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婚約破棄ですか?では、真実の愛の代金をお支払いください

作者: 浅葱きしろ
掲載日:2026/06/09

選んでいただきありがとうございます。

ゆるっとふわっと設定も多いと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

「アメリア・ヴァレンタイン!貴様との婚約は、本日この時をもって破棄とする!」


 きらびやかなシャンデリアの下、大理石の床に響き渡る声。

 王宮での夜会、その中央で大見得を切ったのは、我が国の第二王子シザーズ・ルミナス殿下だった。


 私は、手にしていたグラスを落とさないよう、指先に少し力を込めてから、ゆっくりと顔を上げた。見事な怒り顔だ。眉間に深く刻まれた皺、怒りで赤く染まった頬。大口を開けて怒鳴ったせいで、喉の奥まで丸見えになっている。ついでに言うと、飛沫が少し私のドレスにかかった。


(……お行儀の悪いことで。クリーニング代もしっかり請求書に乗せておきましょう)


 内心の嫌悪を完璧に押し殺し、私はすっと視線を伏せた。まつ毛を小さく震わせ、まるで世界が崩壊したかのような絶望に満ちた表情を作る。

 胸元に両手を添え、肩をすぼめる。


「殿下……。何かの、お戯れでしょうか?私が、何か不手際を……?」


 声をわずかに掠れさせ、涙をこらえるように唇を噛む。

 見物していた貴族たちから「おお……」「なんてことだ……」と、同情の囁きが漏れ聞こえてくる。


「戯れなものか!貴様が裏で、この愛らしく健気なルルにどれほどの嫌がらせをしてきたか、すべて調べはついているのだ!」


 シザーズ殿下がその太い腕で抱き寄せたのは、薄桃色のドレスをまとった小柄な少女――男爵家の庶子とされるルルだった。

 ルルは大きな瞳に涙をいっぱいに溜め、シザーズ殿下の胸元に顔を埋めるようにして震えている。


「怖かったです、シザーズ様……。アメリア様に睨まれるたび、私、夜も眠れなくて……」


 ルルの細い肩が哀れっぽく揺れる。 その様子を冷ややかに見つめながら、私は心の中でその一挙手一投足を観察していた。


(……なるほど。あのような可憐な震え方が、殿下のような御方の庇護欲をそそるのですね。今後の参考にいたしましょう)


 そもそも、この婚約は最初から「不良債権」だった。第二王子シザーズはプライドが高く、無能で、直情的。アメリアという優秀な婚約者がいることにコンプレックスを抱き、常に自分のプライドを満たしてくれる「弱くて都合の良い女」を探していた。ヴァレンタイン家としては、王室との繋がりは欲しいが、この男が将来さらに浪費を重ね、我が家に際限なく頼り続けるリスクを考えると、どこかで「損切り」する必要があったのだ。


「アメリア、貴様のような冷酷で、金の計算しかできない女は王太子妃にふさわしくない!私はルルと『真実の愛』を誓う!貴様は、これまでの罪の償いとして、修道院へ行くがいい!」


 シザーズ殿下は勝利を確信した笑みを浮かべ、私を見下ろす。私は、両手で顔を覆い、すすり泣くフリをした。指の隙間から見える殿下の顔は、じつに滑稽だった。


(修道院?行くわけがありませんわ。私の行く場所は、商会の最上階にある執務室だけですもの)


 私はゆっくりと手を下ろし、まだ涙で濡れている(ように見せた)瞳で殿下を見つめた。


「そこまでおっしゃるのですね……。殿下の御心がすでにその方にあり、私の存在が殿下を苦しめているのであれば……私は、この婚約をお返しいたします」

「ふん、物分かりが良いな!潔く罪を認め、ルルに謝罪せよ!」

「はい。ですが、殿下。婚約の解消は、国家の法に関わる重大な事柄です。後顧の憂いをなくすためにも、こちらに署名と、魔力印をいただけますでしょうか?」


 私は、袖の中からあらかじめ用意していた一枚の羊皮紙を取り出した。それは、ただの婚約解消の合意書ではない。極細の文字で、裏条項がびっしりと書き込まれた『特別契約書』だ。


「なんだそれは?まあいい、どうせ婚約解消の書類だろう!」


 シザーズ殿下は、内容を一行も読むことなく、乱暴に私の差し出したペンを奪い取った。そして、自分の名前を走り書きし、親指に魔力を込めて紙の端に押し当てた。眩い光が走り、魔力印が定着する。これで、この契約は神と法によって絶対に違えることのできない「不可逆の魔導契約」となった。


「これで満足か!さあ、ルル、もう恐れることはない。これからは君が――」


 シザーズ殿下が、優しくルルの肩を抱き直そうとした、その時だった。


「――嬉しいですわ、シザーズ殿下!これで、私の『お仕事』がすべて終わりましたもの」


 ルルが、すっと殿下の腕を振り払った。その声は、先ほどまでの可憐な掠れ声とは打って変わって、ハキハキとした、実によく通る「大劇場のプロの役者」の声だった。

 ルルはドレスの裾を軽くはたき、シザーズ殿下から二歩、三歩と距離を取る。


「え……?お仕事……?ルル、何を言っているんだ?」


 シザーズ殿下の腕が、虚空を掴んだまま止まる。口は半開きになり、間抜けな顔がさらに間抜けになっていた。


「ええ。本日の舞踏会をもちまして、男爵令嬢ルルとしての役柄は無事にクランクアップとなります。お疲れ様でした、アメリアお嬢様」

「ええ、ルル。お疲れ様。とても素晴らしい演技だったわ」


 私はハンカチで目元の『偽物の涙』を拭い、すっと姿勢を正した。猫背を直し、顎を引く。背筋を伸ばした私の凛とした姿に、周囲の貴族たちが息を呑むのが分かった。


「特に、あの『夜も眠れなくて……』のシーン。観客である殿下の動揺を誘う、実に見事な間の取り方だったわ。劇団の特別ボーナスを上乗せしておきますね」

「ありがとうございます、お嬢様!夜な夜な二人で台本の読み合わせをした甲斐がありました!」


 ルルは嬉しそうに微笑み、私の隣に並んだ。シザーズ殿下は、交互に私たちを見つめ、首を左右に激しく振っている。


「な、何を言っているんだ?ルル、どうしたんだ?なぜそんな冷たい目で僕を見る?君は、僕の『真実の愛』では――」

「ビジネスですよ、殿下」


 ルルは、これ以上ないほど冷ややかな、美しいビジネススマイルを浮かべた。


「私はヴァレンタイン商会傘下『ルミナス王立大劇場』の看板女優、マリア・ベルンです。ルルという男爵令嬢は、今回のハニートラップ作戦のために作り上げられた、架空のキャラクターに過ぎません」

「は、ハニートラップ……!?作戦……!?」

「ええ。殿下が『婚約者をいじめる悪女』という舞台装置を欲しがっていらしたので、ご要望通りのシナリオをご用意いたしました」


 私は手元の羊皮紙を軽くパタパタと仰ぎながら、殿下に微笑みかけた。


「殿下、あなたがルルに貢いだあの数々の高級ジュエリー、あるいは王都の一等地にある別荘。あれらの購入資金は、どこから出たものか覚えていらっしゃいますか?」

「な、何だと……?それは、僕の個人的な……」

「いいえ。殿下個人の口座はすでに空でしたわ。ですから、我がヴァレンタイン商会の金融部門から、年利十五%の特別融資としてお貸し出しいたしました。保証人は、殿下ご個人です」


 私は懐から、もう一束の書類を取り出した。


「ルルが購入したとされるドレスや宝石は、すべて我が商会から購入されたものです。そして、それらは購入された直後に、ルルの手によって商会の倉庫へと『返品』され、売却代金はそのまま商会の利益としてプールされています。もちろん、あなたへの『請求書』だけを残してね」

「な、何を……そんな馬鹿なことが……!」


 シザーズ殿下の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「つまり、あなたは『手に入ってもいないプレゼント』のために、我が商会に多額の借金を重ねていたのです。その額、締めて金貨八万枚。さらに、先ほどあなたがサインされた『婚約解消合意書』の裏条項に基づき、王室側の有責による婚約破棄に伴う違約金が発生します」


 私は合意書の極細の文字を指差した。


「『王太子側の不貞、および有責行為による破棄の場合、王室はヴァレンタイン家に対し、国家予算の一割に相当する違約金を即時一括返還すること。また、これまでの持参金および無償支援金はすべて債務として処理し、即時返済を義務付ける』。魔力印が押された以上、これは法的な強制執行力を持ちます」


 静まり返るパーティー会場。貴族たちは、私たちが突きつけたあまりにも巨大な「数字」の前に、ただ圧倒されていた。国家予算の一割。そして、王太子個人の巨額の債務。これを一瞬で支払うことなど、破綻寸前のルミナス王室にできるはずがなかった。


「だ、騙したな!アメリア!こんな卑怯な契約、認められるか!無効だ!衛兵!この悪女を捕らえよ!」


 シザーズ殿下が狂ったように叫ぶ。しかし、誰も動かない。衛兵たちは、ただ直立不動のまま、入り口の方を見つめていた。


 コツ、コツ、と重々しい足音が響く。人混みが左右に割れ、そこから現れたのは、ひどく疲弊した表情の国王陛下と、我が父であるヴァレンタイン伯爵だった。


「父上!父上、聞いてください!このアメリアが、僕を罠に――」

「黙れ、この愚か者が」


 国王陛下の地を傷を隠すような声に、シザーズ殿下は弾かれたように口を閉じた。


「……ヴァレンタイン伯爵。この愚息が、多大な不敬と損害を与えたこと、深く謝罪する」

「滅相もございません、国王陛下。我が商会は、常に法と契約を遵守しております。今回は、ただ殿下が自発的に署名された契約に従い、債権を回収させていただくだけでございます」


 父は、優雅に一礼した。その目は、獲物を仕留めた冷徹な商人のものだった。国王陛下は深くため息をつき、シザーズ殿下を見据えた。


「シザーズ。お前がルルに貢ぐために、王宮の国庫から一部の金を流用していたことも、すでに伯爵の手によって調べがついている。王室の予算を私物化し、さらにこれほどの巨額の債務を国家に背負わせたお前を、これ以上王太子としておくわけにはいかん」

「え……?父上、何を……」

「本日をもって、お前を廃嫡とする。王籍を剥奪し、平民へと落とす。そして――」


 国王陛下は、私の方をちらりと見た。


「――ヴァレンタイン商会への債務返済のため、お前の身柄を伯爵家に引き渡す。完済するまで、過酷な労働に従事せよ」

「な、なんだって……!?僕が……労働!?嘘だ!ルル!ルル、助けてくれ!君の『真実の愛』である僕を、見捨てるのか!?」


 シザーズは床に両手をつき、絶望の声を漏らした。ルルは、それを軽蔑の入り混じった冷ややかな目で見下ろし、すっと避けた。


「何度も言わせないでください。ビジネスです。いただいたファンレターやプレゼントは、すべて商会の規定に従って処分させていただきますので、あしからず」

「あ、あああ……!」


 私は、冷ややかに彼を見下ろした。


「あなたの言う『真実の愛』とやらが、我が商会の提供する『ビジネスとしての演技』に過ぎなかったことは、この請求書が永久に証明し続けますわ。どうぞ、その冷めきった愛の対価を、汗水垂らしてお支払いになって」

「アメリア……!貴様あああ!」


 シザーズは床に両手をつき、絶望の声を漏らした。かつての婚約者の、これ以上ないほど惨めな姿。しかし、私の胸には悲しみも同情も一切湧かなかった。シザーズを廃嫡し、王室から莫大な違約金を回収する。これで、将来性のない第二王子の無駄な維持費を削減し、商会に莫大な一時金をもたらす「完璧な損切り」が完了した。


「お父様、ルル。行きましょう。次の事業計画の打ち合わせがありますわ」

「ああ、アメリア。今回の利益で、南部の魔導炉の買収を進めよう」

「はい。あと、ルルの次回の舞台の予算も、少し色をつけておきますね」

「やったー!お嬢様大好きです!」


 私たちは、呆然と立ち尽くす貴族たちと、床で泣き崩れるシザーズを後にし、大舞踏会を後にした。夜風が、火照った肌に心地よい。


「浮気までしなければ、考え直したのですけれど……」


 アメリアの声は夜風に乗って消えた。


「さあ、お嬢様。次はどのような『優良案件』を手がけましょうか?」

「そうね。まずは、目の前にある確実な利益から、美味しくいただくことにしましょう」


 私の頭の中で、心地よいソロバンの音が、再びチリンと鳴り響いた。

少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたなら嬉しいです。


もしよろしければ、ブックマークや☆評価(☆5だと更に更に喜びます。もちろん率直な☆評価お待ちしております)、感想などで応援していただけると、今後の執筆の励みになります。


ここまで読んでくださったことに、改めて感謝を。


※感想ありがとうございます!

すべて読ませていただいています。


返信は基本的に「ありがとうございます」で統一しています。

また、返信漏れやお時間をいただく場合もありますが、創作との両立のためご理解いただけますと幸いです。


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― 新着の感想 ―
あれ?第二王子? 第一王子はどうしちゃったんですか?
星五つじゃ! 喜ぶのじゃ! 王様もグルの様ですね。 厄介払い出来た様ですね。 女は現実を見、男は夢を見るって所でしょうか? シザーズと言う名の通り自分から自分の首を切りましたね。
魔法契約とやらがこの王国の法律よりも上位の物であればどんな理不尽な内容でも契約書をろくに読まずにサインをした王子が悪いね 現代なら理不尽な契約は法が上位にあるから認めないと裁判で違法の判決が出るだろう…
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