82 吸血鬼が現実に居る日常
壁に刺さった銀色に輝くナイフ。
飛んできた方向を見つつ電気をつければ、ダイニングテーブルの上に座る少女が居た。
(……あの子は確か)
テーブルの上に座り、足をふわつかせている深紅の瞳を持つ少女に、陽は見覚えがあった。あったというよりも、鮮明に覚えている、が正しいだろう。
以前はストレートヘアーだと見間違えたが、少女は白髪中心のショートヘアをしている。そして白髪に少なからずブロンドカラーが混ざっているようで、ちょっとした物珍しさがあった。
特徴的な、アリアと対称的となる左サイドにまとまったポニーテールの髪に、紫がかった深紅の瞳。
幼女体型でありながら、アリアよりも起伏に富んだ体つき。そして、後ろに生えるコウモリの羽。
お嬢様風かつ子供らしさのある白いパフスリーブブラウスに、リボンの付いた薄水色のベスト着用をしている少女を、陽は一人しか知らない。
(……ステラ・コーラルブラッド。アリアさんの妹であり、アリアさんの背に傷を負わせた底知れない子……)
陽は冷静を装いつつ、壁に刺さったナイフを抜いた。
ナイフの持ち手には特徴的なマークが彫られており、この世界の物では無いと直感が察している。
「あれを避けなかったの? すごいすごい! どっちかに動くと思ってたのに……流石お姉様のお眼鏡付き、って感じ?」
「人をダーツボードにしないでもらってもいいかい? お姉さんは優雅な淑女だけど、妹さんは茶目っ気が過ぎてるのかな?」
「紳士の割には口が過ぎてるけど、それで本当に紳士を気取ってるつもりー?」
「悪いね。自分はアリアさんだけの紳士なもんで」
ステラと話すのもいいが、目的はあくまでもお粥づくりなので、陽は内心困っていた。
陽が呆れた声色を混ぜているにもかかわらず、ステラは明るいのかふざけているのか不明な幼い声色を変えていない。
おそらく情緒不安定、もしくはそれが彼女というステラの本質なのだろう。
陽は静かにステラの方に歩み寄り、持っていたナイフをくるっと回し、ステラに柄の方を向けた。
ステラは理解したようで、八重歯を光らせ、ナイフを受け取った。そして、真似するようにナイフを回して真上に投げ、落ちてきたところを、何処からとなく取りだしたナイフケースに収めている。
人間がやったら危ないが、彼女は吸血鬼だからこそ出来るテクニックを披露したのだろう。
気づけば、ステラは軽く頭を下げてきた。
「申し遅れたわ。私はステラ・コーラルブラッド。あなたと会うのは二回目ね。まごうことなき、アリアお姉様の妹よ」
「……普通に喋れるのかよ」
響くような明るい声はそのままだが、笑みを浮かべて自己紹介をしたステラに陽は苦笑するしかなかった。
「自分は白井陽。アリアさんとは訳あって、一緒に住んでいる人間だ」
まるで初めて生き物を見たかのような無邪気な瞳で見てくるステラに、陽は慣れるはずがなかった。
思考が読みやすいならまだしも、ステラは一瞬の隙、と言うよりも何を考えているのか理解させない風貌を持っているのだから。
アリアなら行動である程度は理解出来るが、ステラはそう上手くいかない。
「……ところで、何をしに来たの?」
「お姉様のお気に入りのおもちゃを見に来たのよ? ステラが見に来ちゃいけない理由があるとか?」
「……特にないけど」
「じゃあ、問題ないよね」
バッサリ切ってくるステラに、陽はため息が出そうだった。
紳士として、陽は沢山の目上の人や同い年の人と交流してきたが、ステラみたいなタイプを見たことがないのだ。
人の事をおもちゃ呼ばわりしている時点で、陽の頭に疑問は浮かんでいるが、挑発に乗ったら負けだろう。
普通の吸血鬼から見れば、人は所詮、食料に過ぎないのかもしれないのだから。
だとしてもステラは感情表現……というよりも、変わらぬ感情気質を持っているのはありがたい限りだろう。
いきなり狂ったり、話が通じなかったりすれば、陽自身にはどうしようも無いのだから。
「……なんですか」
「面白い人」
陽がキッチンに向かおうとした時、ステラは距離を詰めてきた。そして、ジロジロと見てくるので、陽は顔を引きずらせるしかなかった。
ステラは後ろを振り向いたかと思えば、こちらを見てニヤリと八重歯を見せてくる。
「あなた、裏生徒会を作ったんでしょ?」
「正確には自分では無いけど……そうだけど?」
「すごいよね! 表で活躍せずに、徹底した裏管理で指揮を取る組織とか……暴君とやってること変わらないんだもん! わかる? みんなを輝かせているように見せて、実際は裏で糸を括りつけた人形遊びをしている――あなたにぃ」
ステラに、裏生徒会を馬鹿にしているという意図は感じられない。むしろ、裏生徒会の設立は褒めている方だろう。
ただし、陽に対しては良い印象を抱いていないようだ。
実際、傍から見ればそう思われても仕方ないので、陽は何とも言えない表情をするしかないのだが。
表向きの生徒会がボスであれば、裏生徒会はラスボスであり、裏生徒会の会長は隠しボスとでも言いたいのだろうか。
ステラに何を言われようが、真実は部外者の知らない場所で動いているので、空想のキャンバスに描いた理想論に過ぎないだろう。
どちらかといえば、陽としては、人の家に靴を履いた状態での入場をご遠慮いただきたかった。
理想論を述べるのは自由だが、先ほどからステラが動く度に靴がコツコツと床で音を鳴らしていて、陽は会話を聞く気にもなれない。
念のためもあるので、真剣に聞く耳は立てているが。
「……君から――」
「ステラの事はー、うーん……ステラちゃんでいいよ!」
「……ステラちゃんが何を思うかは勝手だけど、揺れた水面を見る事をお勧めするよ。水の中は変わらなくても、水面は日々変化を遂げているからね」
「自然を称した例え、まるで正義を謳歌しているみたい」
以前もそうだが、彼女は人を悪か正義でしか判断していないのだろうか。
「あれ? あれれ? もしかして、上手く言葉が出せないの?」
「いや、ステラちゃん、鏡で見た時とはずいぶん印象が違うような、って思ってさ」
「お姉様の前では、ちょっと訳があったのよ。でも、ステラはステラ。……あなたは鏡の中の声が聞こえただけでも異常なのに、違和感が無い?」
「……吸血鬼が現実に居る日常の時点で、違和感も何もないだろ」
陽自身、アリアと出会う前までは、吸血鬼は御伽話や伝承だけだと思っていた。
一説によれば、吸血鬼は海外でヴァンパイアと呼ばれて存在したらしいが。
陽はステラの話を聞き流しつつもキッチンに立ち、土鍋を用意した。
話しているのもいいが、今はアリアの為にお粥を用意する事情で下りてきているので、あまり話している暇も無いのだ。とはいえ、用意をして待つ時間は多少暇であるが。
陽は手際よく水の分量やご飯を用意し、土鍋を火にかけた。
ふと気づけば、ステラがジッとこちらを見てきていた。
「何をしてるの?」
「アリアさんの体調が良くないから、お粥を作って持っていてあげるんだよ」
ステラは先ほどからアリアの名前を出していたが、違和感を覚えたのか首をかしげていた。
そして思い出したように、ニヤリと口を開く。
「お姉様の体調が悪い理由、教えてあげようか?」
陽が一番知りたかった情報の糸口を見せたステラに、陽は気持ちが揺さぶられた。
一瞬の静寂に、水道から垂れた水がシンクに音を立てた。




