第6章 次に燃える場所
点呼とは、
そこにいる者を数えるためのものだ。
名前を呼び、
返事を聞き、
数が合っていることを確認する。
それは、安全のためであり、
責任の所在を明らかにするためであり、
そして何より、
置いていかれた者がいないことを確かめる行為だ。
だが、
呼ばれなかった名前があったとしたら。
鳴らなかった音があったとしたら。
この物語は、
そうした「なかったこと」にされた夜が、
まだ終わっていなかった場合の話である。
火は、
点呼の外に出た者を
そのままにはしない。
次に燃える場所は、
もう分かっていた。
詰所だ。
口に出さなくても、
全員が同じ答えに辿り着いていた。
それでも誰も言わない。
言葉にした瞬間、
現実になってしまう気がしたからだ。
その夜の点呼は、
やけに整っていた。
返事の声が、
妙に揃っている。
私は、一人一人の顔を見る。
見慣れた顔。
見慣れた声。
だが、
一人だけ、輪郭が曖昧だ。
視線を向けると、
そこにいる。
目を逸らすと、
誰だったか分からなくなる。
数は十四。
合っている。
――合っているはずなのに。
サイレンの試験が行われた。
町内放送のスピーカーから、
短く、乾いた音が鳴る。
不自然なほど、
すぐに止まった。
誰も冗談を言わない。
誰も笑わない。
佐藤が、ぽつりと呟いた。
「……あの夜も、こんな音だった」
二十年前の話だ。
鳴らなかった夜。
誰も、否定しなかった。
深夜零時過ぎ、
詰所で待機していたときだった。
焦げた匂いがした。
最初は気のせいだと思った。
だが、次第に強くなる。
煙。
「……火か?」
誰かが言った瞬間、
天井の照明が一つ、消えた。
闇が、落ちる。
そして――
サイレンが鳴った。
近い。
あまりにも近い。
詰所の中で鳴っている。
火は、静かだった。
勢いはない。
だが、迷いもない。
壁を舐め、
床を這い、
出口を塞ぐ。
逃げ道を残さない燃え方。
「外に出ろ!」
叫んだが、
誰も動かない。
いや、
動けない。
火の向こうに、
人の形が見える。
数は、一つではない。
重なり合い、
溶け合い、
一つの“数”になっている。
そのとき、
はっきり分かった。
火は、
詰所を壊しに来たのではない。
点呼を取りに来たのだ。
煙の中で、
声がした。
「足りなかった」
男でも女でもない。
誰のものでもあり、
誰のものでもない声。
「来なかった夜があった」
誰かが、
一歩前に出た。
輪郭の曖昧な、
あの一人。
その瞬間、
記憶が繋がる。
最初から、
団員ではなかった。
二十年前、
来るはずだった人。
サイレンが鳴らず、
置いていかれた存在。
火が、
その一人を包む。
熱はない。
悲鳴もない。
ただ、
数が揃う音がした。
次の瞬間、
出口が開けた。
炎は、
それ以上広がらない。
役目は、
終わったのだ。
私たちは、
呆然と立ち尽くしていた。
点呼は、
もう取られなかった。
夜明け前、
詰所は半焼で済んだ。
死者はいない。
そう、報告された。
名簿を開くと、
そこには――
最初から十三人分の名前しかなかった。
誰も、
何も言わなかった。
それが、
正しい終わり方だと
全員が理解していたからだ。
すべてが終わったあと、
町は何も失わなかった。
詰所は修繕され、
記録は整理され、
消防団は十三人で再編された。
誰も死ななかった。
誰も責められなかった。
だから、この話は
「何も起きなかった話」として
片づけられるだろう。
だが、
それで本当に終わったのだろうか。
点呼の数が揃うとは、
安心できることだ。
正しい状態に戻った、という合図でもある。
しかし同時にそれは、
何かが燃え切った結果でもある。
火は、
奪うために現れたのではない。
壊すためでも、裁くためでもない。
ただ、
呼ばれるはずだった者を
呼び終えるために来ただけだ。
もしこの物語を読み終えたあと、
夜にサイレンが鳴って、
無意識に人数を数えてしまったなら――
それで、この物語は完了である。
点呼は終わった。
だから今夜は、
火も来ない。
――たぶん。




