Scene 3|願いの代償
ロロの部屋に、夜の静けさが満ちていた。
外の喧騒も、隣室の生活音も、この夜だけは届かない。まるで世界が、彼のためだけに沈黙しているかのようだった。
彼の頭の中では、何度もアヤの言葉が反響していた。
『今夜やってみようと思ってるんだ』
軽い冗談のように聞こえたあの言葉の裏に、彼女が抱えていたものを、ロロはようやく理解し始めていた。
アヤは本気だった。そして、その“願い”を叶えるために、何かを差し出した。
──彼女がもし、本当に“消えた”のだとしたら?
その可能性を否定できなかった。
だから、助けたかった。
彼女が消える前に見せた、あの寂しげな笑顔が、どうしても忘れられなかった。
自分には何もできないと思っていた。けれど、何もしなければ──それが唯一の“後悔”になってしまう気がした。
机の上に並べた二枚の鏡。
一枚は日常使いの手鏡。もう一枚は、家にあった古びた姿見だ。
角度を慎重に調整し、合わせ鏡を作る。中心には、微かに揺れるろうそくの火。
時間は、深夜0時を回っていた。
ロロは、鏡の中心に視線を向けた。
幾重にも重なる自分の顔。そのどれもが無言でこちらを見つめ返してくる。
しかし、その最奥の“何か”だけが──微かに、笑っていた。
喉が渇く。
心臓が不規則に打つ。
体が重く、呼吸が浅い。けれど、そのすべてを押さえつけて、彼は声に出した。
「アヤを……返してくれ」
その瞬間、空気が反転したような音がした。
ろうそくの火が横に流れ、鏡の奥に闇が広がる。
──ドクン。
心臓がひときわ大きく脈打ち、頭の奥に鈍い衝撃が走った。
体が引き寄せられるように前のめりになり、視界が反転する。
まるで、何かが「持っていかれる」感覚だった。
ロロは倒れ込み、床に膝をついた。
鏡の中の“自分”はまだ、笑っていた。
しかしその表情は、もう彼自身のものではなかった。
──願いは、確かに叶った。
だがその代償として、ロロの中から、ある記憶が抜け落ちた。
それは“最もかけがえのない日常”。
好きだった詩。憧れていた職業。
ひとり静かに読んでいた本のタイトル。名前をつけていた植物。
どれもが断片的に失われ、それを思い出そうとするたびに、頭の奥がひどく痛んだ。
ロロはただ、床に座り込んだまま、自分の中に空いた穴を抱えた。
そして、その穴が埋まることは二度となかった。




