灰色の踊り場
バスに揺られているうちに、あの子の声が耳から離れず、私は自分の家の鍵を握る指先が異様に冷たいことに気づいた。出勤のためのルーティンが、自分を避けるように前へ押し出す。だが身体は、階段の踊り場で見た赤いスプレーの文字と、あの濡れた笑顔の写真を何度も描きなおす。
仕事場に着けば書類と数値が喋る。午前中の会議は予定どおり、誰も団地の話題を切り出さない。スーツの男がテレビに写ったときに、一瞬、あの掌に貼られた笑みが思い出される。誰もが何か役割を演じている。私もその役を演じた。昼になれば胃の腑が重たくなり、昼食のパンを噛むたびに、子どもの赤いサンダルが目の端にちらついた。
正午を過ぎても罪悪感は消えなくて、私は休憩室を抜け出した。外は灰色だ。団地へと味気ない道を戻る決めもなく歩いている自分を見て、初めて「お前はこれでいいのか」とどこかの自分が問いかけた。問いは簡単だ。だが、答えは簡単ではない。
団地に着くと、昼下がりの陽はわずかに出て、泥は昨日より少し乾いている。子どもの姿は見えなかったが、階段の踊り場にあるそのポスターは、めくれた端で風に揺れていた。赤い『帰れ』の文字はまだ透けている。私はそこに立ち尽くし、やがて自分の手がバッグの中で何かを探しているのを感じた。
食べかけのサンドイッチだ。朝、買いすぎたものを入れっぱなしにしていた。くだらない、と自分を笑った。同僚たちの昼の愚痴や、上司の無神経な冗談を想えば、これを手渡すことはできる。ちいさなことだが、足りないよりはましだ。私はパンを紙袋から取り出し、包み直すと、そのまま踊り場の裏手へ回った。
ドアの横の薄暗がりに、母親が頭を抱えて座っていた。彼女の髪は濡れていて、子供の服は泥と破れの痕がある。私が袋を差し出すと、彼女は一瞬目を伏せた。警戒だろうか。私は日本語をぎこちなく口にした。
「…食べ物、あります。どうぞ」
言葉は簡単だ。しかしその一言に、彼女の肩が小さく震えた。赤ん坊のように抱かれた幼子が、こちらをちらと見た。その黒い瞳は泥の層を越え、直接こちらを貫いた。私の胸がぎゅっとなった。視線はわたしを責めるわけでも、求めるわけでもない。ただ、世界の中に自分が居ることを確認する問いのようだった。
母親は感謝の片言で答え、袋を受けとる。私はすぐに退いた。やった、という得体の知れぬ満足と、同時に胸の奥に重い鉛のようなものが沈むのを感じる。これで何かが変わるわけではない。だが、この小さな交換が、私の中で何かの基準点になったことは確かだった。
その夜、家に戻ってテレビをつければ、また例のスーツの男が笑っている。カメラはポスターの前で満足げに頷く住民を映している。誰も、踊り場の裏で包みを受け取った母親の顔を映してはいない。映らないことと、存在しないことは違うのだと、私は思う。そのズレを何と呼べばよいのだろうか。偽善、怠惰、あるいはただの怖れかもしれない。
翌朝、私は出勤途中に踊り場を横切ると、掲示板の『帰れ』の上に、誰かが小さな紙切れを貼っているのを見つけた。紙には乱暴に書かれた字体でこうある。
『助けてくれ』
それだけだ。赤いスプレーの下に、小さな白い文字が吸い込まれるように貼られている。私はしばらくそれを見つめた。誰が貼ったのかは分からない。怒りのどす黒いものが私の胸を満たしたり、しかし同時に凍えるほどの静けさがやってきたりする。その紙切れは、昨日私が差し出したパンの包みより、ずっと重い予感を孕んでいた。
私は歩を進める。だが後ろ髪が引かれるように思い、振り返る。踊り場の影の中で、母親が子供を抱き上げ、掲示板に貼られた紙を見ているように見えた。目が合った。彼女は小さく会釈をした。私はまた会釈を返した。意味のある会釈かどうかは分からない。だが、無視するよりはましだ。
日々は続く。役場のスーツは今日も笑い、記者はフラッシュを焚き、ポスターは新しく貼られる。だが踊り場の裏側に生きる人間の声は、消えてはいなかった。泥と血と叫びの匂いは消えない。だが、たった一枚の白紙が、生の声をそこに留めた。私の中で何かが変わるなら、それはその白い紙のせいかもしれない。
物語はここで終わらない。解決などないまま、日常は続き、だが日常の中には、小さな行為が積み重なる余地がある。私の指先に残るパンの紙の匂いは、忘れられない。空は今日も灰色だ。だが誰かの目にふと留まるだけで、世界の輪郭は微かにずれるのだと、私は知った。
薄い灰色の空の下、私はまた歩き出した。問いは消えない。だが問いを胸に抱えたまま動くこと、それもまた、ひとつの応答だと、私は思う。