Scene 1|はじまりの境界
──白。
それは、光の色ではなかった。音もなく、温度もなく、ただ世界を包み込む“無”の色だった。
ロロは、どこまでも続く白の中に、ぽつんと立っていた。
身体の感覚は確かにある。足も、手も、呼吸も。しかし、それらがまるで他人のもののように感じられた。
「……ここは、どこ……?」
夢で見た、あの“教室の向こう”にあった四番目の扉──その先とは明らかに違う場所だった。
あのとき見たのは、過去に存在したはずの、どこか歪んだ教室。だが、ここには壁も窓もない。あるのは、ただ真っ白な空間だけ。
声は出ているはずなのに、音にならなかった。だが、その問いは確かに誰かへと届いた。
──そこは、物語が始まる“手前”の場所。
そんな声が、どこからともなく響いた。耳に入ったのではない。心の奥に、直接注ぎ込まれるような不思議な声。
ロロは歩き出した。足元には何もないはずなのに、踏みしめる感触がある。不思議なことに、怖くはなかった。
遠くに、何かが見えた。それは“椅子”のようだった。だが、誰も座っていない。
その椅子の上には、一冊のノートと、白いうさぎの人形が置かれていた。
ノートの表紙には、古びた金の箔押しでこう書かれていた。
『記されなかった物語たち』
ロロはそっとノートに手を伸ばした。触れた瞬間、指先に微かなぬくもりが伝わる。それは、確かに“誰か”の手から渡されたものだと感じさせる温度だった。
ノートを開くと、中はすべて白紙だった。だが──ロロの視界には、かすかな“文字の影”が見えた。光の角度で浮かんだり消えたりする、半透明の物語。
『君が物語を忘れたせいで、止まってしまった世界があるんだよ』
その一行が、視界に焼きつくように浮かんだ。
「……これ、知ってる。いや……知らなきゃいけない気がする」
ロロはうさぎのぬいぐるみに目をやった。
まるでそれが問いかけてくるようだった。
──なぜ、書くのをやめたの?
心に浮かんだ声に、ロロは言葉にできない感情で胸が締めつけられた。
目を閉じると、遠くから風の音がした。
風などないはずのこの“無”の空間で、それは唯一の現実の感覚だった。
「……また、忘れていたんだ。俺は……」
ロロがそっとノートに指を這わせると、ページに一行の文字が浮かび上がった。
『ようこそ、境界のむこうへ』
そして視界の端に、“影”が現れた。




