5、セーフハウス
連行といって差し支えない司が連れてこられたのは、かすかな潮風が届く港地区。
きれいに区画整備された道路に囲まれた工場や倉庫が立て並ぶ一角に、こじんまりとした所に建てられた、建設現場でよく見るような二階建ての簡素なプレハブがあった。
一階部分はガレージになっているようで、大きなシャッターが下ろされていた。
建物の裏側にまわって、鉄の階段を三人連なりカコンカコンと音を鳴らしてあがった。
ドアの前に立ったリディアはパーカーに付いたお腹のポケットから銀の輪にまとめられた鍵束を取り出す。
「これかな? これだったかな? ――あったあった!」
ガチャガチャと鍵をとっかえひっかえして探し当てた鍵を使って、擦りガラスが付いたステンレス製の軽そうな扉を開けた。
部屋の中央には背の低い木製のテーブルと、それを挟んでソファーが一組。
通りを一望する窓と、雑貨が入った大きめの棚がひとつ。
奥には最低限の設備があるキッチンと、おそらくシャワールームがあった。
建物の外観と同じくらい質素な室内だった。
司は部屋をきょろきょろと見回しながら落ち着かない。
千雨はソファーにどかりと座り込むと、司にも座るよう手で促した。
なんとなく千雨の正面に座りにくい司は、テーブルを挟み彼女の正面より少しずれた位置に腰掛ける。
ソファーに腰をなじませるように揺り動かす司に、傍らに立つリディアが話しかけた。
「ひとまず、司さんの身元の確認が取れました。問題は無いと言われましたので、ケースの受け渡しがすみ次第、保護という名目で一緒に支部までご案内いします」
「そうか。俺としては身を匿ってくれるのであれば何でもいい」
「はい。では、司さんはコーヒーとお茶、どちらになさいますか?」
「えぇっと……、お茶で」
「よかった。実はコーヒーは置いてないんです」
そう言うと、キッチンへと向かうリディア。
司は選択肢の無い質問をされたことが気になるところだが、千雨が話しかけてくる。
「ところで、どうして司はあんなところに居たのよ。あそこは通行止めだったでしょ?」
「んー。みんな通ってるぜ? 通行止めなんてあって無いようなもんだ」
「そのせいであんな目にあったんだから、これからは余計なことに首を突っ込むのは止めることね」
「なんだよ。だいたいそれを言うなら……、まぁ助けてもらってこういうのもなんだが、もうちょっと早めに出てきてくれてもよかったんじゃないのか?」
「プッ」
何がおかしいのか、キッチンから丸いお盆に紙コップに入れたお茶を三つ乗せたリディアが小さく吹きだしながら戻ってきた。
茶を配る彼女のにこやかな笑顔は清涼剤のように司の心に染み渡る。
「それはですね、千雨ちゃんったら、ひどく慌てるものだから隣のビルに入っていったんですよ? 私必死で止めたのに」
千雨はバツの悪そうにそっぽを向く。
「もう、その話はいいでしょ? そのおかげで、こいつを回収できたんだから」
千雨はテーブルの上においてあった件のアタッシュケースを細い指先でペチペチと叩く。
「そうそう。それって何が入ってるんだ?」
「さぁ。私たちも独自に追っていたところを、本当にたまたまだったし。けど中身は大体予想は付いているんだけど……。あなたがそれを見ちゃったら、本当に引き返せなくなるかも知れない物が入っている可能性が大よ?」
「もう千雨ちゃん、脅かしすぎだよ」
リディアはお茶を三つ各自のに置いて千雨の隣に座った。
テーブルの上のアタッシュケースを自らのところに引き寄せて、おもむろにパッチンを外そうとする。
「どれどれ……。んっ。――やっぱり、開いてないか」
「当たり前よっ」
「でも私こういうのも得意だから、ちょっと任せてみて?」
「そんな風に言うリディアはあまり信用できないのよね」
リディアはお腹のポケットに手を入れてゴソゴソ探り、手のひらサイズの細長い金属片を取り出した。
それを鍵穴に差込み、グリグリいじくりまわした。
<カチャッリ>
「あっ(リディア)」
「あっ(千雨)」
「あっ(司)」
錠前が回った抜けたような金属音が鳴った。
「あ、開いちゃったね」
一番意外そうな顔をしたリディアは苦笑い。
「ちょ、ちょっと、本当にいいの?」
「千雨ちゃんは心配性だな~。開いちゃったんだもん。どっちにしても、中を見てみないと始まらないよ」
「開いちゃったんだもんって……」
付いていけない司と困惑する千雨をよそに、リディアはアタッシュケースの中身を改める。
鏡のような光沢を放つ金属に蓋ををされた円筒状のガラスケースが一本、やわらかそうな布に包まれて、くり抜かれたスポンジの内に収められていた。
ガラスケースの中の小さな空間には、淡いベージュ色の内容物を有したシャーレが固定されて入っていた。
「これは予想以上にヤバァイかもね」
「もしかすると……、細菌とかウィルス的な何かなのか?」
空けてしまった張本人のリディアは終始無言で中を改めて、――静かにケースを閉じた。
「これは私達ではどうすることもできませんし……、特に司さんは見なかったことにしておくのがいいのかなって思いますっ!」
張り付いた笑顔のまま勢いでごまかそうとする。
「ん。じゃ俺は何も見なかったということで……」
それ以降の会話が無くなる。
やはり彼女達は中身に対して心当たりがあったのか、ガラスケースを見る前と後では表情に違いが出ていた。
千雨はこれがもたらす最悪の結末に対しての恐れと、それによって自らの決意を再確認する。
自分の存在意義を見つけ、それを実行できるだけの訓練と経験を積んだつもりだった。
リディアはもしこれが思っている物だとするならば、繋ぎ合わせた点と点を結んだ先に居る彼を思わずにはいられなかった。
認めたくない、どこかに間違いがあって欲しいと願った。
司がお茶をすする音が狭い部屋で大きな音を立てている。
――だから、このプレハブの前に停まった車のブレーキ音もよく聞こえた。
突如、窓ガラスが割れて破片が部屋に飛び散った。
反対側の壁には銃弾が次々に突き刺さる。
外からはものすごい数の弾けるような銃声が鳴り続き、この部屋が銃撃を受けていることを知らせていた。
「うわ! なんだ!? 一体どうなってんだっ」
司は外の状況を確認するべく窓へと近寄ると、
「ちょっと何やってるのよ!」
千雨にズボンをつかまれ引き倒された。彼女は目を回す司に乗り掛かって怒鳴った。
「この銃声が聞こえないの?! 死にたくないなら、ここでおとなしく這いつくばってなさい!」
千雨とリディアは置いてあるお茶に構わずテーブルを盾にするように横に倒した。
司も後を追うようにその陰に言われたままに這いつくばった。
「リディア! パイナップル持ってる?」
千雨は銃弾飛び交う中、身を低くしながら大きめの棚と壁の隙間に手を入れて、壁に足を掛けて踏ん張る。
「さすがに今は持ってないかもっ!」
できた隙間に腕を伸ばして、中からアサルトライフル[M4A1]を二丁引っ張り出した。
片方をリディアへと投げて渡して、二人の少女は応戦を開始する。
司は目の前で勇敢に銃撃戦を行う二人に対して尊敬の眼差しを向けずにはいられなかった。
何時いかなる時でも失わない冷静な判断力と迷わない決断力を持ち、危険に対しても真正面から勇敢にぶつかる彼女達ば、どんな事でもやってのけてしまうのではないのかという期待と信頼をさせてくれた。
銃声の波が次第に緩やかになっていき、威嚇するような破裂音が途切れ途切れに聞こえるだけになった。
千雨にはそれが納得できない。
「おかしい……。なぜやつらは中に踏み込んでこない?」
それを聞いたリディアは何かに気づいたようにハッと息を呑み、お腹のポケットから小さな手鏡を取り出し頭上にかざして外の様子をうかがう。
「大変! 千雨ちゃん、あの人達花火使うみたい!」
「チッ……」
千雨が短く舌打ちをする。
「おぉい、花火って何だよ!」
司の疑問を無視して二人は生き残る術を模索する。
「リディア、下の車って使えるかな?」
「え!? でも下に行くには一度外に出ないと」
「そんな時間は無い! リディアはここの処理をお願。私はっ!」
千雨は部屋の隅に素早く移動して、床に対してアサルトライフルをフルバーストでぶっ放した。
マガジンに残った弾を全て打ちつくした千雨は床を思いっきり踏み抜き、くりぬいた床と一緒に一階へ落ちていった。
「さあ、司さんもあそこから下に移動して車に乗ってください!」
いつの間にかダッフルバックを担ぎ拳銃を手にしたリディアは呆然としていた司を引きずるように引っ張って千雨が作った穴に放り込んだ。
「ぐあっ」
かっこ悪く落下した司は幸いにも積み上げてあったタイヤの上に落ちた。
打った太ももをさすりながら起き上がると、千雨が車高の高い燃費の悪そうな紺色の四駆車のエンジをかけたところだった。
「司さん、速く乗って!」
いつの間にか一階に下りていたリディアは担いでいたダッフルバックを後部座席に放り投げると、車の正面のシャッターへと駆け寄る。
司は四つんばいのような格好で慌てて後部座席のドアに飛びついた。
それを確認したリディアは勢いよくシャッターを上に押し上げた。
薄暗いガレージにまぶしい光が差し込む暇も無く、千雨は四駆車をシャッターが上がりきる前に急発進させた。
「おい! リディアは?!」
車が加速するGを全身で受けた司はそう叫ぶと同時に、ズボンッという発射音を聞いた。
リディアは司が乗り込んだ反対側の、ダッフルバックを入れた時に開け放たれたままだった、走り出した車のそのドアを、屈んで避けると同時に車内に飛び込んだ。
リディアが鏡で外を確認してから二十秒の早さだった。
<ズドーン>
打ち込まれた無反動砲は司たちが居た部屋を木っ端微塵に吹き飛ばし、爆風は薄い壁を簡単に突き破った。
大部分が崩れたプレハブは建物としての機能を失い、全体が押しつぶされるようにゆっくりと崩壊していった。
音の衝撃波に驚く司が思わず頭を抱えて座席にうずくまっている間にも車は加速を続ける。
「はい。私ならお隣に居ますよ」
リディアの返答に答える余裕など司には無かった。
「アレだけ派手にやれば、さすがに追ってはこないでしょ」
アクセルを踏み込みハンドルを切る千雨には安堵の表情が見える。
「そうですね。協定にも違反しますし……。彼らが誰の命令で、何の目的があったのかが気になりますね」
「目的ってのは……。おそらくあのケースね」
「やはりそうでしょうか……」
対向車も無い広い道路をスピードを出して逃走する四駆車の中で、司はようやく我へと帰った。
「今回は死ぬと感じる暇も無いくらい忙しなかったよ」
本心だったが、まさか二人に見惚れている間に終わっていただなんて事は言えない。
「床で丸まっていただけの癖に偉そうね」
その通りだし、反論するとややこしくなりそうな司は甘んじてその謗りを受けた。
建物が後ろへと駆け抜ける中、フル回転するエンジン音が響く車内で千雨がささやく。
「ゲッ、ウソでしょ……。追ってきてる!」
千雨の呆れたような悲鳴をを聞いたリディアはダッフルバックの中身を漁りだした。
「やっぱり、これはハーネスの差し金じゃない見たいね」
千雨の推論にリディアも同意する。
「彼程の立場の方が協定を破るとは考えにくいですし、第三勢力と見るのが正しいのかもしれません」
混乱する司は、運転する千雨と迫る黒いバンと隣でダッフルバックの中身を確認するリディアとを見比べて、
「協定って何だよ! どうすんの?!」
「協定っていうのは、中立の国では派手なことはしないでおきましょうねっていう取り決めのことよ」
千雨は司にも追っ手にもしょうがないといった感じで相打った。
「どうするのと言われれば、もちろん戦うしかありません!」
リディアはサブマシンガン、[MP5k]手にして頼もしいことを言ってくれた。
「それじゃ、このまま郊外に飛ばすよ」