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幼女吸血鬼と取り戻せない程の恋をした  作者: 菜乃音
第二章 自分として、紳士として

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96 広い世の中に埋もれてしまった真実という名の過去を

「どこから話そうか……」


 陽はスープを一口飲み、頭を軽く悩ませた。

 現在、陽はアリアに対して自身の過去を打ち明ける経緯に至り、聞く姿勢を見せているアリアに話す時が来たのだ。


 過去を話す予定で進めていたが、いざとなった時に限り、気持ちを焦らせるように鼓動は速まり、上手く言語化がいかなかった。


 陽は一つ息を吐き、アリアを柔らかな瞳で見る。


「そうだな……アリアさんにも分かりやすいように、どうして自分が紳士を極めていないのか、から話そうかな。というよりも、小学生の頃の話に近いかな」

「あなたがどこか抜けている理由、と言ったところかしら?」


 アリアの問いに、陽はうなずいた。

 陽としては、アリアが陽を紳士として認識しているのは理解しているが、その経緯に触れたことがなかったのだ。


 小学生……陽からすれば、本当に苦い思い出である。

 健やかでありたい、そんな願いを潰された、人生だったから。そんな儚い願いも飲み込み、人並み以上に生きてきたつもりだが。


「自分は小学生にも満たない頃から、お父様やバトラーから紳士としての振る舞いや、一般の所作に教養、常人離れした訓練を受けてきたんだ」


 やはりというか、アリアは驚いた様子を見せている。

 表情からして言葉に出来ない、といったところだろう。


 陽自身も忘れ気味ではあったのだが、紳士としての振る舞いこそは主に真夜だったが、バトラーにも苦労をかけさせていたのだ。


 バトラーの名前が今まで出てこなかったのも、あくまで主従関係で成り立っていたからこそ、という観点が大きい。

 だとしても、バトラーの存在は幼い頃の陽にとっては大きかっただろう。


「それもあって……小学生の頃から自分は異質だったんだ」

「異質だった?」

「うん。元の教養の高さから、頭一つ抜けていたんだよ……所謂、出る杭は打たれる状態かな。それに、時代が時代だったのもあって、父親一人の手で育てつつなのに、離れ離れが多かったから、忌み嫌われる存在だったんだよ」


 話しておいてあれだが、今の時代に進んでいたのなら救われていただろう。

 陽の時は運が良くも悪くも、男手一つは嫌われていた、本当にそれだけなのだ。


 紳士としての振る舞いは、基本的に他の学生と一歩置いた雰囲気だったからこそ、余計に目立っていただろう。


 その時から無邪気でありつつも、大人の目や会話を理解できていた陽を、彼らは気にも留めなかっただろうが。

 集団心理というのは恐ろしいことに、一人の親が『あの子と関わっちゃダメ』と一言喚起するだけで、伝播する怖気なのだから。


 陽と関われば、所謂イジメの対象、という言葉が添えられてもおかしくなかったのだ。


「毎日のようにかけられる、自分の存在を否定する言葉……今思えば、無邪気故の心理だったのかもね」

「小学生のイメージはつかないけれど……私がその場にいたら、私はあなたを守っていたわよ」


 たらればの言霊は、過去の自分にかけてあげたい言葉だろう。

 ふと気づけば、アリアがテーブルに置いた手を握り締めていたので、陽は静かに手を伸ばして重ねた。


「アリアさん、綺麗な手は綺麗なままでいいんだ……その汚れは全て自分が引き受けるから。それに、中学でホモと出会えたからこそ、唯一の救いでどこか抜けた紳士で落ちついたわけだし」


 正直なところ、ホモという存在も陽の過去に大きく影響しているのだが、今は話す必要は無いだろう。

 今はただ、自分自身の過去を話しているのだから。


 ここまでの前菜を話し終えた陽は、スープを軽く口にした。

 陽からすれば、誰もが経験するであろう心理にしか過ぎない、と思っている。

 自分が特別などではない、一人間として生きた歴史を話したに過ぎないのだから。


 そもそも小学生の頃の話にしては、ずいぶんとあっさりしているだろう。それくらいなら、簡単に打ち明けられてもおかしくないのだ。


「時代は遡るんだけど……紳士としての過程は、あくまで前置きに過ぎないんだ」

「これが、前置きなの?」


 アリアは目を丸くしているが、陽は真実を述べたに過ぎない。

 小学生の話だけなら、わざわざここ、摩天楼の個室を借りる必要は無かったのだから。


「紳士になった経緯には、自分が幼少期の頃に母親からの子育てをまともに受けてこなかったのも関係しているんだよ」


 子育てという名の愛を受け取れないのは、珍しい話でもないだろう。

 世の中には隠ぺいされている、もしくは表に出ていないだけで、調べればゴロゴロと転がっているのだから。


「お父様やバトラーの手があったからこそ、自分はこうして今も立てているんだ。だけど」

「だけど、どうしたのかしら?」

「母親だけであれば、自分は今頃この世に立っていなかったよ」

「陽くん、どうして、そう言い切れるの……」


 流石にアリアも事の重大さを理解したらしい。

 陽は、母親の愛を受けなかったのが、正直正解だったのだ。


 消えりそうな、心配したような声色で言うアリアに、陽は軽く視線を送った。

 心の奥底から込み上げてくる、嫌な思い出を、アリアになら、打ち明けられると信じているから。


「ある日、事件は起きたんだ、ここ摩天楼の個室で」


 アリアは恐る恐るといった様子で、部屋の中を見回した。

 それでも部屋にあるのは、テーブルとイス、陽とアリアの二人だけに過ぎない。

 陽自身、なぜアリアをここに誘わなければ話ずらかったのか、それは実際に場所を見て欲しかったのだ。


 過去を話すだけなら、恐らく簡単だっただろう。

 陽はただ、自分を戒めたに過ぎない。

 周りから嫌われる覚悟で心に(くさび)を打ち、どこか抜けた紳士としての一歩を刻み始めた、この場所で。


「結果から言えば、自分の母親はお父様の手によって、自分の目の前で射殺されたんだよ」

「真夜さんが、お母様を射殺? ……陽くん、その時の年齢は……」

「六歳にも満たなかったかな」


 陽は淡々と言っているが、実際は辛い方だ。

 自分の目の前で射殺されたのだから、精神がずれてもおかしくはないだろう。

 そんな状況下にも関わらず、紳士としての今を積み重ねられたのにも理由がある。


「ここから先は機密事項なんだけど……言ってしまえば」

「言うのね」

「母親はお父様に近寄ろうとしていたスパイだったんだ」


 真夜はあくまで紳士としての皮を被っているが、内に秘めるはエージェントだ。

 いくつものスパイを退けてきた真夜だけども、同じ種族の母親だったからこそ、油断してしまったのかもしれない。


「まあ、お父様は母親との間に子を授かってから、泳がしたうえで摩天楼の個室で隠ぺいしたに過ぎないんだけどね」

「……陽くん」

「自分は、お父様に愛されて生まれてきたようだけど、母親にそんな愛情は無かっただろうね。ただ単に、お父様との繋がりを保つ、いわば生きた(くさび)にしか見てなかったと思うよ」


 正直なところ、陽は全ての全貌を真夜から聞かされていない。

 真夜からはただ、母親の処遇について泣いて謝られた。


 実際、陽は幼い頃からバトラーが来るまで母親には放置されていたので、こぼす涙が一滴もなかったのだが。

 射殺された前で湧いた感情が――人は気を失えば動かなくなる、それだけだったのだから。


 母親の目的まではアリアに話せないが、真夜の遺伝子及びにネノプロジェクトの情報にあっただけで……腹を痛めてまで生んだ子供である陽には、微塵も興味はなかっただろう。


 現に、陽は愛をもらえなかったわけで。


 母親の系譜をたどるのであれば、義理の兄や姉は恐らくいるだろう。だとしても、それは家族と呼べた代物で無いのも事実だ。


 陽と同じく、道具として生んだ可能性もある。真夜の元に生まれた陽は、恐らく幸福だっただろう。

 人は皆、言葉として表に出さないだけで、使い古した玩具は捨ててしまうのだから。

 陽は軽く、夜空を見上げた。


「まあそんな事もあって、自分はお父様にこれ以上傷つきたくないのを本音に、お父様みたいな紳士としての教えをこいたよ。喋れない屍の前でね」

「憶測で物を言いたくないのよ、でも……結果的に陽くんは、紳士として、誰とも関わらない成長をしてしまった、で間違いないかしら……」


 珍しくおどおどした様子、というよりも深入りしてくるアリアに「あまり気にしなくていいよ」と陽は声をかけた。

 実際、過ぎてしまった過去は取り戻せないのだ。


 過去のジレンマはあるものの、母親がこの世を絶ったおかげで、ホモに出会えたので、悪い話では無いだろう。そう、ホモは陽の過去を、唯一全て知っているのだ。


 いつしかアリアに話すかどうか聞いてきたのは、ホモなりの心配だったのだろう。


「最後になるけど……自分であるべきか、紳士であるべきか、その迷いもこれが原因なのかな。どこか抜けた紳士、それが今の自分の落ちつく鳥籠なんだよ」


 どれだけ羽ばたきたくとも、その先に怖くて飛んでいけない、臆病な雛鳥だ。


 ふと気づけば、アリアは椅子から立ち上がり、近づいてきていた。

 そして陽の隣にあった椅子に腰をかけ、しっかりと陽の方を向いている。


 不思議に思っていれば、気づいた頃には陽の首にアリアの腕が回っていた。

 ゆっくりと引き寄せられ、今ではアリアの胸元に頭は埋められている。


 鼓動すらも聞こえるのではないかと思えるほど、優しいのに、ぎゅっと、アリアは抱きしめてきたのだ。


(……どう、して)


 陽は、困惑しかなかった。

 確かにここでは誰も見ることが出来ず、誰も干渉することはできない。


 だけど、大胆にもアリアは、自身の胸元に陽という名の人間を埋もれさせてきたのだ。

 確かな柔らかさはそこにあるが、確かな困惑だってある。


 気づけば、アリアはそっと頭を撫でてきていた。

 顔面から胸元に埋められている陽はアリアの顔を視認できないが、恐らく微笑んでいるだろう。


 それでいて、温かな笑みを浮かべているに違いない。先ほどの話を、アリア自身が受け止めるかのように。


「……アリア、さん」

「陽くん、涙を流しても、いいのよ。今までお疲れ様。一人でよく頑張ってきたわ……私が見てきたもの、あなたは誰よりも、真面目で、優しくて、それいてどこか抜けていて、我慢しすぎなのよ。少しくらい、無理せずに頼ってもいいのよ」


 陽は、言葉が上手く出なかった。

 出なかったというよりも、手は震えていた。


 陽自身、アリアにかけられた言葉を、心から欲していたのだ。それでも、自分は紳士であると言い聞かせ、他者と比べず、己だけを高めていき、自分を見失っていたほどに。


 母親の言葉らしい言葉を、陽は今、アリアから受け取れたのだ。

 誰でもいいわけじゃない、アリアというたった一人の少女から受け取れた言葉が、静かに陽の心の器を満たしている。

 枯れていた、そんな心の渇きを潤すように。


 表面上では平然を装っていたが、心の奥底では、愛が欲しかったのだ。

 なんでもいいわけではない、父親である真夜にはない……優しい愛が。


 陽は震える手を抑えるように、アリアの背に腕を回していた。


「弱虫な発言を、してもいい?」

「陽くんの本音、全てを私に受け止めさせてちょうだい。誰も見てないのだから、なさけないあなたでも、泣き虫なあなたでも、私の前で見せても大丈夫よ」

「……温かさを、実感させて……」

「あら、泣かなくてもいいの?」


 アリアは茶化しを入れているが、頭を撫でてくる手は優しいままだ。

 自分らしさそのままのアリアに、陽は心をゆだねたかった。


 これは告白ではない――過去との決別、新しい自分らしい自分と向き合う一歩に過ぎないだろう。

 陽に不足していた、母親の愛情を今、アリアから知れたのだから。


「うん。涙は、全てが終わった後だから」

「それもそうね。陽くんの気が済むまで、温かさを実感させてあげるわ」


 付き合っていないのにも関わらず胸元で温かさを実感するのは、傍から見れば異端だろう。

 しかし陽とアリアの関係にとって、価値観の違いである常識だ。


 陽はアリアを手繰り寄せるように、少し力強く抱きしめた。

 実感できるほどの柔らかさに、確かな体温を求めるように。


「……温かい」

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