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ストレイドッグに案内され、大通りを歩いて別の広場へ辿り着く。そこには門のような物がポツンと立っていて、門番のような姿をした二人の《NPC》が守っていた。ストレイドッグはNPCと短い会話を交わすとナギサの手を引く。
「ほら、ここを通るんだ。本来なら金がかかるんだが今回はオレが払ってやる」
「え? そ、そんな、いいの?」
「いいんだって、初心者が遠慮すんな。ほれ、着いて来い」
「わ、わわっ」
門の表面には何やら青い水の膜のようなものが張られていた。波打つ水面にはテスタとは違う町の風景が映り込んでいる。ナギサはストレイドッグにぐいぐいと手を引かれ、彼に続いて門をくぐった。
視界が暗転する。体がまるで宇宙に放り出されたかのようにふわっとした浮遊感に包まれた。
「さ、着いたぜ」
一瞬の暗闇と浮遊感の後、再び地面に立つ感覚を感じた。
「うわっ」
立て続けに変化する感覚にナギサはふらつき、転んでしまった。ストレイドッグが呆れた様子で苦笑する。
「お前、本当に鈍くさいんだな」
「あはは……」
こればかりは仕方ないと、ナギサは自分の中で言い訳する。そうしてナギサが立ち上がると、ストレイドッグは「こっちだ」と言ってさっさと歩き出してしまった。
慌ててその後に続きながら、ナギサは辺りを見回す。さっきまで見ていた風景とは随分と印象が違っていた。
空には雲一つ無く、日差しが強く感じられる。地面はザラザラとした荒れた土。緑はほとんど見られず、辺りに建っているのはちゃんとした建造物よりもテントが多い。ちらほら見られる家も、家屋というよりは遺跡か何かのようだという印象を受けた。
だからといって街全体が殺伐としているわけでもなく、テスタ程ではないものの数多くのプレイヤーで賑わっているようだった。テスタとはまた違った活気が感じられる。
「ねえ、ストレイドッグさん。ここは?」
「ユベリアだ。《遺跡の町ユベリア》。周りに沢山ダンジョンがあってな、ここに居るのはみんなそれ目当ての奴らだよ」
「ダンジョン……」
改めて周りを見ると、テスタで見ていたよりも屈強そうなプレイヤーが多い気がした。もっともナギサから見れば、装備品がなんとなく強そうとか、その程度の印象しか抱けないのだが。
「さあ、さっさとフィールドに出るぞ」
「う、うん」
「ハハ、そんなびくびくすんなって。オレが付いてるから平気だ!」
「そ、そうだね。頼りにしてる」
ユベリアはやはりテスタほど大きな町ではなかったらしい。門をくぐって出た広場から東の方へ伸びていた大通りを歩いて行くと、すぐに果てに到達する。その外には荒れ果てた荒野が広がっていた。
「んじゃ、パーティー組んどくぞ」
「え? わっ、何か出た!?」
突然、ナギサの目の前に半透明のウインドウが現れる。
「パーティー申請送った。承諾ってのを押せ」
「う、うん」
言われた通り、「承諾」ボタンに触れる。するとウインドウは消えてしまった。
「これでオレとお前はパーティーな」
「パーティーって……?」
「簡単に言えば、一緒に冒険する仲間のチームみたいなもんだ」
「仲間、チーム……」
説明に含まれた単語を反芻する。なんだか胸が暖かくなるような心地がして、思わず笑みがこぼれた。
「ん? どうした?」
「う、ううん、なんでもない。ただ、なんか嬉しいなって、そういうの」
「まあネトゲの醍醐味だからな。……お前もしかして、そういうの好きなタイプ? 仲間とか、友達とか」
「え!?」
ストレイドッグにニヤニヤと笑いながら指摘される。ナギサは気恥ずかしく思いつつも、素直に頷き返した。
「うん。このゲーム始めたのって、やっぱりそういうのも興味があったからだし……」
「ハハ、んじゃオレがお前の最初の友達で、仲間だ。な?」
ニカッと笑いながら肩を叩かれる。ナギサは今度こそ破顔して、何度も頷いた。
「友達で仲間、な。……クク」
「……えっと、ストレイドッグさん?」
「いやいや、なんでもねえよ。ほら、あのへんにモンスターいるだろ? 早速狩ってみようぜ」
「で、できるかな……」
「やれるやれる! そら、ついてこい」
自信満々なストレイドッグに恐る恐る着いていく。向かう先には狼のようなモンスターが十頭近く、散り散りにうろついていた。
ストレイドッグの手の中に鉄製の弓が現れる。
「さて、と……。ナギサ、お前はしばらくじっとしてな」
ストレイドッグはその中の一頭に矢を放った。矢は寸分違わず狼の肩の辺りに命中する。
ストレイドッグの攻撃に気付いた狼が、ノシノシと近づいてきた。
「わ、き、来た!」
「…………」
ストレイドッグは何も答えず、続けて矢をつがえ、また別の狼を射る。
命中。当然、その狼もこちらへ向かってくる。
「に、二頭目!? だ、大丈夫なの、ストレイドッグさん!」
ナギサの声には耳も貸さず、ストレイドッグは辺りに見える狼全てに一発ずつ矢を放った。結果、十三頭の狼が群れをなしてこちらへ向かってくることとなった。
「わわ、こんなにたくさん……。倒せるの、ストレイドッグさん?」
初心者としてはかなり恐い光景だった。狼はテレビ番組やVR資料でも見たことがないほど巨大で、それが唸り声を上げながらジリジリと近づいてくるのだ。視線の先にあるのはストレイドッグ一人のようだが、その傍にいる身としては、彼の身が心配だった。
しかし、彼は。
「ストレイドッグさん……?」
ニヤリと口端を歪めるストレイドッグ。そんな彼を囲うように、光の環のような物が現れる。直後、ストレイドッグの姿がスッと薄くなり、瞬きをする間に消えてしまった。
「ち、ちょっと、ストレイ……え?」
彼がいなくなった途端、狼の視線が一斉にこちらへ向く。
「な、何、え……?」
自分を狙っていることは明らかだった。
さっきまでストレイドッグのことしか狙っていなかったのにどうして、と慌てふためくナギサ。必死にストレイドッグの姿を探していると、群れの向こう側にまたさっきのような光の環が現れ、その中にストレイドッグが姿を現した。ナギサは安堵の息を漏らすと、彼に大声で呼びかける。
「た、助けて! なんか、こいつら僕のこと狙って……」
言い終わるより先に、ストレイドッグが笑い混じりに答える。
「ああ、そうだろうな! パーティー組んで、タゲ集めたまま落ちたら、それ全部別のメンバーに移るからな! お前が狙われんのは当たり前だよ!」
「え……? ど、どういうこと!?」
意味の分からない略語や俗語を並べられ、理解できずに混乱する。
ストレイドッグはそんな自分の姿を見て、また口端を歪め、自分を嘲笑っていた。
「わかんねえ? つまり、お前がそいつらの相手すんだよ!」
……ストレイドッグの言ったことはつまりこういうことだ。パーティーを組んでいる最中に敵の注目を引き付け、その状態でログアウトすると、その注目は別のメンバーに 移る。この場合なら、その対象は必然的にナギサとなる。こうして、一人では相手を仕切れないほどのモンスターを押し付けることでプレイヤーを死に追いやるのだ。
システム上《PK》のできないフィールドでも擬似的にPKを行うことのできる悪質な行為。通称《MPK》その原理をナギサが知る由もない。
ただ、目の前にいる化け物はこの後自分を襲い、このままなら自分は……。そのことは理解した。
「なんで!? た、助けてよ!」
必死に助けを求めるが、ストレイドッグはニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべるばかり。そうこうしている間にも、狼の群れは目の前にまで迫っていた。
「うぅ……。え、えい!」
ナギサはストレイドッグに教えられていた通り、魔法を使って攻撃する。《ファイアボール》と呼ばれるウィザードが最初から習得している基礎魔法が発動し、火の玉が先頭に居た狼に向かって飛んでいく。火の玉は狼の鼻面に命中し……。
まるで線香花火か何かのように、ぱちんとはじけて消えた。白い「1」という数字がフッと表示されて消える。
「な、なにこれ……」
言われたとおりにやったはずだ。しかし、今表示された数字は……。
ゲーム初心者のナギサでも、今の攻撃が全く通じていないらしいことくらいはわかる。その様を見て、ストレイドッグはゲラゲラと笑い声を上げた。
「ギャハハ、だっせー! こんだけレベル差があるとダメージもエフェクトも地味だな! 何度見てもおもしれーわ!」
「ね、ねえ! 無理だよ、僕が相手するなんて! 助けてよ!」
全く歯が立たないことはわかった。だから、続けて彼に懇願する。……なんとなく、何かがおかしいらしいことは、ナギサも察していたが。
ストレイドッグはひとしきり笑うと、ふぅっと息を吐く。
「……は? 助けねーよ?」
そして、これ以上ないほどバカにした表情で、そう答えた。
その答えを聞いて、ナギサはようやく確信する。そう、自分は……。
「ハハ、やっぱたまんねーわ。テメェみたいななーんにも知らねぇズブの初心者が騙される所見るの」
騙されていたのだ。この男に。
「え……」
「そうだよ、そのツラ! バカなやつほど騙されたってわかった時に間抜けなツラすんだよな! おもしれー! スクショ撮っとこ、ギャハハ! 傑作!」
人が変わったように嗤うストレイドッグ。それを見て、もう彼は仲間ではないということを悟った。
……最初にできた友達に、最初にできた仲間に、裏切られたのだ。
「……友達だって……思ってたのに」
「は? とーもーだーちー? ギャッハハハ! そんな簡単に人のこと信じてんじゃねえよバーカ! そら、そんな事言ってねえで逃げろよぉ!」
「え……うわ!」
狼が、ついに痺れを切らして襲い掛かってくる。
ナギサの目の前を鋭い爪がかすめた。ゴウッと音を立てて空を切る。
……こんなものに引っ掻かれたら……、いや、切り裂かれたら、ただでは済まない。
「う……」
気づかぬ間に、目の前まで死が迫っていた。これがバーチャルであることも忘れ、ナギサは駆け出す。
「う、うわああああ!!」
絶叫。十三頭の狼の群れに終われ、みっともなくナギサは駆けずり回った。相変わらず、ぎこちない足運びで。
「うぅわ、これ最高傑作だわ! ゲーム初心者で? VR初心者で? まともに走ることも出来ねーとか、マジウケるわ!」
背後から、他人事みたいに後をついてくるストレイドッグの嘲笑が聞こえる。ナギサには悪態を吐くことも、罵声を返すこともできず、ただ駆けることしかできなかった。
目の前は丘になっていた。緩やかに登る坂道を必死に駆け上る。しかしその頂点についた辺りで、ついにナギサの足がもつれた。
「あっ……」
頭から地面に転がる。そして、
「ひっ……!」
身を起こそうとして上げた視線に、自身を見下ろす狼の群れが映る。
下から見上げる躯体は、より一層巨大に見える。爪も牙も、下手な凶器よりずっと鋭い。
立ち上がることもできないでいると、狼の後ろから、まるで群れの飼い主であるかのようにストレイドッグが姿を現す。
「なあ、どんな気分だ? 最初のオトモダチに裏切られて、コワ~イモンスターに追い回される気分はよ?」
「う、ぁ……」
「ハハ、声も出ねーってか! やっぱあえてMPKにしといて正解だったぜ。ただ殺すだけじゃこんなおもしれーの見らんなかっただろうし。……にしても、こんなにビビる奴初めてだわ、マジ傑作だこれ」
罪の意識など欠片もなく、ただ、歪んだ笑いだけがそこにあった。
「さて、スクショも大量に撮れたな。……それじゃ」
ストレイドッグの視線がスッと細くなり、獲物を前にした獣のような眼光がナギサを射止める。
――その瞬間、ナギサの脳裏に、ある光景がフラッシュバックした。
「ッ……!」
記憶が、目の前の光景と重なる。
足がぴくりとも動かなくなる。力が入らない。それどころか、足というのはどうすれば動くものなのか、そんなことすらわからなくなってしまうような感覚。
恐い。逃げたい。それなのに動けない。立てない。歩けない。走れない。……逃げられない。
「や、やめて……」
「ざんねーん、オレにはどうしようもねえよ。んじゃそろそろ……」
ストレイドッグの言葉に応じるように、狼が大口を開ける。唾液が垂れ、生暖かい呼気が顔にかかる。そこにあったのは、必要以上に現実を再現した恐怖。そして、
「死ぬとこ、見せてくんない?」
死が、目先に触れた。
「う、ああ……、ああああああ!!」
悲鳴と同時、這ってでも逃げようと伸ばした手が、何かを押した。
瞬間、体が奇妙な浮遊感を感じる。
「あ……?」
しかしその感覚もまた一瞬。直後、ナギサの体は、
「うわああああああああ!?」
真っ逆さまに、"穴の中へと"落下していった。