第1話 マの男の者を手に入れた。どうする?
「勇気君!」
振り返ると、“ほっちゃん”が走って近づいてきていた。なんでかはわからないけど、すごくうれしそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
そう聞く僕に、ほっちゃんはかわいい紙で包まれた、リボンのついた箱をくれた。
「なにこれ?」
僕の言葉に、ほっちゃんは少しばかり頬を赤らめた。
「バレンタインデーチョコ!」
「……なにそれ?」
「えー、勇気君知らないの? かっこわるーい」
得意げに言うほっちゃんの言葉に、僕はムッとした。
「バレンタインデーはね、女の子が好きな男の子にチョコレートをあげる日なんだよ」
ほっちゃんは、ニコニコしながらそう言った。
――傷つけるつもりはなかったんだ、恥ずかしかっただけなんだ……
――誰かを傷つけていくなら、一人でいた方がいい。
――そう思ってから何年も過ぎたのに、相変わらず僕のそばに“ほがらか”はいる。
春休みに入ったばかりの昼下がり、僕はほがらかと“いっせーのゲーム”をしていた。
いっせーのゲーム――自分の言った数字と、その時に上がった親指の数が一緒だったら勝ちというゲーム、だ。
喉が渇いたらしいほがらかは、「負けた方が、ジュースおごってね!」と僕に勝負を挑んできた。それに乗ってはみた――いや、むしろ無理やり参加させられたものの、正直、自分の家に帰って飲んでもらいたかった。
「いっせーの2!」
ほがらかの気合の入った甲高い声とは裏腹に、指は1本しか上がっていない。ほがらかは渋い顔を浮かべている。
「……勇気の番ね。あ、次、絶対指上げるからね!」
そう言って、ほらほら! と、ほがらかは指を何度も上げ下げしている。どうやら心理作戦のようだ。
ただ、それがかえって次の手をわかりやすくしているという、その極めて単純な性格を僕が理解していることに、本人は気付いていなかった。
「いっせーのせ1」
指は、僕があげた1本だけだった。やっぱりね。
ほがらかは、自分の言葉に人が引っ掛かることを楽しむ傾向がある。上げるよという言葉に引っ掛かることを期待しているのだ。
つまり、上げなければいい――ということだ。
「僕の勝ちだ」
何が不満だったのか、ほがらかは仏頂面を浮かべていた。
「……今、フェイントしたでしょ」
「フェイント?」
「そう!」
意味のわからないことを言い出したほがらかを無視して、僕はファタコンの電源を入れた。ただ、本体とコードの接続部分の調子が悪く、毎度のように、テレビにはザーッという砂嵐しか映っていない。自然と小さなため息がこぼれた。
――うちには、カートリッジ方式の初代ファタコンのみしかない。DVDやらの次世代ハード、いや、ファタコンからすれば、いくつもの世代を重ねた最新のハードは持ち合わせていなかった。何度か購入を試みたものの、ファタコン信者である姉ちゃんがそれを許してくれなかった。
僕はコードの接続部分の下にカートリッジを積み重ねることで、接続のいい場所を探した。その間、ほがらかからの鋭い視線を感じていたけど、無視を続けた。
……
……
……ふぅ。
あまりにも牛乳を買いに行く気配を感じないので、急かすように言った。
「なんだよ、早く買ってこいよ」
ただ、その言葉を切り裂くように、ほがらかの甲高い声が部屋に鳴り響いた。
「いっせーのでしょ、いっせーの! そのあとの『せ』はフェイントよ!」
ほがからは、ふん! ふん! と鼻息を立てている。
……くだらない。
軽快な音楽を流し始めたテレビに視線を戻すと、画面にはクリア寸前のロールプレイングゲームのオープニングが映し出されていた。
姉ちゃん自慢の一品である四角ボタンのコントローラを手に取る。
すると、ほがらかはもうひとつのコントローラを持ち、内蔵されているマイクに向かい、怒鳴り始めた。
「卑怯! 卑劣! 卑猥よ!」
……卑猥関係ないだろ。
そう心の中でつぶやく僕の目に、一癖あるモンスターが出現した。残りのヒットポイントが少なくなると、自爆するプレイヤー泣かせなモンスターだ。
「ちょっと、ひとりでゲームする気!?」
ほがらかの言葉を無視して、どう戦うかを考える――最初に補助系魔法で、全員の能力を上げておく必要があるな。
僕は魔法コマンドを選択した。画面が暗くなる。このゲーム特有のロード時間だ。
……
……
……
一向に画面が回復しない。
おかしいなと思い、ファタコンを見た。
目に入ったのは、リセットボタンに置かれた人差し指だった。その人差し指の持ち主は、ほがらかだった。
「二人でできるゲームしよ♪」
……なんてことを。
データが飛んでしまったのではないかという不安が僕を襲う。そんな僕とは対照的に、ほがらかは満面の笑顔を浮かべている。
この笑顔は危険だ。ここでもう1度はじめても、また消されるだけだ。完全にデータが飛ぶかもしれない。
危険を感じ、そのソフトを抜く。
消されても問題のないソフトを探すしかない。
……
……
……
まだ、こっちを見ているよ……
「……牛乳は?」
「まだ勝ったつもりなの!?」
「つもりもなにも勝ちだよ」
と、ソフトが山積みされたカゴの中に、見覚えのないソフトを見つけた。
「……マの男の者?」
手に取ったソフトに書いてあるタイトルは、知らないものだった。
――また姉ちゃんが得体の知れないソフトを買ってきたのか。
無意識にファタコンにソフトを差し込もうとしたが、条件反射的にその手を止める。
以前、姉のいないところで勝手に起動したことがばれ、姉の怒号が飛び交ったことが思い浮かんだからだ。
思い出された光景に身震いする。
やめておこう――勇気はソフトをカゴに戻そうとした。
ただ、戻そうとした手からソフトが離れることはなかった。それを戻してはいけない何かを、勇気が感じ取ったからだ。
勇気はそのソフトに、もう一度目をやった。
真っ黒のプラスティックのソフトの真ん中に、かすれた赤い文字で『マの男の者』とだけ書かれていた。シンプルすぎて不気味なものだったが、勇気はそのソフトをファタコンに差し込み、電源を入れていた。
「またひとりでやるの!? そんなことしてると、私、他の人にとられちゃうよ!」
勇気はほがらかの言葉には耳を傾けず、画面を食い入るように見ている。まるで何かに導かれるように、テレビ画面に近づいていた。
「ロールプレイングゲームみたいだ」
勇気はぼそっと、言葉を発した。
「もういい! 牛乳買ってくればいいんでしょ!」
ほがらかは、あからさまに足音を立てながら、部屋を出て行った。
勇気はそれを気にせず、画面の指示に従って名前を入力した。
――ゆ・う・き。
文字の入力と共に、ピッピッとアナログな機械音が鳴る。
『ゆうき でよろしいですか?』という文字に、勇気は『はい』を選択する。
画面が黒くなる。
……
……
……
「『ゆうき』というか」
突然の声に、僕ははっとして、コントローラを落とした。あたりを見回しても、部屋には僕しかいなかった。
心臓の音だけがバクバクと聞こえるようだった。
……いま、声が聞こえたような。でも、この当時のソフトに音声なんてないはず……。でも確かに聞こえた……
僕はしばらく動けないでいた。目だけで何度も何度も部屋を見渡した。でも、やっぱり誰もいなかった。
……やっぱりこのソフトなんだろうか?
僕はリセットして、もう1度『マの男の者』を起動した。そして画面の指示に従って名前を入力する。でも、さっきの声は聞こえなかった。
……気のせいか。
「…………」
そう言い聞かせたものの、気味の悪さは晴れることはなかった。心臓の音が静かになったことを感じ、僕はテレビとファタコンの電源を切って1階に下りることにした。
「そういえば、ほがらかはどこ行ったんだ?」
*
カチ。
勇気の部屋のテレビと『マの男の者』が差し込まれたファタコンの電源がつく。
真っ暗なテレビ画面に白い文字が浮かぶ。
ツイニ コノヒ ガ キタ
ユウキ ト イウモノ ファタコン ノ デンゲン ヲ ツケテ オクノダ
ソレガ ワタシヲ フッカツサセ オマエニ チカラヲ アタエヨウ