第8話「初めての収穫と暗い雲」
季節は巡り、森の木々が少しずつ赤や黄色に色づき始めた頃、村の裏手に広がる畑は息を呑むような黄金色に染まり上がっていた。
吹き抜ける秋の風が、たわわに実った穂を揺らし、畑全体が波打つ金色の海のようにうねっていた。
空気中には、熟した穀物の香ばしい匂いと、土の中で大きく育った根菜の甘い香りが満ち溢れている。
八神は畑の入り口に立ち、自分の背丈ほどにまで成長した作物の海を眩しそうに見渡した。
現代の農業知識と、ルヴァたち獣人の途方もない体力、そして八神自身がもたらした豊穣の力が結実した、奇跡のような光景だった。
村人たちは誰もが手に石のカマや手作りの籠を持ち、期待に満ちた輝く瞳で八神の合図を待っていた。
八神が深く頷き、手を高く挙げると、村中から歓喜の叫び声が上がり、一斉に収穫の作業が始まった。
ザクッ、ザクッという小気味よい音が畑のあちこちから響き渡る。
ルヴァは大きな体をかがめ、一度に何本もの太い茎を抱え込んでは、驚異的な速度で刈り取っていた。
彼の顔にはいつもの厳しい無表情はなく、豊かな実りに対する深い喜びがはっきりと浮かんでいた。
土の中から大人の頭ほどもある巨大な根菜が掘り出されるたびに、子供たちが歓声を上げて駆け寄ってくる。
彼らの細かった腕や足には、毎日の温かい食事のおかげで、確かな肉と健康的な血色が戻ってきていた。
収穫された作物は村の広場に次々と運び込まれ、あっという間に小山のような巨大な山を築き上げていった。
夕暮れ時になると、広場の中央に巨大な焚き火が組まれ、村を挙げての初めての収穫祭が盛大に始まった。
八神はこの日のために、村の女たちと協力してありったけのごちそうを準備していた。
柔らかく煮込んだ巨大な肉の塊に、甘みを引き出した根菜のペーストをたっぷりと塗りつけた香草焼き。
穀物をすりつぶして平たく伸ばし、熱した石の上で香ばしく焼き上げたふっくらとしたパン。
森で採れた果実を甘い樹液で限界まで煮詰め、たっぷりの果肉を残した濃厚なジャム。
広場には、今までこの村の誰も嗅いだことのないような、豊かで複雑なごちそうの匂いが立ち込めていた。
村人たちは誰もが笑顔で溢れ、音楽もないのに手をつないで焚き火の周りを踊り回っていた。
ルヴァは八神の隣にどっしりと座り、八神が焼き上げた肉を嬉しそうに何度も頬張っていた。
時折、ルヴァが自らの指についた肉の脂を舐め取りながら、熱を帯びた黄金色の瞳で八神を見つめてくる。
そのたびに八神の顔はカッと熱くなり、胸の奥がきゅうと甘く締め付けられるような感覚に襲われていた。
腹の底から笑い合い、お互いの体温を感じ合いながら、村全体が一つになったような幸福な時間が流れていた。
しかし、その温かい空気は、突如として引き裂かれた。
***
広場の入り口の茂みが激しく揺れ、一人の若い獣人の男が転がり込むようにして飛び出してきたのだ。
彼の息はヒューヒューと笛のように鳴り、全身は泥とべっとりとした赤黒い血にまみれていた。
男は広場の中央まで這うように進むと、ルヴァの足元に力なく倒れ込んだ。
周囲の空気が一瞬にして凍りつき、楽しげな笑い声は悲鳴のような静寂へと変わった。
濃密な血の匂いと、男の身体から発せられる強烈な恐怖の感情が、冷たい風に乗って広場全体に広がっていく。
ルヴァは手にしていた肉を地面に放り出し、弾かれたように立ち上がった。
彼の顔から穏やかな表情が完全に消え失せ、群れを守る恐ろしい捕食者の顔つきへと変貌していた。
男がかすれた声で何かを叫びながら、森の奥へと震える指を向けた。
ルヴァは男の言葉を聞くと、低く地鳴りのような唸り声を上げ、その場にいるアルファの男たちに向かって鋭い視線を向けた。
言葉は分からなくても、八神には事態の深刻さが痛いほどに伝わってきた。
冬を目前にして食糧を求める凶暴な獣の群れが、この豊かな匂いに引き寄せられ、村のすぐ近くまで迫ってきているのだ。
空を見上げると、先ほどまで澄んでいた星空が、厚く淀んだ暗い雲に覆い隠されようとしていた。
焚き火の火の粉が、不吉な風に煽られて狂ったように舞い上がっている。
八神の足元から、急速に冷たい恐怖が這い上がってきた。
せっかく手に入れた温かい居場所と、愛おしい人々の笑顔が、残酷な暴力によって理不尽に奪い取られようとしていた。
ルヴァは振り返り、不安に凍りつく八神の顔を一度だけ強く見つめた。
その瞳には、必ず生きて戻るという強烈な意志と、八神への深い執着が入り混じった激しい光が宿っていた。
幸福の絶頂から一転して突きつけられた残酷な現実に、八神はただ震える両手を強く握り締めることしかできなかった。




