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ヘッドホン・エスケープ  作者: リル
第五話:雨の日のララバイ
16/45

Scene 1|消された昨日、濡れた明日

朝の光は、いつもより白く、どこか冷たかった。


ロロは布団の中で目を覚ましたが、まるで自分がどこにいるのか分からなかった。 昨夜見た光景が、夢だったのか現実だったのか。感覚だけが、まだ胸に残っていた。


朝から雨が降っていた。細かく、優しい雨だった。 それなのに、街の風景はまるで墨を流したようににじみ、滲んで見えた。


ロロは傘を持たず、濡れたアスファルトを静かに歩いていた。制服の裾がじっとりと湿っているのも気にならなかった。


教室のドアを開けると、空気がひとつ違っていた。 そこにあったはずのものが、微かに変わっている。机の配置、掲示物、黒板に書かれた予定表──すべてが“昨日”と似ているけれど、確実に違っていた。


「おはよう、ロロくん」


柔らかな声が耳に届く。 隣の席に座る女子生徒。昨日までは確かに“別の誰か”が座っていた。 しかし、クラスメイトたちは誰も気づいていないようだった。


黒髪をマスクで隠し、潤んだ目で微笑む彼女。 その笑顔には、なぜか“仮面”のような薄い膜がかかっている気がした。


ロロは曖昧に笑って席に着いた。


──彼女の名前は、出席番号表から消えていた。 その席の番号だけが、かすれて見えなかった。


彼女は静かにノートを開き、何かを書き留めていた。 その筆致は滑らかで、迷いがなく、けれどロロには読めなかった。


「君のこと、前から知ってる気がするの」 彼女はふと呟いた。


ロロはその言葉の意味を測りかねて、答えることができなかった。


放課後。雨は止まない。


濡れた空気の中、ロロは帰り道を歩いていた。 すると、鞄の中からかすかな声がした。


「……ロロ。元気ないの?」


ロロは立ち止まる。周囲には誰もいない。 だが、鞄の中の白いうさぎのぬいぐるみが、まるで“こちらを見て”いる気がした。


「……しゃべった?」


「ううん。きみが、悲しそうだったから」


声がどこから聞こえたのか分からない。 だが、その言葉は確かにロロの心に触れた。


ロロは小さく息をつき、言った。 「なあ……。もし、今の自分が昔の自分に会えたら、何て言うと思う?」


「うーん……『その夢、大事にして』って言うかも」


ロロは笑った。その優しい声に、少しだけ心が軽くなる気がした。 「……俺さ、昔はもっとちゃんと夢とかあった気がするんだ。でも、それが何だったのか、今じゃさっぱり思い出せない」


その呟きに、ぬいぐるみは静かに応えた。


「じゃあ、新しい夢を探せばいいよ。 ぼくには、でっかい夢があるんだ。 晴れない雨はないんだもの」


教室の窓を叩く雨音が、まるで教室の中にまで降り込んでくるように響いていた。 その音に包まれながら、ロロはふと、自分の靴の先に小さな“水たまりの幻”を見た気がした。 それは実際に濡れているわけではなく、ただ雨音と心の揺らぎが生んだ一瞬の錯覚だった。


その幻の中に映る自分の顔は、どこか優しくなっているように見えた。


「……君、名前は?」


ぬいぐるみは少し間をおいてから答えた。


「リルって呼ばれてた気がする」


その瞬間、リルの目がほんのわずかに瞬いたように見えた。


雨音の向こうで、また世界が静かに揺らいでいる気がした。

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