鬼の諫言
立花山城は筑前国、ひいては北九州の要害である。大友一門の立花貞載によって築かれたこの城は、北九州の覇権を巡る大友・毛利の二大国による激烈な攻防の中心地とされ、混迷極まる筑前情勢を象徴するが如く、三度その仰ぐ旗を変える事となった。
「殿、出立の用意が整いましてございます」
「うむ」
老人が静かに頷く。既に当時としては老境である六十に届かんとする年頃であるが、穏やかな表情の中にも隠し切れぬ歴戦の勇者たる風格が備わっている。
戸次麟伯軒道雪。北九州にて彼の名を知らぬ武士は居ない。先の北九州争覇戦においては主将として一時崩壊寸前にまで陥った戦線を良く支え、遂に勝利に導いた立役者だ。
戦が終わった後、彼は主君大友宗麟の命によりこの立花山城に居を構え、立花氏の名跡を継いだ。背反常ならぬ国人衆と宿敵毛利氏とを監視するのに、彼以上の重石は存在し得なかったからである。
「それでは殿、ご無礼を」
彼の傍に控えていた小姓二人が立ち上がり、道雪の両脇を抱え上げて支える。彼は足が不自由なのだ。若年の折に自らを襲う稲妻を斬り、辛うじて一命を取り留めたとする伝説がまことしやかに語られている。
「ところで殿。近頃の大殿の行状について聞き及んでおられますか」
先導する部下の言葉に、それまで穏やかだった道雪の表情に一瞬であるが変化が生じた。両脇の小姓がそれを見て不安げに互いの顔を見合わせる。それは明らかに怒りに近い苛立ちだったのだから。
「また、宗麟様が何事かなされたのか」
声色こそ変わりないが、道雪に仕える家臣であれば彼の心が穏やかならざる状態になりつつある事はすぐに察せられる所だ。話題を振った部下は後悔したが、今更話を打ち切る訳にも行かない。
「大殿は近頃大猿を飼い始め、殊の外可愛がっておられる様子であり、その……」
「構わぬ、申せ」
道雪の催促に、部下は大きく溜め息を吐いた。
「伺候する家臣に大猿をけしかけ、家臣が慌てふためく様を見てお笑いになるのを新しき遊興として楽しんでおられる由、聞き及びましてございます」
その言葉が終わるや否や、話し終えた家臣を恐るべき悪寒が襲った。後ろを振り向く必要も無ければ、その勇気も無い。そこから漂う怒気と殺気は、戦場において精強無比で鳴る立花家臣をして戦慄させるに十分すぎたのだ。そんな事が出来る存在は、この世にただ一人しか居ない。
「何故あの御仁は、こうも人の心を理解しようとしないのだ……!」
抑えてはいた。だが最早隠しようもなかった。その声は怒りに震え、顔は不動明王を思わせるそれに変わっている。両脇の小姓は完全に青ざめていた。別に自分が咎を受けた訳でも無いのに、恐怖で顔をこわばらせている。まるで今にも切腹を命じられる罪人のようだった。それに気付いた道雪は苦笑を浮かべた。
「……別にそなた達が恐縮などする事ではあるまい。案ずるな」
それは家臣達を慮っての言葉には違いない。だが、それで彼等の不安が収まる訳は無かった。彼が宗麟に謁見したら何が起こるのか、容易く想像がついてしまっていたからだ。主君を輿の中に乗せる手伝いをしながら、三人は共通の不安を抱かずにはいられなかった。
大友宗麟という男を一言で説明するのはいささか難しい。二階崩れの変と呼ばれるお家騒動で自らを粛清せんとした父に逆襲を浴びせて家督を勝ち取り、大寧寺の変で空白地帯となった豊前・筑前を奪取し、巧みな外交手腕によって朝廷・幕府の信任篤く、北九州における毛利氏との覇権争いにも勝利した。
これだけを見れば、彼は紛れもない名君と言うべきだろう。だがその一方でしばしば府内城を抜け出して失踪騒ぎを起こし、諸芸能に通じているのが高じて茶器などの奢侈品を好んで収集し、女色に関する悪しき噂の絶えぬ男でもあった。こうした極端なまでの二面性、精神不安定は、父親との荒んだ関係性がもたらしたものとも言われる。
この日、宗麟の精神状態は安定しているとは言い難かった。戸次道雪が出仕し、御前に参上する日であったからだ。
宗麟の道雪に対する感情もまた、単純ならざるものがある。二階崩れの変において、彼は宗麟(当時は義鎮といった)の家督継承に尽力し、遂には宗麟に敵対していた自分の舅である入田親誠を討伐し、最終的に死に追いやった。血縁関係を考えれば道雪は入田氏に味方してもおかしくはなかったのだが、彼は断固として宗麟支持を崩さなかったのだ。
つまるところ道雪は宗麟にとって恩人であり、また押しも押されもせぬ重鎮の中の重鎮という事になる。先の立花氏継承も、彼の並びなき武勲に応えた格好のものだ。
だが、だからこそ宗麟にとって道雪はこの上なく厄介で煙たい存在でもある。しかも彼は意志を曲げぬ硬骨漢であり、間違いと判断すれば主君に対しても臆する事無く堂々と反対意見を開陳し、時には『説教』とも取れる諫言も躊躇わぬ男だった。
ちらりと、小さな座敷に座る自らの大猿を見る。彼は一度宗麟の命令があれば必ず相手に飛び掛かるように調教されている。それこそ大身、小身の別なく飛び掛かり、例外なく襲われた側は慌てふためいたものである。その度に宗麟は侍女と共に笑い転げた。
(こやつをけしかければ、道雪めも慌てふためくだろうか)
それはとても真っ当な思考とは言えない。だが宗麟にしてみれば、別段おかしな思考ではなかった。日頃偉そうに自分に訓示を垂れる男が、自分の策によって慌てふためく様はさぞ愉快な事だろう。本気でそう考えている。しかも相手は足が不自由な身だ。
(いかなあの『鬼』道雪とて、どうこうする暇もあるまいよ)
小さく笑みを浮かべる主君の姿を見て、列席する者の中には密かに嘆息する者が少なくなかった。例外なく顔に真新しい引っ掻き傷がある。彼等もまた被害者の内だ。次に見世物にされるであろう道雪の境遇を思いやる者も居れば、宗麟と似た思考に至った者までまちまちだ。だが共通しているのは、皆が皆この茶番に対して心底辟易している事だった。
「戸次道雪殿、お見えでございます」
部屋の外からの声で、囁き声がぴたりと止んだ。宗麟も君主に相応しい威厳に満ちた顔つきに変わる。
「よかろう。通せ」
宗麟の言葉と共に、小姓二人の助けを借りながらゆるりと道雪が入って来る。それが情けない姿に見えないのは、本人の見せる威風ゆえであろう。六十に迫る年齢になって尚、武人の矜持はいささかも萎びていない事が一目見ただけでわかる。
定められた場所に辿り着くまで道雪は二度、三度と辺りをじろりと見渡した。座敷に座っている大猿はこの部屋の中では異物も良い所だ。だが彼はそれには一瞥をくれただけで意に介した風でもなく、型通りの礼法で挨拶する。
「大殿に置かれましては変わらずご壮健の由、慶賀の至りに存じます。お召しに従い、御前に参上仕りましてございます」
頭を垂れる道雪を見て、宗麟は心中でほくそ笑む。脇息を指で二度叩くと、それまで大儀そうにしていた猿が自分の方を向いた。これでいつでも事を起こせる態勢が整う。宗麟はあくまで威厳を保ちながら、答えた。
「遠路はるばる大儀である。面を上げよ」
その言葉が終わるとほぼ同時、宗麟は右手で道雪の方向を勢い良く指差した。それを見るや大猿は一目散に道雪の下に走り寄る。道雪の顔が正面を向いた時、既に猿は彼に飛び掛かる体勢を取っていた。宗麟は次に起こる出来事を思い浮かべ、にやりと笑う。
その刹那。
魂が凍るような凄まじい大音声と、何かが砕ける鈍い音が、ほぼ同時に部屋中に響き渡った。あまりの衝撃に、誰もが眼前で起こった出来事を即座には理解しかねる程のものだった。宗麟もまた、呆然として声も出ない。
大猿が痙攣している。原型をとどめぬ陥没した頭蓋から血と脳漿を垂れ流しながら。あれほど大友家臣達に好き放題の振る舞いをし、数え切れぬ生傷を作った凶暴な獣が、弱々しく震えながら、急速に自らの生命を手放そうとしている。
道雪の手には、固く閉じられた鉄扇があった。その先端からは血が滴り落ちている。彼は飛び掛かる大猿を、懐の鉄扇でほとんど抜き打ちに叩き落としたのだ。それも、正確に頭蓋を狙って。
「き……」
その事実にようやく思い至った宗麟が、叱責の言葉を絞り出そうとした。だが、それは叶わなかった。
それは棺に不自由な足を納めかかった老人ではなかった。初陣にて敵将を捕縛して激賞され、劣勢の中大敵を相手に一歩も退かず、その武略によって九州一円に雷名を轟かせた『鬼』が、そこには居た。
「……獣を用いて人を弄び、面目を潰すのはそれ程に楽しい遊戯でございましたか?」
それは身も蓋もない直截的な言葉であり、だからこそこれ以上ない痛罵となった。宗麟は苦虫を噛み潰したように口を噤み、渋面を浮かべている。
「道端に座り込む物乞いでさえ、己が名誉や生命が脅かされれば、死を賭してでもそれを守ろうとするものです。まして今までその『戯れ』に巻き込んだ者どもは、大小の別なく武士でございます。例え小身であったとしても、名誉こそは武士の拠って立つ所。それを理不尽に傷つけられ、平気で居る事が出来ると殿はお考えですか!」
言葉を発するにつれてその語気は厳しくなり、最後にはほとんど吠えるような調子になる。それは彼の偽らざる気持ちだった。今までけしかけられた者達は『主君の猿』なればこそ、畜生に弄ばれる屈辱を心中に抑え込んで来たのである。それが高ずればどうなるかは火を見るよりも明らかだろう。
「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失うもの。まして此度は畜生を以って家臣を苦しめておられる。これでは孟子が言う所の、獣に人民を食わせる所業と何も変わりはしないではありませぬか!」
渋面を浮かべたまま、宗麟はちらと大猿を見た。もうぴくりとも動かない。体の奥底から深々と溜め息が吐き出されるのを知覚する。
「……片付けよ」
大急ぎで近習が猿の骸を運び出して行くのを、宗麟はやや虚ろに眺めた。道雪はそれには一瞥もくれない。絶え間なく、主君を睨むように見据えているだけだ。それを見て、今一度宗麟は深々と溜め息をついた。
「もう良い、道雪。そなたの言いたい事はしかと心得た。二度とこのような戯れはせぬ」
敗北感が宗麟の心中を包む。しかしそれが怒りに直結する事はなかった。道雪の言葉は真正面からの正論であり、反論など出来よう筈もない。自分が無道な振る舞いをしたのは疑いなき事実なのだ。彼は敗北を認める以外になかった。それはまるで、放蕩息子を説教する父親を見る思いだった。
現実の父は、決してそんな親身な真似をしてはくれなかったが。
道雪は瞑目し、静かに頷いた。それきり大猿の件には一言も触れる事はなかった。
道雪が小姓二人を伴って府内城の門より出て来た時、出迎えた部下は深々と安堵の溜め息をついた。それを見た道雪は苦笑で応える。
「何を張りつめた顔をしておるか。別段大した話などしてはおらぬ」
今度は部下が苦笑する番だった。何が大した話ではないだ。主君の悪癖に決然と諫言する事は、常に誅殺の可能性を孕んだ危険極まりない行為である。本人にとって大した事はなくとも、主君の身を案じ、またお家の存続をも案じる家臣達にとっては大事だ。
だが、道雪はすぐに真剣な顔つきになった。まるで部下の心を読んだかのように。
「一つ言っておく。我が身を恐れて保身を図る事は、武人のみならず一人の人間として最も恥ずべき所業の一つだ。例え諫言の結果死を賜るとしても、主君の過ちを正す事こそが臣下の本分なのだ。わしの命など惜しくはない。むしろわしが命惜しみに諫言を怠り、殿が天下の笑いものになる方が余程恐ろしく、口惜しいのだ。殿は移り気な御仁。暫くすればまた何事か良からぬ事をなさるやも知れぬ。それでもわしは諫言を止めるつもりはない」
部下達は深く恥じ入り、赤面した。それを打ち消すように、道雪は笑みを浮かべてこう続けた。
「それはそなた達にも言える事だ。既にわしは年老いた身。いつ耄碌して正気を失うか知れたものではない。もしわしが過ちを犯したならば、その時はそなた達がそれを止めよ。さもなくば死した後、何故止めなかったのだと悪霊として夢枕に立ってくれるぞ」
その後の大友氏は、島津・竜造寺という二つの勢力の台頭によって徐々に衰えを見せて行くようになる。別して道雪が猛反対した日向遠征は、数多くの重臣を失う惨憺たる大敗北に終わり、大友氏の衰退を決定的にした。国人衆の多くは大友氏を見限り、宗麟もまた国政への意欲の衰えもあってますます放蕩の度合いが増すばかりとなった。
それでも道雪は、自らの信念と宗麟に対して最後まで忠実であり続けた。彼は最後まで諦めず、機会あるごとに主君への諫言を行い続けた。また北九州における彼の雷名はその死まで決して衰えず、齢七十に達して尚部下に輿を担がせて戦場を往来し、一度として勝利を逃す事はなかった。それが『鬼』と呼ばれた男の生き様だった。
そして彼が戦場で最期を迎えた時、部下達は戦場に遺骸を埋めよとの遺命に従わなかった。敵地に主君を捨て置くなど考えられぬ事だったからだ。例え『命令に背けば悪霊として祟る』と言われても、それを承服する者は一人として居なかった。彼等は己の身命を顧みず敢えて君命に背き、主君の遺骸と共に粛々と帰路に赴いた。それが彼等なりの、死を賭した主君への諫言だったのである。
葬送の列に対して、敵方は追撃を仕掛けなかった。誰もが道雪の死に哀悼の念を抱き、遺臣達の堂々たる行軍に誰もが敬意を払って見送った。それこそが、万人に『鬼』と畏敬された無二の忠臣に対する、最上の手向けであった。
俗に立花道雪と称されるこの人物には、大友宗麟に対する諫言の逸話が絶えません。それは逸話である故信憑性に乏しい(このエピソード自体もまたそうです)ものですが、道雪という存在の重さを際立たせる役に立っていると言えます。
道雪と宗麟には十七歳の年齢差があります。当時なら親子関係でもおかしくない年齢差です。道雪が事あるごとに宗麟に諫言する『役』を与えられたのは、彼等の関係が疑似的な親子関係に思える複雑な代物だったからかも知れません。
道雪の死後、僅か半年で大友氏は滅亡寸前の窮地に立たされます。元より道雪が全ての守りを引き受けていた訳ではありませんが、彼の存在がいかに巨大なものであったかが窺い知れます。
宗麟とその父義鑑との関係は控えめに言っても冷え切ったものでした。それが高じて遂に二階崩れの変と呼ばれるクーデターを招く事になります。俗説では宗麟は無関係とされますが、現実には自分の身を守る為、実の父と弟を手に掛ける事を余儀なくされたと考えるべきでしょう。
そして長年の治世と晩年の防戦による心身の摩耗で、宗麟も道雪の死から二年を待たずこの世を去りました。晩年の彼は歴史を繰り返すが如く、息子達と険悪な関係だったと言われます。逸話では放蕩三昧のイメージが強いですが、それを取り払った彼の心の闇は、想像以上に深いものだったようです。
それ故に、放蕩息子を説教する父親という道雪との逸話での関係性は、笑いや警句だけでなく哀愁をも含んでいる。筆者はそう考えております。