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飴を食む。

作者: 最中庵
掲載日:2026/04/20

 記憶喪失飴。物騒な名前ではあるものの、人気の高い今話題の飴。味や色によって局所的に記憶を消すことができるのだ。用途としては、例えば記憶を消してやりたいゲームをもう一度やるとか。音楽にしろ、映画にしろ、本にしろ、そういう用途で使われることが多い。

 あまりにも便利な飴。だから僕は、この飴を悪用しようと思った。


「あなたは、誰?」


 想い人の記憶を、ほぼ全て消してしまえば僕に頼らざるを得なくなるから。


 □□□


 記憶喪失飴はバリエーションに富んでいて、効能は多岐にわたる。だから、各種を粉砕してから一つにまとめた。砕いてから欠片を拾い、まとめている分用量が減っているわけだから、しっかり記憶を消せるのか不安ではあった。けれど、別の人間を使って検証は終わっている。一人、完全に記憶を喪失してしまったけれど。安心してほしい。記憶喪失飴の事故を防ぐため、記憶再起飴というものもある。それを使えば、元に戻せる。

 目の前の想い人を見つめる。記憶再起飴を使う必要はなさそうだ。成功。僕に都合が良いように記憶を消すことに成功した。


「あれ、私、どうして……」


「大丈夫?」


「えっと……どちらさまで……?」


「え? 僕だよ。高一からずっと同じクラスでよく話してた、ほら」


「……ご、ごめんなさい。わからない」


「もしかして、記憶喪失?」


 高校入学からの記憶をすべて消してある。高校三年生に至るまでの、全てを。僕は、彼女とあまり話したことはない。それでも、彼女の全てに惹かれた。容姿はもちろんのこと、よく響く声、人をよく見る目、責任感が強いくせにちょっと抜けているところが多いその性格。何をとっても、僕は魅力的に見えた。恋人になろうとか、そういうことは思ってない。友達でいい。全てが終わったら記憶再起飴でこの”夢”はなかったことにする。だからこれは、僕が見たいと思った束の間の夢。好きだから、それを伝えるだけ。自己満で自己中心的な行いであることは理解しているけれど、伝えたいのだからしょうがない。


「記憶喪失って……私が?」


「うーん、この前、新鮮な気持ちで映画をもう一周したいからって、記憶喪失飴を使うみたいなこと言ってたじゃない? もしかしたら、それかも」


「記憶喪失飴って……え、じゃあ早く再起飴の方を飲まないと」


「あぁ、ちょっと待って」


「なに?」


「映画、新鮮な気持ちで見たかったんでしょ? 行こうよ。せっかく記憶が消えたのに、もったいない」


 僕は彼女の手を引く。彼女からしたら知らない男性から急に手を握られてしまったわけだから、とても驚いているようだった。目を瞬かせて、少し抵抗するように腕を引っ張られる感覚があった。警戒心をほぐすため「映画に行くだけだよ。記憶がないし、行こうとしていた映画、覚えてないでしょ?」と言ってみる。下心がないことがそれとなく分かったのか、やがて大人しくなった。

 胸が高鳴り、小躍りでもしたくなる。それでも、その気持ちを悟られないように平静を保ち、彼女を映画へと案内する。映画好きの彼女が『記憶を消してもう一周したい』と言っていたのは本当だ。そして、それがどの作品だったかも覚えている。僕は見ていないけれど、恐らく感動系の、恋愛物語。数年前に話題となった小説の映画化したものだ。本音を言うのなら恋愛映画にあまり興味はなかったけれど、彼女が観たいものは僕が観たいものだ。こうして一緒に来られたことを嬉しく思う。


「多分この作品だね。覚えて……はないよね」


「うん。でも、めちゃくちゃ面白そう。さすが私。映画選びのセンスがいいね」


「あはは、自分で言うんだ」


 こういうところも、好きだ。自分に自信があるって言うんだろうか。それでいて、実は卑屈なところもあるのだからいじらしいと思う。


「ちょうどいい時間だし、チケット取って早速入ろうか」


「あ……うん」


「……僕、お邪魔かな?」


 分かっている。彼女は、責任感が強い。知らない男子と一緒に映画なんて、少し抵抗はあるだろうけれど。それでも僕がこういう風に言えば絶対に一緒に観てくれる。だから、僕は同時に演技をする。少し寂しそうに。実際、断られたらとても寂しいわけだから半分演技半分は本当なのだけど。


「ううん! 一緒に観よう」


「ありがとう。まぁ、どうせ、映画が始まったらお互いよく見えないしね」


 小さく、彼女に笑いかける。本当に、お人好しな人。憧れの彼女と映画を観られることに感動しながら、劇場へと入っていく。後で感想を言い合えるだろうから映画はしっかりと観ていたけれど、時々彼女の方をそれとなく盗み見した。スクリーンから反射する明かりが淡く彼女の顔を照らして、どこか幻想的だった。どんな映画女優よりも彼女の方が美しい。思わず彼女の手を握ってしまいそうになるのをこらえる。これは、夢なのだから。僕が記憶喪失飴を使って見ている、一時の夢。触れることはできない。


 □□□


「あなたと私は、どうやって友達になったの?」


「え?」


 映画館を出た頃には日が暮れていた。まだまだ活気あふれる店の爛々とした光を浴びながら、駅へ向かう途中、彼女は僕に聞いてきた。すぐには答えられなかった。嘘を吐いてもいいのだろうか。最愛の、僕の想い人に。記憶喪失飴はためらいなく使うくせに、こういうところで躊躇する自分に嫌気が差す。それでも、やはり、夢を見よう。もう、卑怯な手は使っている。ペラペラと、詭弁を並べる。


「んー、どうだったかな。確か、僕も映画が好きでさ。それで話し始めたんだったと思うよ」


「へぇ……じゃあ、好きな映画はなに? 気になるかも」


「ノーラン作品は大体好きかな」


「え! じゃあ、じゃあ、一番好きなのは?」


「インセプション」


「同じだ!」


 知っているとも。僕は、きみが好きなものは知っている。映画趣味というわけではないけど、僕が確認できるきみの観た映画は観ている。きみが絶賛していても、酷評していても、それがきみの観たものなら、全部。

 ……あれ、でも。


「大丈夫?」


「ん? あ、あぁ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたかも」


 違和感を、拭えなかった。なぜ、僕は彼女の好きな映画を知っているのだろう。もちろん、僕は四六時中彼女を目で追っている。どこかにいたのなら、視線が自然と追従してしまう。話だってよく聞いている。それでも、映画の話を頻繁にしていた記憶はない。ノーラン作品。インセプション。それ以外にも、僕が観てきた映画の数々。作品名はいくらでも挙げられる。洋画、邦画、ジャンル問わず大量の作品。

「ご飯でも食べに行かない?」彼女の提案に、僕は遅れて返事をする。映画の感想も兼ねて、ということみたいだ。近くに定食屋があったので、そこへ入る。案外空いていたので、流れるように席へ案内され、注文をする。


「いやー、今日の映画、よかったね。私好みのストーリーだったよ」


「いいよね。僕も好きだな。ああいう切ない感じ」


「へぇ、切ないやつ、好きなんだ?」


「まぁ、ね。恋愛映画とかあんまり観ないからさ、どっちかと言うと恋愛より感動にフォーカスしてるやつの方が好きなんだよね」


「えー、私は恋愛に振り切ってるやつも好きだけどなぁ」


 他愛のない会話。ただの、映画の感想。


「歪んだ愛、ってのもオツなもんだと思うけどね」


 ふふ、と小さく笑いかけてくる彼女はどこか妖しさを纏っていた。


 □□□


 「今日は寒いね」


 食事を終えた僕らは、白い息を吐きながら散歩をしていた。僕らは共に最寄りが隣駅なのだけれど、歩いて三十分程度、ということで食後の運動も兼ねてのことだった。彼女は手のひらに自分の吐息をかけて温めている。一歩、後ろからその様子を眺める。画になる人だな、と思う。僕が彼女を好きだからそう見えているのかもしれないけれど、いつ彼女を見ても、誰よりも綺麗に見えてしまう。

 そろそろ、この夢も終わりにしないといけない。立ち止まって、僕は彼女の名前を呼ぶ。くるり、と彼女はその場で身を翻す。「どうしたの?」と、よく通る声が路地に満ちる。


「僕は、きみが好きなんだ」


 さっさと、こんな茶番を終わらせないといけない。そういう風に思った。これ以上、この甘美な毒を飲み続けてしまったのなら、僕は帰ることができなくなる気がした。たとえ彼女が記憶再起飴を食べたとして、何度でも何度でも何度でも何度でも、僕は彼女の記憶を消してしまう気がした。だから、茶番はここで終わり。


「本当に、ごめん。きみが映画を観たいからって記憶喪失飴を舐めたって話は、嘘。記憶を消してまた観たいって言ってたのは本当だけれど、飴を渡したのは僕だ。複数の飴を検証の末混ぜて渡して、記憶の大半を消した。僕は、きみが好きだったから。少しだけ、一緒にいたかったから」


「そっか」


 予想に反して、彼女は何も文句を言ってこなかった。そればかりか、今田微笑んで僕のことを見つめている。なんだかそれが少しだけ怖くなって、僕は震えながら聞いた。


「怒らないのかい?」


「うーん、まぁ、映画は楽しかったし。それに、あなたからいやらしい感じはしなかったから。多分、本当に、純粋に私と映画を観たかっただけなのかな、って」


「……まぁ、そうだね」


 僕は、彼女と恋人になろうとまでは思っていない。ただ、切実に少しだけ近くで彼女を見ることが出来たのなら。そう願っただけ。ああ、優しいな。なんて、目の前が涙で滲んでくる。拭っても視界は晴れない。これで、茶番は終わりなんだ。僕は、一時の甘い夢を見た。それだけ。飴玉のように甘い夢を。懐から、一つの飴を取り出す。透明な包みに入っている、赤っぽい飴玉。いちご味。それが、記憶再起飴。これ以上涙を流したくないから、そっと彼女に投げる。


「それ、記憶再起飴。普通の飴よりちょっと強力なやつ。僕が作った記憶喪失飴は、特殊なやつだからね。それを使わないと戻らない」


「分かった。……もしかして、いちご味?」


「そうだけど……わかるんだ」


「私が好きな味だから。あなたなら、そうするかなって」


「……そう」


 彼女は飴玉を取り出す。赤っぽい飴玉をつまんで、口に含んだ。それを食べ終えれば、喪失していた記憶が全て戻る。同時に、記憶喪失していた間にあったことは忘れる。心に刻まれた感情だけが残り、詳細な記憶はそれこそ夢を見ていたときのように朧気になる。じっと、彼女を見つめていた。コロコロと、飴玉が転がり歯に当たる音がする。

 また滲んできた涙を拭う。小さく嗚咽を漏らしながら、涙を流す。記憶の詳細は残らない。けれど、朧気に残る。それなら、きっと彼女は僕を悪辣な人間と認識して関わることはなくなる。もう、これで――

 その時、そっと頬に手が添えられた。両手で僕の顔を挟み込むようにされて、持ち上げられる。目の前には、優しく笑う彼女の顔。一体、何が。


「えぁ」


 キスを、された。それも、軽いキスじゃない。彼女の舌が、僕の唇をなぞる。反射的に彼女を押しのけようとしてしまったが、手のひらを握り込まれて抑えられる。彼女の舌が、僕の中に入ってくる。こじ開けるみたいにねじ込んできて、絡み合う。一体、何が。どういうことだ。混乱している間に、彼女が含んでいた飴玉を、口移しで渡される。


「”これ”は、あなたが食べるものだよ」


 顎に手を添えられて、力を込めるように促される。促されるままに、飴玉を砕いた。早く、食べろということらしい。ガリ、ボリ、と飴玉の砕ける音がする。また、彼女の手が僕の側頭部に添えられる。耳を塞がれて、飴玉の砕ける音がくぐもって、それでいてよく聞こえる。一体、何が。


「うんうん、ちゃんと味わって食べてね。ほら、言うでしょ? ファーストキスはいちご味、って」


 甘くて、酸っぱくて、それで体温を感じるぬるい飴玉。いわれるがまま、彼女の言う通りに食べる。どういうことだ。これは、僕の食べるもの? 僕は記憶喪失飴を食べたはずはない。だって、高校三年生までの記憶はあったし――いや、待て。記憶喪失飴の効能は、多岐に渡る。局所的に記憶を消すことだって、不可能じゃない。

 彼女に抱きしめられて、思考が溶けていく。考えがまとまらない。記憶再起飴が効果を発揮し始めているんだ。なくしていた記憶が戻って、これまでの出来事が全て朧気になりつつある。でも、一体。

 ――じゃあ、彼女は何が目的なんだ?


 □□□


 彼は、私の最愛の人。元々は少し仲のいい友達程度だったけれど、いつしか私は彼に惹かれていた。あまりにも愛おしくて、愛おしくて、愛おしくて。私は、彼に惚れてほしいと思った。だから、都度記憶を消して私はアピールをした。白紙の彼の心ならば、”私”を刻み込めるから。強い恋心を抱かせることができれば、後は簡単。記憶再起飴は、強い感情はあえて消さないように出来ている。彼は記憶を取り戻しても、私を好きだという気持ちだけが残る。

 それからも、私は彼に愛されたくて、定期的に彼の記憶を消していた。初々しいあの頃を味わいたい、って言うのかな。それとも、両片思いのときが一番楽しいから、って言うのかな。とにかく、私はその”時期”を楽しみたかったからあえてそうした。

 私に関する記憶を消して、彼の反応を楽しむ。私への恋心が刻まれた彼は私のことが好きだから、いろんな方法でアピールをしてくれる。記憶喪失飴で私の記憶を消したのはこれで三回目。まぁ、彼からもらった飴を食べた直後に私が用意していた記憶再起飴を舐めることで無効化したんだけど。そうしないと、楽しめないから。

 ああ、可愛かったな。私とは関わりがないと思ってるからだろうけど、遠慮がちに私と話してくれる彼の姿。思い出すだけで垂涎ものだ。


「ここ、は」


 記憶の混濁から戻ってきた彼が頭を抑えて立ち上がる。私は、そっと彼を支えた。記憶を取り戻したから、以前の友達程度の仲に戻っている。けれど、彼は前よりも私のことを好きになっている。刻まれた記憶は、再起しても残り続ける。


「大丈夫?」


 私は、彼の名前を呼ぶ。彼の名前を呼ぶ度に、幸せになる。まるで魔法の言葉。噛み締めながら、私は彼を支える。


「記憶喪失飴、食べてたんだね。急に再起飴の方を食べたからびっくりしちゃったよ」


「ん? ……あれ、そうだっけ」


「うん。映画、二周目は記憶消すーって言ってたけどさ。まさかこんな道端で再起するなんてね」


「ごめん。迷惑かけたね」


 目を合わせようとしても避けてしまう彼が愛おしくて、思わず私は口の端を歪めてしまう。記憶を喪失して、私にアプローチをしてくる彼を眺めているときも、にやけるのをこらえるのが大変だった。


「ねぇ、あなたはさ……」


「なに?」


「んー、いや、まだいいや」


 私は、懐から飴玉を一つ取り出して噛み砕く。


「え、飴? 記憶喪失、の方だよね。どうして?」


「それはねー」

 

 告白をするのは、まだずっと先。まだまだ、彼には私のことを好きになってもらわなくちゃ。まだ、私はこの時間を楽しむ。噛み砕いた飴玉を、また彼に口移しする。早く飲み込んでくれるように。親が子に、餌を咀嚼してから渡すように。甘くて酸っぱい、夢のひととき。

暇だったので書いた短編小説です。書かないと鈍りますしね。

本当は百合厨なので百合にしたかったんですけど、たまにはこういうNLでも良いかなということでそのままにしました。相変わらずすっきりさっぱりした感動系を書けません。どうしてですか。

まぁいいか(適当)

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