計算高いちゃっかり者(日下直也の場合)
四人目です。
楽しんでいただけたら、幸いです。
感想、お時間があれば、書いてくださると嬉しいです。
あれ?おっかしいな、また、答えが合わない。桜は最後まで書き終わった答えを消ゴムで消した。これで、三度目だ。放課後、部活のない今日は昨日あった数学の小テストの間違い直しをして、先生に提出してから帰るようにと言われているのだ。しかし、もう教室には誰も残っていなかった。窓の外は、夕焼けが顔を隠そうとしている。
これじゃ帰れないよ~。
なかば泣きそうになりながら、でも、泣いてもどうにもならないので、再び机に向かう。
どこが違うんだろう。
「まだ、帰んないの?」
急に声をかけられ、びくりと体を震わし、声のした方に顔を向けた。
「日下くん」
日下直也。同じクラスの男子生徒だった。
「あ…えっと、まだ、間違い直しが終わらなくて」
「え?まだ、やってるの?」
いつも割りと感情を表に出さない日下くんが、目をぱちくりとさせていた。
リスみたい、とふと思った。
「皆、適当にやってるでしょ。友達の答え写したりして」
「うん、そうなんだけど、私、あんまりそういうの好きじゃなくて」
日下くんは、ふーん、と、特に興味無さそうに、言った。
「日下くんは、どうして?」
「俺は―」
日下くんは、自分の席の机の中からスマホを取り出した。
「これ、忘れてて」
「そうなんだ、それじゃあ―」
バイバイ、と言う前に、日下くんは、私の前の席の椅子に後ろ向きに座った。私の答案用紙をじっと見つめている。
「ここ」
「ここ?」
日下くんは、答案用紙のある場所を指した。
「何で11+28が30になってんの?」
「あ!」
そう。それは、私が先程から躓いていた原因だった。
「本当だ。ありがとう」
「いえいえ」
「そう言えば、日下くん、帰るの早かったもんね」
「俺、直すところなかったからね」
一見嫌みに聞こえるかもしれないが、彼の言っていることは事実。何て言ったって、学年一位の成績を誇るのだ。今回の難しめだった数学の小テストだって、何てことはないのだ。
「ほら、早く直しなよ。日がくれるよ」
「うん」
その後も、日下くんは、間違いを直している私を見つめていた。どうやら、待ってくれているようだった。しばらくして、ようやく、間違い直しを終えると、日下くんは先生に提出するところまでも一緒についてきてくれたのだった。
思えば、日下くんと帰るなんて、初めてだった。正直、自分とは別世界の住人、という感じだったからだ。今もそれは変わらないだろうけど。
「日下くん、今日はありがとう」
「いえいえ」
本音を言うと、今まで、日下くんにはあまり良いイメージはなかった。すましていて、どこか冷たい感じがしてて。だけど、それは、間違いだったみたい。本当は、優しくて情に熱い―
「何かお礼してもらわないとね」
「…え?」
「だって、タダで教えるなんて言ってないでしょ?ほら、思い出してみて?」
「言ってませんね」
日下くんは、意地悪そうに笑った。私が見る彼の初めての笑みだった。
前言撤回。こいつ、曲者だ。
「何か飯奢ってよ。腹減った」
「そんなこと、急に言われても…」
が、私に名案が降ってきた。
「わかった!とっておきのところ、紹介するね」
眼前には、渦高く積まれたハンバーグ。
「う、うっまそー」
明らかに、棒読み、明らかに、引きつった笑いだった。心の中で、小さくガッツポーズをする。
「嬉しいわ。桜がお友達を連れてくるなんて」
母はとてもご機嫌だ。父は黙りこくっている。つまりは、私の家だった。
日下くんは、箸を持つ手を震わせながら、ハンバーグを一つ取って口にする。うちの母は、料理が大好きで、いつも父と母と私の三人では食べきれない量の夕食を作り、人におすそわけをしたり、翌日の朝食にしたりを繰り返している。そんな家の状況的には、食べ盛りの高校生の男子、日下くんはうってつけなのだ。
「うまい!うまいです」
ちなみに、腕はなかなかのものだ。日下くんは、食卓に並んだハンバーグ以外のものにも手を伸ばしていた。
「うふふ。それにしても、桜が男の子を家に連れてくるなんて、孝史くん以来ね」
「孝史くん?」
日下くんは、私の方を不思議そうに向いた。やっぱり、リスに似ている。
「近所に住んでる幼馴染みのお兄ちゃんなの」
私の言葉に、例のごとく、興味無さそうにふーん、と相づちを打つだけだった。そりゃ、興味ないだろうけどね。
「ふーん」
「日下くん、そんなにじろじろ見ないでよ」
何故こんな展開になっているのだろう。日下くんは、何故か私の部屋が見たいと言い出した。こんな私でも多感な年頃。すぐに断ろうと思ったが、それよりもっとすぐに、母が案内をしてしまったのだ。
「日下くん、もうい―」
「じゃ、始めよっか」
「え!?」
声が裏返る。耳まで赤くなるのがわかった。そんな姿を見られていると思うともっと恥ずかしくなり、身体中が火照る。しかし、何を始めるというのか。
「勉強だよ。何勘違いしてんの」
日下くんは、あの意地悪な笑みを見せる。変に、意識しちゃったじゃないの!
「あ、あー、勉強、勉強ね。って、何で?」
「明日、化学の小テストだよ。たぶん、間違い直しもあるよ。また、居残りすんの?」
「そ、そうだった!」
さっそく、机に移動し、化学の教科書と問題集を開く。
「テスト範囲、メモしてるよね。須藤、真面目だから」
普段、私は真面目、という言葉を良しとしない。何だか、面白味のない人間だと言われている気がするからだ。けれど、日下くんの言葉は、いつもみたいな意地悪なものではなく、本当に感心して言っているみたいだった。ふいに、日下くんを横目で見る。長い睫毛。通った鼻。薄い唇。間違いなくイケメンの部類だ。学年一位の秀才でイケメン。別世界の人だと思っていた。けど、今の彼は、私の中の前の彼とは違っていた。意外と、くるくる表情が変わる人だ。
「わっ!」
「きゃ!」
急に、日下くんが私の肩を掴んで、おどかしてきた。私は、目を白黒させた。
「須藤、何ボーッとしてんの。終わんないよ」
「ご、ごめん」
私は、問題に向かった。そこで、彼がまだ私の肩を掴んでいたことに気がついた。
「日下く…ん?」
日下くんは、今まで見せたことがないような穏やかな笑顔だった。心臓が一回転する。日下くんは、ようやく手を私から離すと、何事もなかったかのように、化学を教えてくれた。もちろん、集中なんてできなかったけれど。
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