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不運なオメガは異世界で愛される〜無口なもふもふ獣人王と始める、美味しいご飯と農業スローライフ〜  作者: 水凪しおん


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第9話「群れを守るために」

 重く垂れ込めた暗い雲が月明かりを完全に遮断し、村は底知れぬ恐怖と冷たい闇に包み込まれていた。

 広場の中央で燃え盛っていた焚き火はすでに半分ほどに崩れ落ち、燻るような赤い光だけを周囲に投げかけている。

 先ほどまでの賑やかな笑い声は嘘のように消え去り、代わりに武器を準備する鈍い金属音と、戦士たちの荒々しい息遣いだけが響いていた。

 ルヴァをはじめとする村のアルファの男たちは、皆一様に鋭い殺気を全身から立ち昇らせていた。

 彼らの身体には獣の特長が色濃く現れ、鋭い牙がむき出しになり、瞳は暗闇の中でどう猛な光を放っていた。

 ルヴァの背中からは、今まで見たこともないほど巨大で分厚い石の刃を持った大剣が下げられていた。

 彼の纏う空気はもはや優しい青年のものではなく、群れの生存を懸けて血を流すことを宿命づけられた、冷酷な獣の王のそれだった。

 八神は広場の隅に立ち尽くし、ただその恐ろしい変貌を震える瞳で見つめることしかできなかった。

 戦闘に関する知識も、獣に対抗するような腕力も、現代の日本で育った八神が持ち合わせているはずもなかった。

 自分はここで、彼らが命を懸けて戦場に向かうのを黙って見送ることしかできない。

 その圧倒的な無力感が、八神の胸を鋭い刃のように切り裂いていた。

 出発の準備を終えたルヴァが、静かな足取りで八神の前に歩み寄ってきた。

 彼の大きな影が八神をすっぽりと覆い隠す。

 ルヴァは血の匂いが染み付いた巨大な手を伸ばし、八神の青ざめた頬にそっと触れた。

 その手は火のように熱く、指先からは言葉にできないほどの強い感情が流れ込んでくるようだった。

 ルヴァの親指が、八神の震える唇をなだめるように優しくなぞる。

 彼の黄金色の瞳が、何も心配するなと告げるように、深く穏やかに八神を見つめていた。

 八神はこみ上げてくる涙を必死に堪え、両手でルヴァの大きな手をぎゅっと握りしめた。


「必ず、帰ってきて。待ってるから」


 声はひどく震えていたが、八神は真っ直ぐにルヴァの目を見てはっきりと告げた。

 ルヴァは小さく頷き、八神の額に自分の額をこつんと押し当てた。

 互いの体温と呼吸が交じり合い、魂の根底で繋がっているという確かな感覚が、八神の恐怖をわずかに和らげてくれた。

 ルヴァが背を向け、戦士たちを率いて暗い森の奥へと消えていく。

 彼らの足音が完全に聞こえなくなるまで、八神はその場から一歩も動くことができなかった。

 残された村には、ベータやオメガの女たち、そして幼い子供たちや老人だけだった。

 どこからか、不安に耐えきれなくなった子供の泣き声が小さく響いてきた。

 そのか細い声を聞いた瞬間、八神の中で凍りついていた思考が熱を帯びて動き出した。


『……泣いている暇なんてない。俺にできることを探さないと』


 八神は両手で自分の頬を力強く叩き、気合を入れた。

 戦うことができないのなら、帰ってきた彼らを万全の状態で迎え入れる準備をすればいい。

 八神は広場に集まっていた村人たちに向かって、大きく手を叩いて注意を引いた。

 身振り手振りと、覚えたてのわずかな単語を駆使して、彼らに指示を出していく。

 まずは収穫したばかりの大量の作物を、湿気や獣から守るために安全な倉庫へと全て運び込む作業だった。

 次に、広場の中央に新しく巨大な火を熾し、ありったけの土鍋に清らかな水を張って湯を沸かし始めた。

 傷ついて帰ってくる戦士たちの傷口を洗い、清潔に保つためには大量の熱湯が必要だった。

 八神は森の入り口で採集して乾燥させておいた薬草を引っ張り出し、石の鉢で丁寧にすり潰していく。

 ゴリゴリという鈍い音が響く中、青臭くて苦い匂いが周囲に立ち込めた。

 傷口の化膿を防ぎ、痛みを和らげるための特製の軟膏を大量に作り置きしておくのだ。

 さらに、血を流して体力を失った彼らがすぐに栄養を補給できるように、消化に良くて身体の芯から温まる濃厚な根菜のスープを別の鍋で煮込み始めた。

 作業に没頭している間も、森の奥からは時折、地鳴りのような咆哮や、木々がへし折れる不気味な音が風に乗って聞こえてきた。

 その度に村人たちの肩がビクッと跳ね上がったが、八神は決して手を止めず、わざと明るく穏やかな表情を作り続けた。

 八神の放つ温かくて甘い豊穣の匂いと、彼が作るスープの美味しそうな香りが、恐怖に震える村人たちの心を少しずつ落ち着かせていった。

 不安で泣きじゃくっていた子供たちが、八神の足元に集まり、彼の衣服の裾をぎゅっと握りしめてくる。

 八神は薬草をすり潰す手を止め、彼らの小さな頭を優しく撫でた。

 手のひらから伝わる震えに、八神自身も心の中では泣き出しそうになるのを必死に堪えていた。

 どれほどの時間が経過したのか、空の端がわずかに白み始めた頃だった。

 森の入り口の茂みが、再び大きく揺れた。

 八神は手にしていた石の鉢を取り落とし、息を呑んで暗闇の奥を凝視した。

 土と血の匂いが、夜明け前の冷たい風に乗って村に吹き込んでくる。

 八神は弾かれたように立ち上がり、祈るような気持ちで森の暗がりへと一歩を踏み出した。

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