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幼女吸血鬼と取り戻せない程の恋をした  作者: 菜乃音
第二章 自分として、紳士として

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84 幼女吸血に身を捧げるのは、どこか抜けた紳士で

「陽くん、美味しかったわ」

「そ、そっか……アリアさんの口に合ったようでよかったよ」


 当たり前じゃない、と言いたげな目で見てくるアリアに、陽は気まずかった。

 アリアがお粥とゼリーを食べ終えてから、というよりもずっと気まずい気持ちが渦巻いている。


 未だに滴り続ける雨音が、屋根に当たって弾けていると、カーテンを閉ざしているのに伝えてくるほどだ。


 おそらく、自分が思っている以上に、ステラの発言を気にしてしまっているのだろう。


 現在のアリアは寝起きよりは楽そうに見えるが、実際は無理をしているのかもしれない、といった心配を底上げする要因を作ってしまったのだから。


 陽が悩んでいれば、アリアはじっと見てきていた。


「……陽くん、浮かない顔をしているわよ」

「え、あ、すまない」


 先走る謝罪の言葉は、今に合うはずがない。陽は自覚しているにも関わらず、なんとなく謝っていた。


 アリアは流石に異変に気付いたのか、上半身を起こした状態でジロジロと見ては、ゆっくりと手を重ねてくる。

 小さな手は温かいのに、自分の心は冷えているのかもしれない。


「お粥を作っている際に、何かあったのかしら?」


 アリアの指摘に、陽は思わず息を呑んだ。


 とっさに何でもない、と言おうとしたが気持ちはとどまらせてくる。


 仮に何でもないと言ってしまえば……それは、ステラとした『お姉様に嘘をつかない』という約束を破る羽目になるのだから。


 自分が紳士であるなら、約束に嘘をつく気はない。

 あの時に見たステラの様子からも、まるで自分が居たことを証明してほしい、と遠回しに言っている可能性がある。


 もし違うとなれば、ステラが物を残していった理由が不明なのだから。

 陽は気持ちを穏やかにし、紳士の振る舞いをするように胸を張り、しっかりとアリアを見た。


 深紅の瞳に反射する自分は、勇敢なる青年そのものように。


「実は――アリアさんの妹である、ステラちゃんに出会ったんだ」

「ステラに? ……私じゃなくて、なんで陽くんに……それに、ちゃん呼びを強要は見逃せないわね」

「……焼きもち?」

「焼いてないわよ! ステラに会った、それは間違いないのね?」


 陽が静かに頷けば、アリアは悩んだように頬に指を当てていた。


 アリアが驚くと思っていたが、別に興味はなさそうだ。

 むしろ、余計な考察をしているのではないだろうか。


 陽自身も、ステラがなぜ自分に会いに来たのかは不明なのだから。アリアに会いに来たのだとしたら、初対面でナイフを投げてくる理由がないだろう。


「陽くん、疑っているわけでは無いけど確認よ――仮にあなたがステラに出会ったのなら『嘘をつかない』契約を持ち込まれた、間違いないかしら?」

「何でそれを?」

「間違いないようね」


 陽は頭の中がハテナマークで埋め尽くされそうだった。

 アリアが悩んでいる中、陽は紳士の一歩である状況把握を、脳のタスクに実行していく。


 アリアがなぜステラとの約束を知っていたのか、というのを考えるなら、恐らく二人の間にある合言葉と展開した方がいいだろう。


 仮に陽がステラと会った嘘をついたのであれば、その約束ごとで真実かレプリカか判断できるのだから。

 悩んだところで、アリアとステラの関係を知らない陽からすれば、どうしようもない事情ではあるが。


「陽くん、ステラには何を吹き込まれたの?」


 この話題は正直、結論が出るまで話したくなかった。


「……アリアさんの体調不良の理由を聞いたよ」

「あの子ったら、姉の前で憎たらしい意地悪な嘘をついておいたくせに……陽くん、ステラが何処まで話したかは私には不明よ。それでも、全て事実でしょうね」

「……アリアさんが血を飲めないのと、血の宝石で補おうとしていたことも?」


 アリアは静かに頷いた。

 正解か不正解、それはどちらでもよかったが、アリアが確信を持たせてくれた。


 そうなると、アリアの体調は悪化気味と考えるのが妥当だろう。


 どれだけアリアを大事にしたいと思っても、繰り返す悲劇が同じままの状態で変わらないように。


 気づけば、雨音は強くなり、部屋に反響していた。


「陽くん、私は吸血鬼なのに、誰彼構わず血を飲めないのよ。……吸血鬼と人の狭間をさまよう私は、どちらも曖昧……知りえる事が出来ないの。主として、いえ、怯えているのよね、私自身をきっと」


 アリアは、寂しそうだった。

 アリアに一人ではない、と言いたくとも、この口は許してくれない。許してくれないどころか、アリアにかける言葉が見つからないのだ。


 どれだけアリアを思おうとも、吸血鬼ではない陽は、血を飲むや飲めない事情に深入り出来ないのだから。


 アリアは淡々と言っているが、顔色は一切曇っておらず、清々しさがあるほどだ。

 割り切っていると感じるよりも、話したかった秘密を打ち明けたかった、と言ったほうが正しいくらいに。


「自分に話してよかったの?」

「……私は、あなたに嘘をつきたくないのよ。人を愛せなくても、言葉に嘘をつく理由は無いでしょう?」


 一番嘘をついていたのは、陽の方だ。

 いくら見て見ぬ振りを辞めたつもりでも、真実から目を背けているのだから。

 アリア自身から、血を飲めない理由を簡潔に聞いておきながら、理解できていなかった話はない。


 むしろ確信に近づいているにも関わらず、話してよかったの、と濁す自分は、アリアよりも怯えている。


 拳を握り締めれば、じんわりと痛みを感じさせてきた。

 不甲斐ない自分への、戒めだろう。

 自分の過去を話すどころか、アリアの過去を追及している自分に対する罰に過ぎない。


 目を背けていた真実は、最初から答えが出ていたのだから。

 拳を握り締めていれば、小さな手がもう一度優しく包み込んできた。

 とても温かくて、自分だけの体温にしていたい……それほどまでに愛おしくなっていた、その小さな手が。


 息を吸えば、こちらを見て微笑むアリアの姿が目に映った。

 深紅の瞳はうるりとしており、見えないものは何もないほどに輝いている。


「あの、アリアさん」

「なにかしら?」

「アリアさんが嫌じゃなければだけど――自分の血を飲んで、足りない血を補うことは出来る?」


 アリアは目を丸くし、驚いた表情をしていた。


 普通に考えれば、急に自分の血を飲んでくれと頼めば、驚くのも無理はないだろう。

 陽は考え無しに言ったわけじゃない。


 ステラはあの時『効能が切れて半年以上』と言っていた。それは、アリアと出会った時に切れていたと仮定していいだろう。


 あの日に吸われた血が、アリアに適用していたのなら、陽の血はアリアを救っていた裏付けになるのだから。


 無論、アリアがその前に誰かの血を死に物狂いで吸ったのであれば、空想のままだ。


 しかし陽は、心から確信している。そうでなければ、アリアが自分の元に一緒に居た理由に説明がつかないのだから。


 血を目当てで一緒に過ごしていたとなれば、夜な夜な泣く羽目になるので空想で願いたいが。


「自分は、出会った時にアリアさんが自分の血を吸ったのは、なにかの運命だったんじゃないかと思うんだ。終わりの始まりじゃない、始まりを意味する花咲く意味を」

「……答えがまだだったわね。あなたの血で、私はこれまで無事だったわ」

「補えるんだね」

「でも、あなたが貧血とかになってしまうのかも知れないのよ」


 アリアはこの期に及んで、こちらの心配をしてくれている。

 陽がアリアを心配するように、アリアが陽を心配しない理由は無いと、重々承知している。


 だからこそ陽は、今度は自分がアリアを救いたいのだ。

 あの日、アリアが傷から血を吸ったことで、自分が紳士として向き合うキッカケになったように。


「自分が死ぬわけじゃないのなら、アリアさんの気が済むまで飲んでほしいかな」

「……陽くんは、どうして、そうやすやすと言えるの……」

「自分が簡単に言ってるように見える? 自分は、アリアさんが大事だからこそ、消えてほしくないから、笑顔のアリアさんを見ていたいから言ってるんだよ」


 深紅の瞳はうるりとしていた。

 今にでも雫が落ちてしまうのではないかと思えるほどに、表面を濡らしている。


 その時、急にアリアが抱き寄せてきた。

 小さな体は温かくも冷えているのに、確かな温かい感触が肌を伝ってくる。


 首にかかるアリアの吐息が、少しくすぐったいくらいに。


「……陽くん、少しだけ、いいかしら」

「……少しだけと言わず、アリアさんの自分にしてよ」


 ちょっとした茶化しは、今までのお返しだ。

 陽は数えきれないほどの幸せを、アリアから知らぬ間に、知っているうちに貰っていたのだから。


 アリアは抱きしめていた腕を離し、笑みを浮かべた。

 そして吸血鬼姿のままだったアリアは、わざとらしく前屈みの姿勢を取っている。そして、ネックラインを開くかのように片手で触れ、胸元をチラリと見せさせるような、そんな視覚的妄想を刺激してきた。


 というか、防護されたふくらみが軽く見えてしまっているので、陽としては心臓に悪いが。


(……アリアさんのナイトブラ……上品なのが余計目に辛い)


 元から大き目なスウェットを着ているのも相まって、視覚への興奮の促しや、心臓に悪い仕草は程々にしてほしいものだろう。


 鼻の下を伸ばしそうになった陽は、自分に首を振った。


 アリアは幼女吸血鬼なのに、まるで小悪魔のようだ。


「……アリアさん、ほどほどにしてもらえるかな? 自分は男だし、狼になるかもよ?」

「ふふ、あなたの血をたぎらせたに過ぎないわよ? それとも、なにか期待したのかしら?」

「し、してないから。……ほら、これなら飲みやすい?」


 色目ある姿勢で血が騒いだのは事実なので、陽はそっと自身の首元をアリアに見せた。

 どこを吸われてもいいが、吸われるなら近くで距離を感じたいものだろう。


 ゆっくりと陽の首元に口を近づけるアリアから、生暖かい息を感じてしまう。


「……いただくわね」

「うん。召し上がれ」


 アリアの八重歯は静かに首筋へと。

 痛みを感じないのは、アリアの傷を癒す力があるおかげだろう。


(……アリアさんの一部になれるなら、紳士として、いや……自分としては嬉しいかな)


 ふと気づけば、こぼれ落ちた雫が肩を伝っていた。

 アリアの顔は見えないが、陽がアリアの背を優しく撫でれば、アリアはぎゅっと抱きしめてきている。


 手放さない約束を、アリア自身が体現するかのように。

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