
「それと―」
まだ、あるのかぁ…話が面白くないとかかな。
「井上くんって、やめてくれない?」
思いもつかない言葉に、戸惑う。
「嫌いなんだ」
さらに、落ち込む。私のこと嫌いだったから、この前ぶつかったときは無視だったんだ。その様子に、気づいたようで井上くんは珍しく慌てた。
「君が嫌いなんじゃなくて、名字が!」
「あ、あぁ」
私は、勘違いに気付き、胸を撫で下ろした。
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「凛でいいよ。君のことは桜って呼ぶから」
私は、驚いて声を上げる。
「私の下の名前、覚えてたの?」
井上くん、改め凛は、私を一瞥する。
「クラスメートだからね」
胸の中で、喜びが沸々と沸いてきた。
人のことに、全く興味がない人だと思っていた。でも、興味を持ってなかったのは、自分の方だったのだ。
「いの―じゃなくて、凛。ごめんね」
「何で謝るの」
「うん、何でもないんだけどね。謝りたくなって」
「そう」
凛は、涼しげに自分が絵を描いたキャンパスを眺めた。私も見ると、今度は、見えた気がする。青のきれいな風景画―
「凛!すまんすまん」
倉庫の外から、男性の声がした。ドアが開き、ドアにもたれていた体が後ろに倒れる。
「伊藤先生に施錠を頼んだら、凛に気付かなかったみたいでな。あれ?須藤もいたのか?」
美術の担当教師だった。
「はい」
私は、頷く。凛は、何も言わずに立ち上がると、私に手を差し出した。彼がそんなことをすると思わず、一瞬戸惑う。しかし、笑顔を浮かべると、ありがとう、とその手をとった。立ち上がる。近くになった凛の顔は、少し笑みをたたえているようだった。私は、ふと昔読んだ童話の王子様を思い浮かべた。
あれは、外国の金髪で青い目の王子様だったけど。
私の前の純日本人の王子様は、手を離すと、何もなかったかのように、美術室を後にしたのだった。
ご覧いただき、ありがとうございます。
どうでしたか?
五人の中で、誰が一番好みでしょうか?
お話は、これから桜と五人のイケメンたちの絡みへと変化します。
これからもよろしくお願いします。