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12話 秘密

 僕には、ふとした違和感があった。それは、日向夏の陸上部を自主退部したことである。また、陸上部の再入部を諦めたことである。


 違和感。


 疑問。


 不可解。


 これらが、頭によぎるのであった。


 成績不振如きで、顧問が自主退部を進めるだろうか? それを日向夏が受け入れるだろうか?


 確か、日向夏は陸上に対して熱心だったはずだ。僕の記憶が正しければ、去年、学校集会において陸上の成績で評価称されていたと思う。今年も、夏のインターハイを楽しみにしていると、教室内で聴いた記憶がある。


 僕は、いつも一人で教室にいるから、そういう会話がよく聞こえる。


 雑談。


 談笑。


 そういうのが、嫌でも耳に入ってくる。


 それを踏まえて、そんな日向夏があっさりと陸上部を自主退部して、また再入部をあっさり諦めることについて疑問を持たざるを得なかった。


 故に、僕は部室を解散した後の日向夏を呼び止めた。


 聖フェリス学園高等学校。


 正面玄関である。


 僕は、靴を履こうとする日向夏を呼び止めた。


「待ってくれ、日向夏」


「ん? どーしたん、まーくん。ひょっとしてうちと帰りたいん?」


「違う、確認したい事がある?」


「どーしたんよ、もしかして? 愛の告白かな?」


「違う! お前、しらばっくれんなよ。日向夏、なんでお前陸上部に戻らないんだ!」


「ありゃ? うちがエンジェル部にはいるの嫌やった? そーやもんな、しおりんと二人っきりじゃなくなるもんな」


「そういうことが言いたいんじゃない!」


 つい怒鳴ってしまった。


 日向夏は、困った顔をしていた。


「まーくん、そんな言い方せんでええやん」


「悪い、言い過ぎた」  


「ええけど、ほんまどうしたん?」


「あのさ日向夏、お前本当にテストの成績で陸上部を自主退部したのか?」


「…………」 


 日向夏は、黙る。


 そして、みるみる表情が暗くなった。 


 さっきまでの、明るい日向夏が嘘のように。


 否、逆である。


 今まで無理をして明るく振る舞っていた仮面が、剥がれてしまったのである。


 今の俯いている日向夏が、本心の彼女。


 本当の日向夏である。


 僕は、続けてこう言った。


「なんで、陸上辞めたんだ?」


「…………」


「どうして辞めたんだ」


「……うん、分かった。話すから、話すからせめて場所かえへん?」


 僕と日向夏は、校内に戻った。


 そして、適当に空いている部屋に入った。


 第一多目的室。


 普段は、移動教室の際に使われる教室である。


 主にビデオを使う授業で、この部屋を使う。


 日向夏は、窓側の方まで寄って、空を見ながらこう言った。


「うち、心臓に病気あるみたいなんや」


 と。


 そして、日向夏は語る。


 自身の病気のことを、そして陸上についての想いを淡々と語る。


 日向夏にとって、今まで陸上が全てであったこと。 


 自分に出来ることが、居場所が陸上しかなかったこと。


 しかし、それが二年に進学してから一変する。


 ある日、胸に強い違和感を持つようになって、医者に相談しに行った。すると医者からは心臓に障害があり、直ちに激しい運動、即ち陸上を止めるように通告された。


 医者のその通告に、日向夏は絶望した。


 しかし、自分の身体のことは一番自分が分かっている。今の自分はとても陸上を出来る身体ではない。心臓に強い負荷をかけると、不整脈による痛みで耐え難い苦痛に苛まれるのである。


 これ以上、陸上は続けられない。


 両親を心配させたくない。


 誰にも迷惑はかけたくない。


 校内でただ一人、陸上部の顧問には本当の事情を打ち明けて陸上部を自主退部したのである。成績不振による自主退部という事にして――


 ただ、未練だけは残っていた。


 だから、僕と竜胆には再入部すると言う嘘をついた。


 日向夏は、涙を浮かべる。 


「うち、もう走ったらあかんのやって」


「…………」


「そうやって医者に言われてもうた」


「…………」 


「今まで陸上がうちの全てやったのに」


「…………」


「悔しいよ……」


 …………。


 こんな時、どうしたらいいんだろう。


 どうしたら、日向夏を励ましてあげられるんだ。


 いや、今の日向夏には。


 どんな励ましも。


 どんな言葉も。 


 刃だ。


 毒だ。


 僕に、日向夏を救うこと出来ない。


 悔しい。


 僕は、無力だ。


 いつだって、無力だ。


 あの時も――


 あの時だって――


 日向夏は、鼻を啜りながら続ける。


「でも、一番悔しいんは、うちの気持ち誰にもバレやんように気いつけとったのに、誰にも気付かれやんかったのに、よりにもよって、よりにもよって捻くれ者のまーくんなんかに気付かれたことや」


「いや、僕は……」


「分かってる、分かってるで……別にまーくんの事が嫌いでゆーとるわけじゃない。やから、やからね、うちのお願い一つ聞いてくれる?」


「僕に出来る事なら……」


 日向夏は、僕の側まで来た。


「あんたの胸で泣いていい?」


「…………」  


 僕は、頷く。 


 日向夏は、僕の胸に寄りかかる。そして涙を制服に押し付ける。鼻を啜る。嗚咽を堪えきれずに――


 秒針が刻まれる。


 どれくらい、こうしていただろう。


 どれくらいの時が過ぎたのだろう。


 覚えていない。


 ただ僕は、日向夏の背中を撫でるくらいのことしかできなかった。


 しばらくして。


 しばらくして――


 日向夏は、顔を上げる。


「もう、離してええで」


「もういいのか?」


 僕は、日向夏から離れる。


 日向夏は、にっこり笑い涙を拭く。少し以前の明るい日向夏が戻って来たように感じられた。


「しもたなぁ、まーくんなんかの胸の中で泣いてしもたわ。不覚」


「酷い言い草だな」


「ごめん、冗談や。ほんまありがとうな。泣いたらちょっとすっきりしたわ」


「そりゃよかった」


 日向夏は、いたずらっぽく微笑む。 


「まーくんって、ずっと捻くれて変なやつと思っとったんやけど、ほんまは優しい人やったんやね。勘違いしとったわ」


「それはどうも」


「けど、これだけは言わせて。陸上はもうほんま諦められたから、ほんまエンジェル部に入ってよかったと思っとる。だからまーくん、これからもよろしく頼むね!」


 日向夏はそう言って、はにかむのであった。

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