90 夢見心地な家族としての将来を
耳掃除を終えた後、陽はアリアに髪を櫛でとかされていた。
柔らかな肉質の膝枕をされながら、自分の髪を触られるというのは、男心くすぐられる何とも言えない感覚である。
アリアのご褒美自体に不思議な感覚はあったものの、今の陽にはそんな感覚は微塵もなかった。
今はただ、アリアと居られるひと時が、心を癒してくれるのだから。
「陽くん、今日はいつにも増して甘えん坊ね」
「まるで自分が甘えん坊みたいな言い方を……どちらかと言えば、アリアさ……すいませんでした」
「分かればいいのよ」
陽は一瞬でも感じとった、背に震えが走るほどの悪寒を察知し、即座にアリアに謝った。
実際のところ、アリアが普段は甘えん坊だ。だが、今回ばかりは陽が甘えているのもあり、もう少し堪能した気持ちが勝っている。
アリアは陽の言動が面白かったのか、くすくすと微笑んでいる。
陽としては、アリアの腹部を見る状態の姿勢で膝枕をされているのもあり、ちょっとした罪悪感が湧いてくるのだが。
陽自身、基本的に女の子の身体的特徴とかに触れない方がいい、と真夜に教えられているが、アリアは絶妙に違うので困る節もある。
アリアからすれば、長い年月から見た自身のスタイルを保っているようなので、言葉で触れられる分にはいいらしい。ただし、陽と恋羽以外のおさわりは容赦しないようだ。
陽はアリアが頬を突っついてくるので、姿勢を変えて頭を真上に向けた。
(……影が顔に被さってる)
陽は正直、言葉が出なかった。
前に膝枕された時は、照明の光がほとんど当たっていたはずなのだが、今は違ったのだから。
アリアが以前、一部分は成長している、と言っていたがここまで強調されているとは思わないだろう。もしくは、頭がアリアの服に少し埋もれているのもあり、強調されてしまっているのだろうか。
普通に考えれば、膝枕をされて上を向く予定はなかったので、意識をした陽がラッキーボーイなだけなのだが。
「……陽くん、顔が赤いけど大丈夫かしら?」
「あ、いや、視界の三分の一が埋まることあるんだ、って」
「失礼ね。私はこれでも女の子なのよ。成長くらいするわよ……恋羽さんよりは小さいけど……」
「すまない。……頼むから、恋羽みたいに具体的な数値は出さないでね?」
出さないわよ、と言いたげな視線で顔を覗かせてくるアリアだが、正直陽は信用しきれなかった。
アリアが一番、恋羽の影響を受けていると、陽は理解しているのだから。
陽自身は、ホモから何故か、女の子のカップ談議について話をされたのもあり、現在は無駄知識が付いた気分ではある。そのため、あらかじめアリアに断りを入れたと言うものだ。
「まあ、それも踏まえて何だけど……自分に不埒な真似をされたらどうする気?」
「前にも言った通りよ。でも、答えを変えるならねぇ……脊髄を麻痺させましょうかね?」
「本当にごめんなさい」
冗談でも怖さを感じさせるアリアは、笑えたものでは無い。
陽がアリアに手を出す気が無いとはいえ、確かな答えを提示された以上、更に薄まると言うものだ。
そもそもの話、出来るなら陽はアリアと、お互いに不快にならない生活を送りたいと思っている。
現状、柔らかなアリアの膝枕をされている自体が、陽は幸福だと理解している。
だからこそ主従関係とは違う関係を、アリアとは築き上げていきたいのだ。
「そう言えば、アリアさんに好きな人はいるの?」
唐突な質問にアリアは目を丸くし、首を傾げていた。
いつか聞いた気はしたのだが、陽は不意に気になったのだ。
思ったことを口にするのは悪い癖だが、アリアを知る面ではいい薬だろう。
もちろん、アリアが人を愛せないのを考慮した上で聞いているようなものだ。
「……私は人を愛せないのよ? まあ、知っているわよね。そうね、好きな人はいなくとも、陽くんと一緒に居る時間は好きよ」
「好きと好きは鏡合わせかな……嬉しいお言葉だよ」
陽もアリアと居る時間が好きなように、アリアが陽と居る時間を好きだと伝えてくれたことが、陽はとても嬉しかった。
頬を緩めれば、アリアがぷにぷにしてくるものだから、陽はくすぐったさがある。
「ふと思ったんだけど……アリアさんは将来、というか、家族になる人との子どもの数や理想郷、みたいな夢はあるの?」
「……子ども、出来るなら二人はほしいわね。そう言うと、私、人間の生殖方法を知らないのよね」
「アリアさんにも理想はあるんだね」
「主だもの、理想や運命を定められないと、メイドや部下たちに示しがつかないわ。それで、陽くん?」
覗き込んでくるアリアの視線が、陽は正直怖かった。
アリアが言いたいのは、言わずもがな、人間の生殖方法だろう。
アリアが知らない理由は何となくの憶測だが、人を愛せないのもあり、知る機会がなかったのかもしれない。
陽としては、なぜこの時に聞いてきた、と疑問を問いかけたいのだが。
無駄に燃料を投下して、自分が火傷するほど陽も甘くなったつもりは無い。
確かに陽は、学校の教育で習ってきた。だが、アリアは初めてが高校のようなので知る機会がほとんど無いのだろう。
とは考えても、ここではぶらかして恋羽に聞かれる……は流石にアリアなので、吸血鬼であることを悟らせるような発言はしないと、陽は願いたかった。
現状、アリアはどうしても聞きたいのか、軽く猫背で見てくる。そのため、発達途上が顔に近づいてきているのもあり、陽は心臓に悪かった。
「……アリアさんは純粋なままでいいからね」
「もう、私はこれでもあなたよりは長い時を生きているのよ? 子どもじゃないのよ」
「知ってる。アリアさんは、自分の心に足りない水を満たしてくれるほど、自分にとっては特別な存在だからね」
「……馬鹿、私だって、陽くんは特別な存在よ」
消え入りそうな声で呟くアリアは、眩しかった。
薄っすらと赤くなった頬からも、お互いの気持ちが伝わっているようで、陽は何とも言えない感覚で胸が温かくなっている。
陽は誤魔かすように、自身の手を伸ばし、アリアの頬に触れた。
柔らかくも温かい、そんな頬の温もりを実感できる距離に触れさせて。
陽が「同じで良かったよ」と言えば、アリアは静かに頷いていた。ただ、そこには満面の笑みが咲いている。
一緒に過ごすようになってから、特別と言えるほど近しくなるとは、あの時の陽は想像できなかっただろう。
「……陽くんは、愛を知れそうかしら?」
「うん。アリアさんのおかげで理解はできそう」
アリアの言う『愛』は、恐らく今の陽が当たっているアリアから愛の意味を知るではなく、恋愛的な意味が大きいだろう。
アリアが知っているかは不明だが、陽はアリアに、真夜に言われた愛を知る事を話していないのだから。
気づけば、ひんやりとした手が頬に触れ、深紅の瞳をうるりと輝かせ覗き込んできていた。
「……アリアさんは、愛を理解できそう?」
「ふふ、陽くんのおかげで、今でも知れているわよ」
「そうなんだ。良かったね」
「なんで他人事なのよ。……あなたは本当に、どこか抜けていて、優しすぎるのよ、馬鹿」
「どこか抜けているのは、もはや自分にとっての褒め言葉だよ」
陽は幼女吸血鬼におせっかいを焼かれ、アリアはどこか抜けている紳士に手を伸ばされる……種族が違っても、今の関係を表す二つの行動。




