8、自宅
ルーレットのようなバスが到着した終点には幸運にもローカル線の地方駅が存在しており、電車を乗り換えて、都市を縦横無尽に走る電車の端っこの方の一本に乗ることができた。
ここまで来れば慣れたものである。駅内の表示に従って、来た電車に乗ればいいだけだ。
初めて都市の電車を利用する人はその表示の多さに戸惑ってしまうかも知れないが、ひとたび使い方を知ってしまえばなぜか迷わなくなるので不思議なものだ。
司は今日体験した出来事と比べてあまりにも何も起こらない電車にしみじみしながら、自宅がある最寄り駅に辿り着くことができた。
だんだんと日が長くなって来たとはいえ、もう空は真っ暗で、駅前のネオンが家路を急ぐ人達を照らしている。
司も美少女二人を連れて帰宅する人の波に混じった。
当然あのビルの間の道は使わずに、大通りからわき道に入り、住宅地の中を進んだ。
程なくして目的地に着くのだが、先頭を行く司はその玄関先でピタリと立ち止まる。
「ちょっと、家の様子を確認してきてもいいかな?」
「なんでよ。何かやましい事でもあるの?」
「変な本があっても、私は気にしませんよ?」
「そんな物があったら……、穴開けてやるわ」
千雨は黒のレザーコートから背がギザギザにサバイバルナイフを取り出してこれ見よがしに見せ付ける。
「ちがうちがうちがう! ってか穴開けるのは本のほうだよね? 俺じゃないよね?」
「ふんっ」
司はサバイバルナイフをレザーコートの中に収めるのを確認してから、
「部屋はちょうどこの前掃除した……とかじゃなくて、さすがにもうこんな時間だし、親に説明くらいはしておかないと、と思って」
「でもおかしくありませんか? ここが司さんのご自宅なんですよね? ……明かり、付いてませんよ?」
司はリディアと同じく、リビングの窓に視線を向けた。
背の低いブロック塀の内側に植物が植えられているので覗きにくくなっているが、確かにリビングだけとは言わず、家に人の気配が無い。
司の脳裏には最悪の考えが浮かんでしまった。
まさか家族に……。
司は家の門を乱暴に開けて玄関ドアに駆け寄った。
震える手で財布の中から鍵を取り出すと、小銭を撒き散らして地面に落ちる財布を無視してドアを開けた。
ドアを開けた先、ゆったりとした玄関、二階に続く階段、廊下には誰も居ない。
外から見た通りに電気も付いておらず、司は靴を脱ぐのも忘れてリビングに踏み込んだ。
誰も居ない。
暗い室内を見渡しても大きく変わった様子は無い。唯一、電話機が赤いランプを点滅させていた。
電話機にすがりつくようにした司は震える指でどうにかボタンを押して、保存されたメッセージを再生させた。
「つかさぁ! さやかぁ! お父さんは今、ママと思い出の旅館にいまーす!(もう、よっぱらいすぎですよぉ~) かたいこと言わないのぉ~! 結婚記念日なの~ぉ。(はいはい) だから、あしたのよる帰ってくるから~ぁ、それまでいい子にしてなさ~ぃ。おかねをテーブルの上においておくから、それでさやかとあしたのばんめしまでもたせるようにぃ! っじゃ!(ちゃんと食べるんだよ)」
後にはツーツーと無機質な機械音が鳴っていた。
「さやかって誰?」
ゆっくりとやって来た千雨が背後から話しかけた。
「俺の妹だが……」
「その妹さんはどこに居るの?」
「い、いま携帯とって来る!」
「まず先に靴を脱いできたら?」
「そ、そうだったな」
司はバタバタとせわしなく自室へと向かっていった。
――――。
「結論から言うと、両親は旅行で、妹は友達の家にお泊りだそうです」
「ご家族が無事で本当によかったです」
「心配しすぎよ。確かにあんたはマークされてもおかしくないけど、いくらなんでもこんな短時間で個人を特定してどうこうってのはありえないわ」
「で、でもだな」
「はい、はい」
千雨はおざなりな返事をした。
明かりが灯ったリビングでの話し合いで決まったことは以下の通りだ。
一、今晩千雨とリディアが司の自宅に泊まり、明日の朝に支部に戻る。
二、司の現状を知るために明日の昼に彼女達と市街地で待ち合わせ。
三、テーブルの上のお金は明日の経費と称して接収される。
「その代わりと言ってはなんですが、サービスさせてもらいますっ」
そう張り切るリディアは腹ペコな司をなだめて台所に立つ。
彼女のあまりの手際のよさに、包丁の代わりにサバイバルナイフを使おうとした千雨は追い出されるようにリビングに戻ってきて、おとなしく司とテレビを眺めながら待った。
彼女は冷蔵庫の中にあったあり合わせの食材で、クリーミーでスパイスが効く香りのする美味しそうなシチューを作りあげてしまった。
「さぁ、どうぞ召し上がってください」
司は空っぽの胃に急かされてスプーンで具の肉と一緒にシチューを口の中に流し込んだ。
「おいしい……」
「本当ですか?! 司さんのお口に合うか心配でしたが、安心しました。 おかわりもありますので、いっぱい食べてくださいね」
司は呷るようにシチューをお腹いっぱいに平らげた。
そうして、次なる行動に移るのだが、
「お風呂沸かすけど、二人も入るよな?」
「そうね、頂こうかしら」
「でも、着替えはどうしましょうか? 同じ服を着てしまうのはちょっと……」
女の子にとって大きな問題だった。
今日はあれだけ動き回ったのだから、お風呂には入りたい二人だった。
「そうだ。あんた妹さんが居るんでしょ? 服、貸してもらえないかな?」
千雨とリディアの体を順番に確認して、司はためらいながら言う。
「妹って背が低いからさ、着れないと思うんだ……。その……、リディアなんて特に胸の辺りが……。でも、嘉陽さんだったら丈を気にしなければ着れないこともないかも……。ほ、ほら、嘉陽さんってスレンダーでまるでモデルみたいな体型だから、あの、その……」
司は黒いレザーコートの中に手を忍ばせて睨む、女の子であるがゆえの千雨の切なるプレッシャーに負けて、最後まで言い切ることができなかった。
たじたじな司に千雨はあきらめたように言う。
「まったく……。まぁいいわ。……それよりも、ずっと気になってたんだけど、嘉陽さんってのは止めてもらえる? なんか背中が痒くなりそうだから、……千雨でいいわよ」
「わ、分かったよ、千雨ちゃん」
「むっ!」
「分かった! だから止めて! 千雨!」
千雨は再度コートの中に腕を伸ばそうとするので、司は必死になって止めた。
「ん、でも困りました……」
どこ吹く風のリディアは頬に指を当てて、ぜんぜんそうは見えないが困っているらしい。
「服は洗濯したら明日の朝には乾いてると思うけど、それまでよかったら俺の服でも貸そうか?」
リディアは思いついたように手をパンと鳴らして、
「そうですね、司さんの服をお借りしましょう。ね、千雨ちゃん?」
「まぁ、それしかないなら……」
しぶしぶといった様子で千雨は納得する。
「ではお風呂は私が洗っておきますので、司さんは私たちが着れそう服とタオルなんかを用意していただけますか?」
「ああ、分かった」
司は自室に戻ると、タンスの中身をごぞごそとやって、彼女達が着れそうな服をてきとうに見繕った。
ちょっと多めに選んだ服を抱えるようにリビングに持ち帰ると、千雨が待ていた。
「あんなが私達に何を着せようとしてるのか確認しないといけないと思うの。内容次第によっては……」
司はある意味、ハーネスと退治したときのような緊張感を味わっている。
こんな事になるのは予想できたのだから、もょっと真剣に選ぶべきだったと後悔しながら、抱える服をその場にそっと下ろした。
「あ、司さん。持って来てくださったのですね」
ちょうど袖をまくったリディアもその場に戻ってきて、二人はこれから着る服を選びはじめた。
「どれどれ……。ん? ちょっと、あんた……」
怒りを通り越して呆れる千雨は山盛りの服の中から布切れを摘みだした。
「いくら私達に着る下着が無いからってこれは……、無いんじゃない?」
汚らしいものを見るような目をした彼女のその指先には、司のパンツが摘まれていた。
「つ、司さんはそういうご趣味の方だったんですね……。そういうのはまだ早いというか……。もうちょっとお互いを知ってからでないとっ……」
赤くなっているリディアのその言葉が司の頭の中でグルグルと回りだして、中心の渦に吸い込まれてから司は我に返った。
「ちょ、そんなわけあるか! どう考えても紛れ込んだだけだろう!」
「ふんっ、どうだか。 馬鹿と変態は紙一重って言うし」
千雨は指に摘んだパンツを司に投げつけた。
そして、司が以前使っていた青いジャージをこの中で言えば、といった風に選んだ。
リディアはあれやこれやと試行錯誤の末に、こっちは本当に司がほんのすこしの淡い期待を抱いて潜ませておいたソレを選び抜いた。
「これなんてどうでしょう……? 司さんもこういうのお好きですよね?」
純潔を表したかのように真っ白な生地に、整った襟がちょっとまじめな印象を与えてくれる、ワイシャツだ。
リディアは広げたワイシャツを体に当てて司に見せた。
「どうです? 似合ってますか?」
「う、うん。とっても……」
こんなにうまくいくなんて思っても見なかった司は心の中でのガッツポーズも忘れて、素の返事をしてしまった。そのおかげで、かがわしい思惑を悟られずにすんだのかもしれない。
その後、リディアがどこから仕入れた知識なのか、こういう場合のワイシャツは単体で着用が基本です、などと言うものだから、こればっかりは司も千雨と一緒に止めに入った。
本気だったのか冗談だったのか、最終的に折れたリディアは無難にパジャマ代わりに司が使っていたネズミ色をしたスウェットの半ズボンを着てくれることになった。
千雨が今日運転した四駆車がいかに運転しにくく、どれほど自分の趣味に合わないかを熱弁しているうちに、お風呂が焚けた合図の電子音が聞こえた。
「な、あなぁ千雨。お風呂焚けたみたいだぞ? ど、どうぞお先に……」
「そうですね。千雨ちゃん? お風呂、一緒に入りましょう」
「そうそう、石鹸とか一通り置いてあると思うから、好きに使ってくれてかまわないから、ごゆっくりっ」
エンジンが温まってきた千雨を止める口実に二人は話をあわせた。
「ん……、そうね。この話の続きは機会があればしてあげるわ」
言いたい事をほどほどには言い終えていた千雨は話を終えてくれた。
しかし、司にとっては次なる問題が立ちふさがる。
「でもそうなると……、私達が入った後に、あんたが入るって事になるのよね……。 それってどうなの? いや、つまり。……あんた、変なことしないわよね?」
「するかっ! だいたい変なことって何だよ?!」
目がグルグル回っている感じの千雨は止まらない。
「ほ、ほら、あんたの変態が暴走して、美少女二人の残り湯を使って……」
「使って?」
「……アレやコレよ」
言いにくそうな千雨は顔を隠すようにうつむいて、どうにかして声を絞り出した。
「いや、それじゃぜんぜんわかんないしっ!」
「だ、だからぁ! って、何言わせようとしてるの!」
千雨らしからぬ慌てぶりに、笑いをこらえるリディアが助け舟を出した。
「もう。千雨ちゃん、わがままはいけませんよ。そもそも司さんはそんなことをする人ではありません。たとえ司さんが残り湯でアレやコレをしたとしても、一宿一飯のご恩があるのですから、そのくらい我慢しなくてはいけませんよっ」
「や、やっぱりっ!」
悲痛な顔を引きつらせる千雨は司に向き直って身を構えた。
「いやいや、しないから。しないからね?! リディアも、もうシャレになってないから!」
そんな事があって、リディアは無理やり千雨の背中を押してバスルームへと向かう。
司はお風呂に入っている二人のシャワーがザーザーと床を叩くかすかな音にドギマギしながら、ソファーの上で落ち着かない時間を過ごすことになった。
そうして、バスルームの扉が開いてリディアの声が聞こえた。
「司さーん、よりしければ髪を拭くための新しいタオルを持ってきてはいただけませんか?」
司は言われた通りにバスタオルを持ってバスルーム前の洗面所の扉の前まで来た。
「ちょっと待て待てまって!」
扉越しに千雨が慌てている。
「あんた、いきなり開けたりしないでしょうね? その最後の光景を目に焼き付けて地獄へ落ちたいのなら止めないけど」
「はいはい、もちろんそんなことはいたしませんよ」
「ウフフ」
面白がるリディアだが、結果によっては笑い事では済まされないという司の危機感はどうやら汲み取ってはもらえないようだった。
そうして、自然と洗面所の扉の方から開く。
清潔な石鹸の香りと、わずかに甘くてほのかに酸っぱい少女の香りが鼻腔をくすぐり、ぬれぼそった二人の少女が姿を現した。
面白くなさそうに、なぜかもぞもぞとしてしている千雨は、その長い黒髪が濡れたことでよりいっそうの艶がでていた。
乱れた髪形とジャージという少しだらしない普段着という格好が、彼女の隠されたあられもない姿という一面を演出していた。
リディアはなんといっても、体から立ち昇るお風呂上りの湯気によって雪のように白く透き通る肌に薄いワイシャツが張り付いて、ひそかに主張をする双丘が浮かび上がっているかのように、……見えた!
体のラインが見えてしまうくらい透けているワイシャツは、リディアの少女からの確かな成長をまざまざと見せ付けてくれた。
この二人は、付けてないんだよな……。
司は思わず気持ちが高鳴り、頭がくらくらしてしまいそうだった。
「なーにじろじろ見てるのよ」
千雨はきれいにジト目なその瞳を司に向けた。
「あ、はいこれタオルね」
リディアが受け取った。
「ありがとうございます。ところで、洗濯機は使わせていただいてよかったのでしょうか?」
「もちろんかまわないよ」
「ありがとうございます。では、司さんもごゆっくりどうぞ」
扉が閉まるその時まで、千前のチクチク刺さるような視線を受けた司も風呂に入る。
ああは言ったものの、さすがに意識しないでいる事など無理だと司は思う。
それでも変態が暴走することは無く、いつも通りに肩まで浸かって一日の疲れを洗い流した。
ちょっと深めに浸かったのは内緒だ。
司がタオルで頭をゴシゴシしながらリビングへ踊ると、リディアが千雨の髪を梳いていた。
「司さん。お湯は大丈夫でしたか?」
「ああ……」
静かに座する千雨の、ジャージ姿ではあるが、だからこその日常というのを意識してしまう彼女の長い黒髪を、一房手に取り丁寧に優しくクシを流すリディア。
二人の少女の情事が一枚の絵のように完成された美しさを司に見せるものだから、司は言葉をなくした。
その絵の中に自らを溶け込ませるように司はソファーに座り、二人を静かな気持ちで見守った。
決して穢してはいけなく、絶対に壊してはならない。必ず守るためにあるのだと、そう思う。
「司さん。そんなに見つめられては照れてしまいますよ……」
リディアの遠慮がちな声で司は我に返る。
「ごめん……」
そうして、司は気づいた。リディアの繊細な白い手が傷後だらけである事を。
過酷な戦いの中に身を置く彼女達を強く意識してしまう。
その視線を感じ取ったリディアは、髪を梳く手をワイシャツの袖の中に隠してしまった。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
「……私こそ、司さんがあまりにも見つめるものだから、変に意識してしまって……」
再び千雨の黒髪の上にその手を滑らすリディアは、からかうようにいつもの調子で言った。
「司さんは、こんな手をした女の子はお嫌いですか?」
「いや、リディアは可愛くて素敵な女の子だよ」
髪を撫でる手が明らかに乱雑になったリディアに気づいた千雨はゆっくりとまぶたを開き、その黒髪と同じ色をした黒い瞳で司を見た。
「リディアはエンジニアだから」
そう言うと再びまぶたを閉じて、まだ少しぎこちないリディアのクシに身を任せた。
「エンジニアって……、技術者とかそういうの?」
「そうですね。その認識で間違いではありません。私はこう見えても機械いじりが得意なんです。……ちなみに、千雨ちゃんはアサルターです。前線を任せたら、千雨ちゃんの右に出る人なんてそうはいないんですよ?」
「ほー、そうなのか」
なんとなく見た目どおりなんだなと司は思った。
「ところで司さん。私達はどこで寝ればよろしいのでしょうか?」
「あ、ごめん。考えてなかった」
「もう、司さんってあやまってばかりですよ」
「そうは言っても、ベットはどうやってもこの家に四つしかないけど……。来客用の布団なんてあったかな……?」
司が和室の押入れを確認しようと立ち上がると、
「いえいえ。私達はせめて毛布でもあれば、ここのリビングで十分ですので」
「おいおい、そういう訳にはいかないだろ」
どこかでしたやり取りだと感じる司はここで妥協案を出す。
「妹のベットは二人で寝るにはちと小さいと思うから、俺のを使ってくれよ。俺はソファーで寝るから」
「お気持ちはありがたいのですが、ご迷惑をおかけするわけには……」
どこまでも丁寧なリディアに司は食い下がる。
「女の子をリビングに寝かせて俺だけベットで寝るなんてできないよ! そんな事したら逆に寝れなくなるよっ。俺のためと思って、俺のベット使ってくれ」
互いに譲らない二人を見かねた千雨がすくっと立ち上がって司に言った。
「あんたの部屋はどこ?」
「二階上がってすぐの部屋だけど……」
「私達はあんたの部屋で寝るから、あんたはここで毛布でも抱えて寝なさいっ」
「は、はい……」
今度は千雨がリディアの背中を無理やり押してリビングから出て行った。
司は納得の行く結果にはなったが、どこか釈然としないままに毛布を取りに和室へと向かう。
彼女達と出会った、長い最初の一日が終わった。