Scene 1|放課後の噂
教室の空気は、もうすっかり放課後のそれになっていた。
隣のクラスの誰かが笑っている声、廊下を走るスニーカーの音。
そんな中で、ロロは自分の席にぼんやりと座っていた。
手元のノートには、今日の授業でとったはずの内容が一切思い出せない文字で埋まっていた。
教室の蛍光灯がちらつく。
日はすでに傾き、窓から差し込む光は橙色に染まっていた。
その光に照らされた教室は、どこか非現実的で、夢の中のように思えた。
「ねぇ、ロロくん。合わせ鏡って、知ってる?」
不意に後ろから声をかけてきたのは、クラスメイトの樽井アヤだった。
茶色がかったショートカットに、やたらと澄んだ目をしている。
彼女は机に身を乗り出して、ロロの顔を覗き込む。
ロロはわずかに眉をひそめる。
この時間に、わざわざ話しかけてくるのは珍しい。
「……え? 鏡?」
「そう。都市伝説なんだけどね。深夜の十二時に鏡を二枚向かい合わせにして、その真ん中を覗くと、願いが叶うって」
「なにそれ、どこ情報?」
「ネット。動画サイトで見たんだよ。あと、なんか古い本にも載ってたって人もいた」
アヤは小さく笑った。悪戯っぽく、でもどこか不安げに。
「正直、信じてるわけじゃないけど……やってみようと思ってるんだ。今夜」
ロロは苦笑する。
「また、変な話拾ってきたな」
「うん、まあ、そうかも。でもさ」
アヤはふと、視線を外した。
窓の外、すでに薄暗くなりかけた空を見つめながら、ぽつりと続ける。
「叶えたい願いがあるの。馬鹿みたいだけど、ね」
その言葉に、少しだけ空気が変わった気がした。
冗談のつもりで聞いていたロロも、自然と表情を引き締める。
「……それ、本当にやるの?」
「やるよ。怖いけど、ちょっとだけ、信じてみたい気分なんだ」
アヤはまた笑った。でも、その笑みはどこか寂しげで、痛みを隠すような色を帯びていた。
「ロロくんは、願いごと……ある?」
その問いかけに、ロロはしばらく黙った。
思い浮かべようとしても、何も出てこない。
胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚だけが残った。
「……さあ。ない、かも」
それが嘘だったのか、本当だったのか、自分でもよくわからなかった。
彼女はそれ以上何も言わず、席へと戻っていった。
夕陽が差し込む教室には、ふたりの影が長く伸びていた。
その一瞬が、何かの分岐点だったのかもしれない──そう思えるほどに、静かな余韻が残った。




