Scene 3|選びの代償
扉の前に立ったロロは、手の中にひとつの“鍵”を感じていた。 それはどこからともなく現れた、金属の冷たさを持つ細い鍵。 持ち手の部分には、かすれた文字で「Ⅴ」と刻まれていた。
第五の扉。 まだ記憶にない“選択”が、そこに待っている。
「……開けるよ」
そうつぶやいたロロの声に、影は何も言わず、ただ見守るように揺れていた。
鍵を差し込み、ゆっくりと回す。 扉が音もなく開いた瞬間、眩しい光が溢れ出す。
だがそれは温かな光ではなかった。 むしろ、目の奥を焼くような鋭い輝きだった。
光の中に、一枚の紙が浮かび上がる。 それは、過去の出来事の断片。 だが、ロロにはまったく“見覚えがない”はずの記憶だった。
──誰かの後ろ姿。 ──夕暮れの図書室。 ──開かれた本の中に書かれた名前。
どれも懐かしく、けれど触れてはいけないもののように感じた。
「これ……俺……?」
光の記憶が、彼の心に直接語りかける。
『この記憶を受け取るには、今の何かを差し出す必要がある』
静かな声が、どこからともなく響いた。
「何かを、差し出す……?」
ロロの胸に、冷たい感覚が走る。
『君の“感情”のひとつを封じる。喜び、怒り、悲しみ……その中から、ひとつを選びなさい』
彼は震えながら問う。
「……選ばなきゃ、ダメなの?」
影は応えることなく、ただその場に佇んでいる。
記憶を手にするには、“何か”を手放さなければならない。 それがこの世界のルールなのだ。
ロロは目を閉じ、深く息を吸った。 そして静かに、言った。
「──“怒り”を、手放す」
次の瞬間、彼の胸の奥に渦巻いていた鋭い衝動が、ふっと霧のように溶けていった。
何かが抜けたような、奇妙な空白。 でもその代わりに、彼の手には確かに“記憶”が戻っていた。
影が、わずかに揺れた。
「君は進むことを選んだ。その覚悟は、きっと次の扉に届くだろう。」
ロロは自分の胸に手を当てた。 怒り──それはこれまで、彼の中に確かにあった感情だ。 小さな苛立ち、焦り、悔しさ。誰かにぶつけることなく、胸の奥で燻っていた火種。
だが今、それがなくなったことで、心の中が不自然なほど静かだった。
代わりに残ったのは、ぽっかりとした穴。そして、そこへ静かに沈んでいく“記憶”の粒子。
図書室で本を手にする誰かの背中──あの後ろ姿には、妙に見覚えがあった。
(……誰なんだ?)
名前も、顔も、思い出せない。 でもその空気感だけが、やけに鮮明だった。 まるで何度も繰り返し見た夢のように、輪郭だけがはっきりと焼き付いていた。
「感情をひとつ失った代わりに、君は視点を手に入れた」
影が言った。
「この世界は、感情で色づいている。 怒りがなければ、世界はより静かに見えるだろう。 だが静かさの中には、別の“声”がある」
ロロはその言葉の意味をすぐには理解できなかった。
だが次の瞬間、白い空間の中に、新たな音が混ざった。 それは──かすかな鈴の音だった。
どこかで聞いたことのある音。 優しくて、懐かしくて、けれど確かに“警告”を含んだ音色。
ロロはその音に引かれるように、扉の先へと足を踏み出した。




