Scene X|影の神、顕現
突如、空間が震えた。
足元の床が波打ち、壁の輪郭が歪む。
世界が、まるで古びた書物のページのように裂ける音を立てて軋む。
そこから、黒い霧が零れ──
“もうひとりのロロ”が、ゆっくりと浮かび上がった。
見た目は同じ顔、同じ体格。だが、その瞳の奥にあるのは――
虚無。諦観。そして、深い哀しみ。
「僕は、お前が願った存在だ」
その声は、ロロ自身の声と重なっていた。
震えながらも、祈りながらも、「忘れたい」と願った夜の自分自身――
その祈りが、生み落とした「影」。
「忘れたいと、封じたいと、震えながら祈った時の、お前自身だ」
影ロロのその言葉に、ロロは一歩後ずさる。
まるで鏡に映った、壊れた自分を見ているようだった。
かつて、物語を、仲間を、大切なものを守るために――
ロロはすべてを“箱”にしまい込んだ。
──創作は、痛みだった。
描いた物語が壊され、笑われ、踏みにじられることへの恐怖。
「君が覚えているかは分からないけど……あの日、君はひとりで泣いてた。
“なかったことにしてほしい”って。創った世界が汚されていくのを、耐えきれなかったんだ」
その声は、冷たい牢獄のように、ロロの胸を締めつけた。
影ロロの手が空中に伸びる。
その指先は、まるでロロを抱きしめようとするかのように震えていた。
「壊れるくらいなら、最初からなかったことにしたい。
その祈りが――僕を生んだ」
熱いものが、ロロの瞳に滲む。
胸の奥に込み上げてくるのは、後悔と痛み、そして……決意。
「違う。今の俺は、そんなやり方を選ばない」
拳を握る。
震える手のひらに、かすかなインクの匂いが甦る。
「俺はもう、“壊されることを恐れて書く”ような自分じゃない」
影ロロは言葉を失い、ただ見つめ返す。
その眼差しには、怒りでも拒絶でもない、何か別の――名もなき理解があった。
そのとき、ロロの肩に柔らかな重み。
振り返ると、そこに“リル”がいた。
「君は、君が選んだんだよ、ロロ。
“神”ではなく、“語り部”として生きると」
リルの声は震えながらも確かで、言葉ひとつひとつが、ロロの胸に刻まれていった。
「壊されても、忘れても、失っても……
それでも君が筆を握り続けるなら、物語は続いていく。
そして、どこかで、誰かがそれを“読んでくれる”」
影ロロの瞳がかすかに揺れた。
それは、希望と哀しみが同居した、どこか懐かしい光だった。
「……見届けさせてほしい。君が、“もう一度書く”というなら」
ロロは頷く。
「なら、見ていてくれ」
足元の空間がざわめき、色のない世界に、小さな灯がともる。
それは――物語の“はじまりの火種”。
光と闇が交錯するなか、ロロは影の自分に向かって歩き出した。
一歩、また一歩と。
その歩みは、“神”としてではなく、“語り部”としてのものだった。




