婚約破棄ですか?では、真実の愛の代金をお支払いください
選んでいただきありがとうございます。
ゆるっとふわっと設定も多いと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。
「アメリア・ヴァレンタイン!貴様との婚約は、本日この時をもって破棄とする!」
きらびやかなシャンデリアの下、大理石の床に響き渡る声。
王宮での夜会、その中央で大見得を切ったのは、我が国の第二王子シザーズ・ルミナス殿下だった。
私は、手にしていたグラスを落とさないよう、指先に少し力を込めてから、ゆっくりと顔を上げた。見事な怒り顔だ。眉間に深く刻まれた皺、怒りで赤く染まった頬。大口を開けて怒鳴ったせいで、喉の奥まで丸見えになっている。ついでに言うと、飛沫が少し私のドレスにかかった。
(……お行儀の悪いことで。クリーニング代もしっかり請求書に乗せておきましょう)
内心の嫌悪を完璧に押し殺し、私はすっと視線を伏せた。まつ毛を小さく震わせ、まるで世界が崩壊したかのような絶望に満ちた表情を作る。
胸元に両手を添え、肩をすぼめる。
「殿下……。何かの、お戯れでしょうか?私が、何か不手際を……?」
声をわずかに掠れさせ、涙をこらえるように唇を噛む。
見物していた貴族たちから「おお……」「なんてことだ……」と、同情の囁きが漏れ聞こえてくる。
「戯れなものか!貴様が裏で、この愛らしく健気なルルにどれほどの嫌がらせをしてきたか、すべて調べはついているのだ!」
シザーズ殿下がその太い腕で抱き寄せたのは、薄桃色のドレスをまとった小柄な少女――男爵家の庶子とされるルルだった。
ルルは大きな瞳に涙をいっぱいに溜め、シザーズ殿下の胸元に顔を埋めるようにして震えている。
「怖かったです、シザーズ様……。アメリア様に睨まれるたび、私、夜も眠れなくて……」
ルルの細い肩が哀れっぽく揺れる。 その様子を冷ややかに見つめながら、私は心の中でその一挙手一投足を観察していた。
(……なるほど。あのような可憐な震え方が、殿下のような御方の庇護欲をそそるのですね。今後の参考にいたしましょう)
そもそも、この婚約は最初から「不良債権」だった。第二王子シザーズはプライドが高く、無能で、直情的。アメリアという優秀な婚約者がいることにコンプレックスを抱き、常に自分のプライドを満たしてくれる「弱くて都合の良い女」を探していた。ヴァレンタイン家としては、王室との繋がりは欲しいが、この男が将来さらに浪費を重ね、我が家に際限なく頼り続けるリスクを考えると、どこかで「損切り」する必要があったのだ。
「アメリア、貴様のような冷酷で、金の計算しかできない女は王太子妃にふさわしくない!私はルルと『真実の愛』を誓う!貴様は、これまでの罪の償いとして、修道院へ行くがいい!」
シザーズ殿下は勝利を確信した笑みを浮かべ、私を見下ろす。私は、両手で顔を覆い、すすり泣くフリをした。指の隙間から見える殿下の顔は、じつに滑稽だった。
(修道院?行くわけがありませんわ。私の行く場所は、商会の最上階にある執務室だけですもの)
私はゆっくりと手を下ろし、まだ涙で濡れている(ように見せた)瞳で殿下を見つめた。
「そこまでおっしゃるのですね……。殿下の御心がすでにその方にあり、私の存在が殿下を苦しめているのであれば……私は、この婚約をお返しいたします」
「ふん、物分かりが良いな!潔く罪を認め、ルルに謝罪せよ!」
「はい。ですが、殿下。婚約の解消は、国家の法に関わる重大な事柄です。後顧の憂いをなくすためにも、こちらに署名と、魔力印をいただけますでしょうか?」
私は、袖の中からあらかじめ用意していた一枚の羊皮紙を取り出した。それは、ただの婚約解消の合意書ではない。極細の文字で、裏条項がびっしりと書き込まれた『特別契約書』だ。
「なんだそれは?まあいい、どうせ婚約解消の書類だろう!」
シザーズ殿下は、内容を一行も読むことなく、乱暴に私の差し出したペンを奪い取った。そして、自分の名前を走り書きし、親指に魔力を込めて紙の端に押し当てた。眩い光が走り、魔力印が定着する。これで、この契約は神と法によって絶対に違えることのできない「不可逆の魔導契約」となった。
「これで満足か!さあ、ルル、もう恐れることはない。これからは君が――」
シザーズ殿下が、優しくルルの肩を抱き直そうとした、その時だった。
「――嬉しいですわ、シザーズ殿下!これで、私の『お仕事』がすべて終わりましたもの」
ルルが、すっと殿下の腕を振り払った。その声は、先ほどまでの可憐な掠れ声とは打って変わって、ハキハキとした、実によく通る「大劇場のプロの役者」の声だった。
ルルはドレスの裾を軽くはたき、シザーズ殿下から二歩、三歩と距離を取る。
「え……?お仕事……?ルル、何を言っているんだ?」
シザーズ殿下の腕が、虚空を掴んだまま止まる。口は半開きになり、間抜けな顔がさらに間抜けになっていた。
「ええ。本日の舞踏会をもちまして、男爵令嬢ルルとしての役柄は無事にクランクアップとなります。お疲れ様でした、アメリアお嬢様」
「ええ、ルル。お疲れ様。とても素晴らしい演技だったわ」
私はハンカチで目元の『偽物の涙』を拭い、すっと姿勢を正した。猫背を直し、顎を引く。背筋を伸ばした私の凛とした姿に、周囲の貴族たちが息を呑むのが分かった。
「特に、あの『夜も眠れなくて……』のシーン。観客である殿下の動揺を誘う、実に見事な間の取り方だったわ。劇団の特別ボーナスを上乗せしておきますね」
「ありがとうございます、お嬢様!夜な夜な二人で台本の読み合わせをした甲斐がありました!」
ルルは嬉しそうに微笑み、私の隣に並んだ。シザーズ殿下は、交互に私たちを見つめ、首を左右に激しく振っている。
「な、何を言っているんだ?ルル、どうしたんだ?なぜそんな冷たい目で僕を見る?君は、僕の『真実の愛』では――」
「ビジネスですよ、殿下」
ルルは、これ以上ないほど冷ややかな、美しいビジネススマイルを浮かべた。
「私はヴァレンタイン商会傘下『ルミナス王立大劇場』の看板女優、マリア・ベルンです。ルルという男爵令嬢は、今回のハニートラップ作戦のために作り上げられた、架空のキャラクターに過ぎません」
「は、ハニートラップ……!?作戦……!?」
「ええ。殿下が『婚約者をいじめる悪女』という舞台装置を欲しがっていらしたので、ご要望通りのシナリオをご用意いたしました」
私は手元の羊皮紙を軽くパタパタと仰ぎながら、殿下に微笑みかけた。
「殿下、あなたがルルに貢いだあの数々の高級ジュエリー、あるいは王都の一等地にある別荘。あれらの購入資金は、どこから出たものか覚えていらっしゃいますか?」
「な、何だと……?それは、僕の個人的な……」
「いいえ。殿下個人の口座はすでに空でしたわ。ですから、我がヴァレンタイン商会の金融部門から、年利十五%の特別融資としてお貸し出しいたしました。保証人は、殿下ご個人です」
私は懐から、もう一束の書類を取り出した。
「ルルが購入したとされるドレスや宝石は、すべて我が商会から購入されたものです。そして、それらは購入された直後に、ルルの手によって商会の倉庫へと『返品』され、売却代金はそのまま商会の利益としてプールされています。もちろん、あなたへの『請求書』だけを残してね」
「な、何を……そんな馬鹿なことが……!」
シザーズ殿下の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「つまり、あなたは『手に入ってもいないプレゼント』のために、我が商会に多額の借金を重ねていたのです。その額、締めて金貨八万枚。さらに、先ほどあなたがサインされた『婚約解消合意書』の裏条項に基づき、王室側の有責による婚約破棄に伴う違約金が発生します」
私は合意書の極細の文字を指差した。
「『王太子側の不貞、および有責行為による破棄の場合、王室はヴァレンタイン家に対し、国家予算の一割に相当する違約金を即時一括返還すること。また、これまでの持参金および無償支援金はすべて債務として処理し、即時返済を義務付ける』。魔力印が押された以上、これは法的な強制執行力を持ちます」
静まり返るパーティー会場。貴族たちは、私たちが突きつけたあまりにも巨大な「数字」の前に、ただ圧倒されていた。国家予算の一割。そして、王太子個人の巨額の債務。これを一瞬で支払うことなど、破綻寸前のルミナス王室にできるはずがなかった。
「だ、騙したな!アメリア!こんな卑怯な契約、認められるか!無効だ!衛兵!この悪女を捕らえよ!」
シザーズ殿下が狂ったように叫ぶ。しかし、誰も動かない。衛兵たちは、ただ直立不動のまま、入り口の方を見つめていた。
コツ、コツ、と重々しい足音が響く。人混みが左右に割れ、そこから現れたのは、ひどく疲弊した表情の国王陛下と、我が父であるヴァレンタイン伯爵だった。
「父上!父上、聞いてください!このアメリアが、僕を罠に――」
「黙れ、この愚か者が」
国王陛下の地を傷を隠すような声に、シザーズ殿下は弾かれたように口を閉じた。
「……ヴァレンタイン伯爵。この愚息が、多大な不敬と損害を与えたこと、深く謝罪する」
「滅相もございません、国王陛下。我が商会は、常に法と契約を遵守しております。今回は、ただ殿下が自発的に署名された契約に従い、債権を回収させていただくだけでございます」
父は、優雅に一礼した。その目は、獲物を仕留めた冷徹な商人のものだった。国王陛下は深くため息をつき、シザーズ殿下を見据えた。
「シザーズ。お前がルルに貢ぐために、王宮の国庫から一部の金を流用していたことも、すでに伯爵の手によって調べがついている。王室の予算を私物化し、さらにこれほどの巨額の債務を国家に背負わせたお前を、これ以上王太子としておくわけにはいかん」
「え……?父上、何を……」
「本日をもって、お前を廃嫡とする。王籍を剥奪し、平民へと落とす。そして――」
国王陛下は、私の方をちらりと見た。
「――ヴァレンタイン商会への債務返済のため、お前の身柄を伯爵家に引き渡す。完済するまで、過酷な労働に従事せよ」
「な、なんだって……!?僕が……労働!?嘘だ!ルル!ルル、助けてくれ!君の『真実の愛』である僕を、見捨てるのか!?」
シザーズは床に両手をつき、絶望の声を漏らした。ルルは、それを軽蔑の入り混じった冷ややかな目で見下ろし、すっと避けた。
「何度も言わせないでください。ビジネスです。いただいたファンレターやプレゼントは、すべて商会の規定に従って処分させていただきますので、あしからず」
「あ、あああ……!」
私は、冷ややかに彼を見下ろした。
「あなたの言う『真実の愛』とやらが、我が商会の提供する『ビジネスとしての演技』に過ぎなかったことは、この請求書が永久に証明し続けますわ。どうぞ、その冷めきった愛の対価を、汗水垂らしてお支払いになって」
「アメリア……!貴様あああ!」
シザーズは床に両手をつき、絶望の声を漏らした。かつての婚約者の、これ以上ないほど惨めな姿。しかし、私の胸には悲しみも同情も一切湧かなかった。シザーズを廃嫡し、王室から莫大な違約金を回収する。これで、将来性のない第二王子の無駄な維持費を削減し、商会に莫大な一時金をもたらす「完璧な損切り」が完了した。
「お父様、ルル。行きましょう。次の事業計画の打ち合わせがありますわ」
「ああ、アメリア。今回の利益で、南部の魔導炉の買収を進めよう」
「はい。あと、ルルの次回の舞台の予算も、少し色をつけておきますね」
「やったー!お嬢様大好きです!」
私たちは、呆然と立ち尽くす貴族たちと、床で泣き崩れるシザーズを後にし、大舞踏会を後にした。夜風が、火照った肌に心地よい。
「浮気までしなければ、考え直したのですけれど……」
アメリアの声は夜風に乗って消えた。
「さあ、お嬢様。次はどのような『優良案件』を手がけましょうか?」
「そうね。まずは、目の前にある確実な利益から、美味しくいただくことにしましょう」
私の頭の中で、心地よいソロバンの音が、再びチリンと鳴り響いた。
少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたなら嬉しいです。
もしよろしければ、ブックマークや☆評価(☆5だと更に更に喜びます。もちろん率直な☆評価お待ちしております)、感想などで応援していただけると、今後の執筆の励みになります。
ここまで読んでくださったことに、改めて感謝を。
※感想ありがとうございます!
すべて読ませていただいています。
返信は基本的に「ありがとうございます」で統一しています。
また、返信漏れやお時間をいただく場合もありますが、創作との両立のためご理解いただけますと幸いです。




