ストイックな俺様(佐野玲士の場合)
早速、一人目です。御覧いただき、ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
「はい、もう一本」
鬼だと思う。
「はい、もう一本」
悪魔だと思う。
「はい、もう一本」
閻魔様だと思う。
もう、体育館の端から端を70回は走っていた。それでも、終わりを告げてくれないのは、バスケ部の鬼悪魔閻魔様の佐野玲士部長だった。すでに、部員の半分以上がリタイヤしていたが、私はまだ走り続けていた。それはきっと、あの鬼がこれ見たことかとリタイヤした人に雷を落とすのが目に見えていたからと、あの鬼の怒り顔が大嫌いだったことがあるのだろう。たちの悪いことに、佐野玲士もまだ走っているということが、他の部員が口出しできない状況を作っていた。
「佐野先輩、本当に厳しいよね」
同じくバスケ部の悠里が水飲み場で、ひたすら水を飲んでいた。あまりにハードな練習に、女であることを忘れてしまう。入学したとき、15人いたバスケ部の同級生が今や5人となっていた。
「でもさ、一年以上堪え忍んだかいあって、もう一ヶ月もすれば、佐野先輩も引退か」
私と悠里は二年生。佐野先輩は三年生。五月を迎えていた。
「いよいよ、あの鬼からも卒業かぁ」
「出た出た。桜の佐野先輩鬼説」
二人でひっそりと笑う。
「鬼で悪かったな」
「!」
蛇に睨まれた蛙とは、このこと。私と悠里は、凍りついたまま、しばらく動けなかった。しかし、じきに二人でゆっくりと振り返る。すると、
「佐野先輩!」
声がかすれて出ていなかった。私よりも頭一つ分大きい佐野先輩の顔を見る。いつも通り機嫌が悪そうでいらっしゃる。
「さ、佐野先輩。別に、私達悪口を言っていたわけではないんですよ」
悠里が慌てて、取り繕う。私も続けて
「はい、鬼悪魔閻魔様なんて、一言も―」
「桜あんたそれ悪口だからね」
悠里は私の頬を引っ張る。
「別に、言い訳する必要はないだろ?事実、そう思ってるんだから」
佐野先輩は、私達の横の手洗い場で、顔を洗うと、何事もなかったように去っていった。
―最悪だ。
佐野先輩は、全く変わらなかった。態度も厳しい練習も。それが私には何だか気持ちが悪くて、何度か話し掛けようとしたが、声を掛ける直前になると、勇気がナメクジに塩を振ったみたいにしぼんで、事を起こすことはできなかった。そして、とうとう佐野先輩が引退する日の前日になった。
私は、部活を終え、家まで帰ったのだが、今日やらなければいけない課題を学校に置き忘れたのに気がついて、また、学校に戻った。
課題を教室に取りに行き、廊下を歩いていると、体育館の明かりがまだ点いているのに気づいた。
先生かな?
そう思ったが、妙にその明かりが気になり、私は体育館へと足を向けた。
ダン、ダン―
まさしくボールが床を弾む音だった。
ダン、ダン―
音がやむ。一瞬の静寂。
シュート―
「ナイスシュート!」
思わず口をついていた。だって、あまりにもきれいなスリーポイントシュートだったから。
「須藤…」
「あ、すみません。佐野先輩」
「…謝ることないだろう。何も悪いことしてないんだから」
「すみません。佐野先輩がいると反射で」
「バカか、お前は」
沈黙が流れる。外は、雨の足音が聞こえ始めていた。
「雨だぞ。早いうちに帰れ」
「はい。あの、先輩、いつもこんな時間まで練習してたんですか?」
「…俺ほどになれば、練習なんてしなくても大丈夫」
佐野先輩は、バスケットボールを床に弾ませると、シュートを放った。ゴールのリングに当り跳ね返る。
「でも、あんだけ周りに練習しろ。っていってるやつが、練習してないんじゃ、かっこつかんだろ」
佐野先輩は笑う。
あ、鬼も笑うんだ。
「皆、嫌ってるだろ。特に、お前」
「私は…嫌いです」
「素直だな」
「でも、けっこう皆は嫌ってないと思います」
佐野先輩は、首をかしげた。思わず、愛らしい、と思ってしまう仕草だった。
「たぶん、皆、佐野先輩が頑張ってるの、知ってましたから。それに、部員以外も。佐野先輩のファンクラブありますから」
「はぁ?」
佐野先輩は、堪えきれないとばかりに大笑いを始めた。私も笑う。佐野先輩の前で、初めて笑った瞬間だった。
「楽しみにしてんぞ」
「楽しみ…?」
「明日の、三年と後輩対抗の引退試合。お前、誰よりも俺の練習に食らいついてたからな」
佐野先輩は、すたすたと私の前に近づくと、私にデコピンした。
「いたっ!」
そして、そのまま、近くに置いてあった鞄から何かを探っていた。しばらくすると、出てきたのは折り畳み傘だった。
「ほら」
「でも、これ借りたら、先輩が…」
「俺はお前ほどノロくないからな」
「はいい?」
最後の佐野先輩の言葉が、私を安心させるために言った言葉だと気付いたのは、これよりもう少し後だった。
三年生の引退の日。女子の試合が先に行われた。私はシュートを三つ決めた。男子の試合と交代の時、佐野先輩がまあまあだなと、すまして言った。
男子の試合、三年生は一点負けていた。残り五秒。あのときの再現のように、きれいなスリーポイントシュートを佐野先輩は決め、見事、三年生が勝利した。
「後輩にはまだ負けんぞー!」
と、珍しく興奮して佐野先輩が叫ぶ。
「えーっと、けっこう大変だったと思う。けど、そのお陰で皆、強くなったんじゃね?」
佐野先輩が笑うと、和やかな雰囲気と同時に涙を流す人が出始めた。
「こんな部長に、良く付いてきてくれました。本当に、恨まれても仕方ないくらい厳しかったと思う。実際、恨んでたやつもいたし」
佐野先輩は、一瞬、私の方を向いた気がした。そんな気がしただけだったのかもしれない。
「良く頑張りました。なんて、上から目線だけど、そう思うんだよ。皆、ありがとう。これからも、応援しています」
佐野先輩が、こんなに優しい話し方をするのを知ったのは昨日だ。ほんの最近だ。何で、もっと前に、知らなかったんだろう。拍手の中、今度は、確実に、佐野先輩と目が合った。ありがとうございます。と声に出さず呟く。これからはもっと、違う関わり方ができるんだろうか。そんなことを考えながら、私は涙を堪えていた。
楽しんでいただけたでしょうか?私は、楽しく書けました(笑)
読んでいただき、感謝です。