虹
第1話 虹をみたとき
大空を見上げると、そこにはおおきな虹が
架かっていた。雨上がりの今日この頃である
。古のころから月と変わらず、太古の人は同じ風景を見てきたんだろうか?おおむね理解が通じ合える人なら、この虹を見て何を思うだろうか?いっそのこと、人間が何を見て、
どう思うか?という意思の伝達能力でも発達する頃には、以外な共通点を見出せるんだろうか?認識不足の勘違いかもしれないが、同じ風景を同じように見ている人の不思議って
一体何なんだろうかと、我先に思いたくなる
風情の感じに思わぬ思いがこみあげてくる。
相乗効果としての色の感じとして、七色の虹を人は、どう、自分の気持ちとして表現してきたんだろうか。あんな大きな虹のスケールに圧倒されて、感動の声をあげるのは、この先の未来の人の気持ちも一緒なんだろうか。
ある人はいうかもしれない「あんな大きなアーチが七色にわかれて架かっている、そんなものに憧れる自分にちっぽけに思う」とか、
例えば、虹が一本の架け橋となって、いろんな人の気持ちを高ぶらせるのならば、イメージ上の人の興奮とは、実にユニークな気持ちにつながるような気がするのだ。まともな話の心の奥に聞こえる、もう一つの自分の心。
それは、大げさに思える、本当の気持ちかも知れない。だって、あんな、大きな虹の前で
大興奮している自分が、あたかも、それを見ている他の人の気持ちまで、駆り立てることにつながるのかも知れないからだ。一つの空想でもいい、見れる限りの人がこの大きな虹を見て、何を最初に感じるか?それは、大きな眠りについたはずの自分が、ふと見る夢である。夢のまえぶれは、どことなく、人の穏やか気持ちの奥に今すぐ乗り込んでみたい、
いささか、自分の胸のうちに示した、桃源郷のような世界。本当はそんな世界無いさと笑いながら見る世界のしみじみとした、人の疲弊感や閉塞感の呼吸の気まずさもない、よくできた世界で、そこから生み出される、感動と興奮が、とても素敵なんだろう。気づいた時にはもう出来上がった感がある、この巨大な虹の根っこはどこにあるのか?よく子供のころ必死で追ってみたことがある。その時のわくわくした冒険心は、いまだかつてない、
こんなもの初めて見たという、気づきとともに、これを解き明かすカギとして、絶対、解き明かしてやるという謎に対する挑戦をよく無謀にも仕掛けたことであった。
第2話 とある男の悩み
「今日はこれぐらいにしておこうか・・」
しがない営業の仕事を終えた男は、こうつぶやいた。冴えない今日の疲労感をたたえる何か、とはなにか?いわゆるアルコールなどの
喉を強く刺激するもので、今日の悶々とした
気持ちの憂さ晴らしがしたいと思っていた。
勢いに任せて、喋りつづけた、自分の声が、
緩んでいる。今日の答えはこれでいいんだと
言い聞かせれるはずの心の模様は、ひとしおの涙を誘う、紺碧のブルーな文字ばかり。沸き起こる気持ちの中身なんて、これっぽっちも見かけやしない、急ぎ足な自分が、嫌になる。見かけ上にも、自分はしがないサラリーマンだとしても、この上なく久しい感触に巡り合えない、痛みを感ずる人の波にもまれ、
歩いている。「所詮、人は人、自分は自分か
」まるで、うわごとように、ぶつぶつ、つぶやいている自分がいる。感情の波が穏やかであればあるほど、奇特な感じの人の情緒にあるまじき、自分自身の幻影が、まるで、おおきなうねりのようなものに、引きずり込まれようとしているのを、ひしひしと感じずににはおれない、わがままな自分の心に折れそうになっていた。「ちょっと、あの角を曲がってみよう、何かないかな?」人の不満に高じた、エッヘン顔が嫌で嫌でしょうがない。もうちょっと、楽な顔の人が見たいと、猛烈に
思い描くに、大きな道より小さな道に入りたかった。そこにいるのは、もくもくとたばこの煙を焚いているひとや、グビっと、のどを
潤している人たちの集まりだった。「ここならちょうどいいや」アリバイを証明するために、会社に電話して、今日の業務を終えたのだった。しかしながら、暑い日である。もう、喉は限界を超えていた。ビールの自動販売機にコインを投入して、すぐさまシュパっと栓を開けた。いかすけない人の目線にあおられて、すぐさま、その缶を飲み干した。がっかりした。なんでもないこの行為すら、至福の時を演出するに至らなかった。なぜなら、幸福のしわ寄せとして気に入ったはずのビールが、いまいちうまくないのである。感じているのは気まずさのみで、不必要な水分をとった、腹のたぷつき感である。これは、いかんともしがたい事だった、すべてが水に似たビールの泡である。喉の渇きは満たされても、ホッともしないのである。高給取りではない、自分の身銭の一部をむしられた気分で腹が立ったのだった。その時上空を一機のジャンボジェットが飛んでいき、けたたましいジェット音をかき鳴らしていた。思わず叫びたかった「ちくしょう」それは、大器晩成と言われた自分への報復の咆哮だった。人は必ずと言っていいほど、自分に対する褒美に値する言葉にかけてみるものである。それが、どんなにせせこましい評価であっても、自分にとってはねぎらいになるやもしれない。自分は一体将来、どうなっていくなんてことに言葉があるかとすれば、彼には大器晩成という名誉を頂いたことが、一番に頭をよぎった。でもであるが、久しく期待をかけられてきた会社の上司の言葉といえども、ゆくゆくの安堵を
示す言葉にはむかえずはにかんでいた自分の
あるまじき姿のなぞさえ、迎え酒にもういっぱいという気分になれなかった。究極の選択は、このままぬるい惰性にまかせて、生き延びるか、いっそ、会社を退くかであった。様子を見かねた、とある人が声をかけてきた。
第3話 自分とは何か?
「大丈夫ですか?」たかだかそんなことだけに、嬉しさを感じ、胸にこみあげるものがあった。「いえなに、男の癇癪みたいなもので
す、大したことはありません」男は続けて問うてきた。「おんながらみのことですか?」
と。自身がありがたいと思える言葉なかのほんの一握りの簡単な返事にとまどい、しばし
間をおいて返事をした「いえそんなことじゃありません」男は続けざまに問うた「しかしこのご様子じゃ、何か悩んでいるんじゃないですか?よかったら、お聞かせください。」
いっそのこと女がらみの事のほうが、よっぽどましに思えた。自身の生活の張り合いのなさに疲れてきている自分に焦燥感を覚え、いら立ち、顔色が曇ってきているのを、人にさとられたのだから。「僕はだめだ」一気にたがが外れて、せきとめていたなにかが、一気に流れ出した。それは、涙ではなく、誇張された、本来の自分らしくない自分にすがって生きている、さながら、なにかに取りつかれたように生きている自分だった。「もうすぐ、自分よりも若い奴らに昇進の話が来ているのに僕ときたら」思わず空のビール缶を握りつぶした。「そうですか・・自分に自信が持てなくなってきたんですか?あるいは、マンネリか。恐ろしく気味が悪いことに思うのでしょうが私も同じようなことで悩んでいるんですよ。」後悔と懺悔の狭間で揺れる、おかしな二人の会話のなかに、埋もれた実際の悩みとは何なのか?時間とともに薄れゆくときめきの瞬間にあふれだす、虹のような光景にたたずむ自分とは一体なにものでおれるか?それは、男が同じことのように悩んでいるはずもないかもしれない、人の内省的事実に対する安堵感かもしれないと、ふとおもい悩むひと時であった。コーヒとか香り伴ういかんとも言えない感じのひと時。「やり直せない人生が締め付けるんです、僕のものじゃないように」どっかの子供がけらけらと笑う。それにとって代わるかの期待が人の反射光のような嘘の微笑みとか。どちらかにしぼればいいはずの人生の面持ちにしたはずの虐げたはずかしい武者ぶるい。ろくすっぽあてにならない大人のひしわらいに嘆き悲しむ自分の悩み
。「そんなにおかしなことなんでしょうか?
」楽に生きている。死ねばそこで終わり。
事実の勘違いの沙汰に及ぶ、自分の本望とは
何か?きっと、互いに主張しあっている、切っ先のないやり口のあきのなさに、不安を募らせているのか?ともいえば、言えないことのない言葉のなかに、久しく言えた「あなたの冗談に付き合うつもりはない」と。いいえ、
あなたの答えは簡単。いつものとうりの一語
一句のあくなき執念のなかに初めて生まれる
勤怠感のはしくれ、風上におけない事実の上積みにたいする、後悔の念。僕はあなたがすきじゃないみたいだ。事実、向こうの方には
、好きも嫌いも簡単に見分けれる、人の山に
関の山、期待感情の恥のまえに、疎ましいほどの嫉妬の苦しみ。苦しさの中身の中身におぞましいほどの、人生観が見え隠れして、人の心をのぞかせる瞬間のほとばしりが閃光の
ように走って、記憶をつんのめらせることの
醜愛の事実に見せられた、とどめの言葉。
「見つかったんでしょうか?私がだれであるか?」否応なしにその事実に対して不安を覚えて、喜来の事実に応変もなく返事している自分。時代錯誤の様式に潜む、恥の継承感覚に、自分がうぬぼれていることの、恥の無さ。
それに、上ずりを刷り込むがごとし目利きの
とおった銘柄の茶碗のような、美徳。すべて
ゆがみきった、実際の恥の無さに、競争している、日本の感覚に、嘘ついたのか?それが
いままで気づきにくかった、自分の実像なのか。恐れおおいまま、自分の行き届いた配慮に深くまいりいる、期待の心象が、必要以上の高ぶりをもって、人としてなしている、気高い奉納の嘆き「私が私であるとき、私以外に何もかも見えてる事の私のための私かな」と思いやるつもりの自覚のない、反対のもうしべからず、自分の悩み。積もり積もった鬱積の心に、なんかたるや人の心に問いたい、時間が愛したいほどの、食い違いがはやし立てる人格の感じ方以外のうまのあいようにほどけし、実はの言葉の真の意味。「実はあいまいに死んでる目に、疑いの気持ちが咲くのです」心に積んだ荷物でさえ、おろすことなく、人の心に積み替える荷のほどきようたるや、悲惨の一語に尽きる。邪見にされている
すべての人のような、捨て犬ような臆病な目つきに、死ねばもろともとう感じの気迫の
なさは、すべてのおぼろげな夢の話の怖さかな。憧れの境地はほどにもなく、いささかねんごろのおなごに笑う、自分の夢見ごこちに
共愛のともしびの他、何に折れた気持ちかな。
「それは私の目にみえるのでしょうか?」
疾風のごとき判断の余裕がつかない、いそしみの感じ方が暗いほうに感じてしまうのか?
「だからって、あなたにまで、心底付き合う人はいないんじゃないですか?」どこまでも
、人は心配に事欠く無く、必要に迫られてまで、今以上の幸福感に追い求める事の事実に
なんかしらの誤差も見て、自分らしさの意味を問いただすものなのか?もし、自分が追及できるすべての幸福感に期待が生じなくとも、
今なおくくりつけた十字架の真意を犠牲に見るまで、自分自身の幻影と向き合っていかなければならないのか?おかしな話である。ポテンシャルの続くことの永遠なんてあってもいいかも分からない人生の途中で、ここまで追い詰められて、生きている自分のいまいましさに嘆き、投じた意味の言葉のはけ口を、
人に見せつけようとしているのか?「ワタシは正直、死んでしまいたい」ポツリと吐いた心の言葉にむせかえる、自分の恥の気持ち悪さに、むかむかしてきた。
第4話 自殺願望
声を小さめにすることの自分の中身が嫌になってきて、密かに
自分が勇んで進むべき、自分の戒めに励みにくい状態の判断力の空白が、今にも自分を襲ってきて、頭の中で真っ白になった。こだわりにない、必要のあることの内心は、襲われた気分のままに強迫感の不透明な真実のなれそめに思えて、なじられた嘘の誠の感動を打ち消してくる。だからこそ、今なおの志のありがたさに、不問をもって対応すべしと、肝に命ずる覚悟で、憂さ晴らししたいのである。
おおもとの許しは土台、感謝したい人のほうがいい気分である。実際、自分が今、目の前の人物に対して、感謝できているかと、思い描いても、自分の悩みに直接、触れてみてもないほどの感情論に対しても、一切の幕引きのなさが、いい加減な自分の鬱憤に見えて、
簡単ではなくなってくる、噂の怖さ。返し刀の感動のありがたみとして、いかにして、自分が本物の至福にありつけるかの、中身の薄さに感じている事実の歪みが人生のほどなき事をきめてゆくのかもしれない。綺麗な物には毒でも棘でもあってもいいものか?あるいは、自分の懐の可愛げに遊ぶ、心中の察し具合に心もとない、愛想の笑いである。
「ははは、こんなもんですよ人生なんて」
結局、いいように振り回された人生にさよならできる。かかわってくれたすべての人に、
感謝して、見ずからの命を閉じる。その名目上の不安の帳消しに、さながらいい人ぶっている自分のような、自分でないような、憤りをかんじているままの本能が覗かせる、言いようのない怒りがこみあげる。
「じゃあ、お願いを聞いてほしのです。」
ずっと、自分を慰めてくれようとしていた男の人が言った。なんのことだろうと思った
第5話 気持ちのほころびに虹がかかる
ずっと、自分を慰めてくれようとしていた男の人が言った。なんのことだろうと思った。
「あなた自身の輝きを取り戻すために、まさに今信じぬく術として、至らぬ私のことをぶってください 」
と言われたのである。彼自身は死にたいと所望しているのに、自分をぶって欲しいとは、どいう事か?
「ワタシにそんなことは出来ませんよ第一、これは僕の問題であって、あなたの問題じゃない。」
必死にあえぐ自分の気持ちを慰めたいのかもしれない、この男のお願いを、自分がかなえることに、抵抗を感じるのは、いささか、検討違いに思えたからだ。
この先、何があろうとも、自分が信じるがことのなかに、こんな事があってはならないと、頑なに思いかえしたくない事実である。
「あなたはくじけているんです。だれにも、あなたを救う手だてはないですよ。
」
もしもの話があるのなら、しかと肝に銘じたい。もしも、立場が逆ならば、こんなこと俺に言えただろうか?うかつに人の死を占ってしまうことに恐れ、遠のいてしまっていただろう。俺は一体何をしてきたんだろうか?
こんな、けなげな申し出に自分の意味を問いただせた俺は、自分の悩みにピリオドを打てたのだった。
「先ほどは、うかつに死にたいなど申し出て申し訳ありませんでした。もう2度と言わない約束の代わりに、あなたをぶつのは勘弁してもらえませんか?」
「ありがとう、そう言っていただけて光栄です。」
「この先の、どこかで一杯どうです?」
「よろこんで、お付き合いしましょう。」
空には、雨の上がった後に、大きな虹がかかっていた。
完




