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ヘッドホン・エスケープ  作者: リル
第十話:忘れられた輪郭
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Scene 2|継がれる言葉

庭の夜風は、記憶の破片をそっと撫でるように吹いた。

澄んだ闇の中、少女はロロの視線の先で、ふっと微笑んだ──ような気がした。

その顔は依然としてぼんやりとしていた。だけど、灯火の淡い光がその輪郭を、まるで祝福するように優しく照らしていた。


「あなたが失くしたのは――物語だけじゃない。想い、祈り、そして“声”」


彼女の声は、庭を包む夜気と混ざり合って、耳の奥で震えた。

遠い記憶の底から呼び覚まされる、子守唄のような温度。


ロロは重く抱えたノートを見つめる。


──なぜ、自分はあれほど大切なものを、忘れていたのか。


問いの答えは長く、彼の中ではずっと見つからなかった。

けれど、今。庭の灯火と向き合うその瞬間、ほんのかすかな光が見えてきた。


それは――守るためだった。


創った物語を。語られた記憶を。

大切に抱きしめた思い。それらを――ある日、壊れそうだと感じたとき。


ロロは、自らの記憶を鍵にして、それらすべてを “箱” に封じ込んだのだ。

誰にも壊されぬように。誰にも奪われぬように。


だけど同時に――それは、

物語を、声を、永遠に “止める” ということだった。


灯火の揺れる音が、記憶の断片をやさしく包み込む。

光を放つそのページは、いまだ真っ白。

だが――それこそが、待ち続けた証。

語られるべき物語、灯されるべき声たち。


ロロは、そっと手を伸ばした。


「……名前を、書けばいいのか?」


問いかける声は震えていた。


少女は首をゆるやかに振る。

口元は見えないけれど──その声には確かな静けさと、揺るぎない意志が宿っていた。


「名前を決めるのは、彼ら自身。あなたはただ、“語られる準備”を整えてあげればいい」


そして、そのとき――


庭の灯火がひとつ、音もなく地へと落ちた。


草は焼けず、炎は上がらなかった。

代わりに、その場所から小さな芽が顔を出す。

夜露を含んだ細かな緑が、土の上にそっと息吹いた。


「物語は、灯から芽吹く。 そして、育つのは――誰かの心。 その鼓動が続く限り、語られなかった声は、また息を吹き返す」


ロロはその小さな芽を見つめた。


背後で、ノートがほのかに震えたような気がした。


ロロはページを開き、ペンを握る――だが、すぐには書き出さなかった。

その代わりに、空気に耳を澄ます。

胸に宿る鼓動に耳を澄ます。


「……俺は。――ちゃんと、“聞く”よ」


その言葉に、夜風が応えたように、灯火が穏やかに揺れた。


少女は、宙へと溶けるように静かに消えた。

けれど、彼女の残した余白の残響は、ロロの中にしっかりと残っていた。


灯は――消えていなかった。


どんなに深い闇に呑まれても、必ずまた灯される。

ロロはその灯を抱いて立ち上がった。


──これから、始まる。


記されなかった声に、

閉ざされていた物語に、

そして――読まれるべき未来に。

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