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幼女吸血鬼と取り戻せない程の恋をした  作者: 菜乃音
第二章 自分として、紳士として

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80 幼女吸血鬼の紳士は傍で手を握っている

 アリアがお粥を食べ終えてから、陽はお盆に食器をよけていた。


「ちゃんと食べて、薬も飲んだし、後は寝て体力を回復させるだけかな」

「……」


 陽自身、不慣れな看病ではあるが、上手くいったのではないかと自負している。

 アリアの体調がどうして悪くなってしまったのかは不明だが、良くなるまでは付きっ切りで看病をするつもりだ。


 アリアを一人にする気にもならなければ、陽はいつもの主らしいアリアを見たいと思っている。

 時間で傷を癒せるのなら、その時間に自分をささげる運命を受け止めたいと思えるほどに。


 アリアの居ない時間が、今の陽にとっては何よりも退屈なのだ。


「それじゃあ、かたづ……」


 食器を片付けに行こうとした時、アリアが手を伸ばし、服を引っ張ってきた。

 深紅の瞳はうるりと見てきており、行かないで、と訴えかけてきているようだ。


 陽はそっと息を呑み込み、手に持ったお盆を近くのサイドテーブルに置いた。

 そして椅子をベッドの方に引き、ゆっくりと腰をかける。

 何も言わずに、深紅の瞳を丸くして見てくるアリアの小さな手を、陽は優しく包み込んだ。


 未だに温かいので、恐らく吸血鬼単位では熱がある方だろう。


「アリアさんが眠くなるまで、少しお話でもしようか」


 アリアは嬉しかったのか、瞳を輝かせて見てくるものだから、陽はむず痒さがあった。

 それでも、アリアが言いたかったことを察してあげられた自分を、今は静かに褒めてあげてもいいのかもしれない。


 気づけば、アリアは上半身を起こしたまま、布団の上に手を重ねておいていた。


「私、看病されるのは初めてなのよね」

「え、そうなの?」

「驚くのも無理はないわよね。まともな吸血鬼なら本来、不治の病気以外では風邪や熱を患わないのよ」


 陽は驚きだった。

 ふと思えば、鏡の中に見たアリアの妹や、まだ見ぬ吸血鬼の事を考えれば納得がいくのも事実だ。

 おそらく、アリアはそれも含めて、条件を付けられているのかもしれない。


 未だにアリアの条件を知る機会は無いが、一つだけ確実に理解できているものはある。


(アリアさんが直面しているのは、おそらく今の自分と同じ……)


 陽が暗い顔をすれば、アリアは頬を小さな手で撫でてきた。


 その手の温かさには心地よさがあるのに……その反面、いつものアリアでは無いからこそ、複雑な気持ちが湧くのも事実だ。


「陽くん、感情が本当に分かりやすくなったわね。顔に出ているわよ」

「え、あ……」


 アリアの指摘に、陽は思わず首を振った。

 陽自身、感情は確かに増えつつある自覚はあるが、アリアに指摘されるまで増えているとは思わないだろう。

 微かな自分の成長に微笑むと、アリアも笑みを浮かべていた。


「ふふ。ねえ、陽くん。……あなたは、看病をされたことがあるのかしら?」

「……アリアさんとお父様以外ではないかな」


 陽は、幼い日から父親の背を見て生きてきた人間だ。

 だからこそ迷惑をかけないように、体調を偽った日だってある。


 それが逆に迷惑をかけていたらしく、真夜にこっぴどく説教された苦い思い出もあるが。


「過去について触れても、大丈夫だったかしら……?」

「アリアさんが気にすることじゃないし、大丈夫だよ」


 陽は静かに、アリアの頭を撫でた。

 彼女が心配そうな表情を浮かべるのを、見たくないのだから。

 アリアは撫でられて嬉しいのか、陽の気持ちに触れないようにしているのかは不明だが、目を細めて喜んでいるように見える。


 陽自身、アリアに対しては、母親及びに過去の件を少ししか話していないが、恐らく気にしてくれていたのだろう。


 現状、今の状況で過去を全て話すつもりは無い。話すのなら、しっかりと自分に決別を伝えてからの方が良いだろう。


「陽くん……看病を真夜さんにされていたのなら、お母様……には、何をされていたの?」

「え?」

「こ、答えづらかったら答えなくていいのよ。ただ、私にとって、その理想像を知らないのよ」


 アリアの言う理想像は、恐らく自身の両親を指しているのだろう。

 前に聞いた情報が正しければ、アリアの両親は妹を残し、他界してしまったのだから。


 陽としては、その過去に触れてアリアが嫌な思いをするのは避けたかったが、アリアは割り切った様子で気にしていないようだ。

 こちらを見て微笑むアリアは、恐らく心を読んでいるのだろう。


 実際、アリアがここまでグイグイ深入りしてくるのは予想外だ。

 きっと彼女も、陽と同じく色々聞く機会を探っていたのだろう。

 恋羽を通してホモに聞けば簡単ではあるが、こちらとの関係を考えたり、主である彼女の威厳を考慮したりすれば、無礼な真似は出来なかったのかもしれない。


 陽は考えた末に、話す内容を決めた。


「……お母様には、実質何もされてないかな」

「何も、されていないの?」

「うん。どちらかと言えば、お父様が全てを見ていてくれたから」


 陽が物心つく前の記憶は定かではないが、真夜から渡されたアルバムに母親の姿を残した写真は無かったので、恐らく真夜が主導権は握っていただろう。


「……だから自分は、アリアさんのおせっかいに、母親らしさを感じたのかな」


 気づけば陽は、気持ちが口からこぼれ落ちていた。

 陽自身、正直なところ母親の愛情という面では欠けている存在だ。

 母親が家族として一緒に居てくれた時間も、作り物に過ぎなかったのだから。


 陽は過去を飲み込んでいたつもりだったのだが、気持ちは吐き出したいほどに辛かったらしい。

 ふと気づくと、アリアが目を丸くしてこちらを見てきていた。


 なぜアリアが目を丸くしているのか不明なのもあり、陽は首をかしげるしかなかった。


「アリアさん、どうしたの?」

「母親……って言うよりも、ちゃんとおせっかいを焼けていたのか不安だったのよ」

「お父様が忙しい時に来てくれていた執事よりも……アリアさんは、自分の心に寄り添ってくれる可愛らしい妖精だよ」


 おせっかいを焼かれている、と素直に返してもよかったが、ジョーク気味に返しても問題はないだろう。

 アリアの気持ちには、しっかりと届いているのかもしれないのだから。


 アリアは恥ずかしかったのか、ぶんぶんと首を振るものだから、銀色の髪が空になびいていた。


 陽は笑みを見せつつも、掛け布団に手をつけた。


「アリアさん、もうそろそろ寝て休んだ方がいいよ」


 昼過ぎではあるが、アリアが吸血鬼であるのを考えれば、今眠っても問題はないだろう。

 今の陽にとって、アリアの体調は何よりも心配なのだから。


 陽が布団をかけようとすれば、アリアは首を振り、近くに置いていた自身のスマホを手に取った。

 アリアのスマホケースは手帳型であり、小さな物なら軽くしまえるようになっている。


 アリアはスマホケースを開き、何やらごそごそとしていた。

 そして姿を見せたのは、袋に入れられた紙だ。


 陽はそれに、一番見覚えがある。

 紙の正体は、アリアにあげた『アリアだけの紳士券』なのだから。


 ふと気づけば、アリアはその券をこちらに見せてきた。

 陽は笑みを浮かべ、ゆっくりとアリアの小さな手を包み込む。そして視線を合わせるように椅子から下り、片膝をあげて敬意を示して見せた。


「アリアお嬢様、ご要望は何でございましょうか?」

「……傍に、居てほしいの」


 アリアの小さなわがままに、陽は思わず笑みを浮かべた。

 そして券をアリアの片手に包ませ、もう片方の手をゆっくりと握って見せる。

 アリアの祈り……それは、陽にとって、何よりも愛おしい雫に等しいのだから。


「それくらいの要望、無くても……ずっと手を握っているし……アリアさんが元気になっても、お粥でも何でも言われれば作るから」


 アリアが居てくれるからこそ、今の陽は輝けるのだ。

 たとえ紳士でなくとも、自分はアリアに尽くしていただろう。


(……え!?)


 陽は驚かずにはいられなかった。

 ちゃんと答えたつもりだったのだが、アリアはこちらを見たまま……涙をこぼしていたのだから。


 確かに流れ出ている一滴の線を、涙と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。


「アリアさん、なんで、泣いているの?」

「……もう、嬉しいからよ、馬鹿。本当にどこか抜けているのよ」


 手で涙を拭うアリアは、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 うれし涙というものは、見ている方からすれば毒でしかないだろう。


 陽は横になるアリアを見つつ、静かに布団をかけた。

 そして約束を実行するように、布団から出たその小さな手を握っておく。


「ほら、こうして握っておくから、安心して眠っても大丈夫だからね」

「……陽くん、おやすみなさい」

「アリアさん、おやすみ」


 数分もすれば、アリアは寝息を立て始めていた。

 強く握ってくる小さな手は、微笑ましいものだろう。


「……お父様の言ってたアリアさんから知れる愛は、母性、って言う意味だったのかな」


 気づけば、ポツリと呟いていた。

 陽は正直な話、幼い日に母親が苦しんで息を引き取る姿を、この目で見ている。

 だけど、悲しいという感情が湧かなかったのだ。


 今の陽は裏腹に、アリアが寝込んでから、心配の感情や、寂しい感情が間欠泉のように湧き出ている。


 アリアに母親らしさを感じる自分は、彼女に何を求めているのだろうか。

 陽はまだ、その本質に気づけなかった。


 悩んでいれば、アリアが反応するように、喉を小さくならしていた。

 可愛らしいものではあるが、普段弱っているアリアを見ないからこそ、陽は膝から崩れ落ちてしまった。


「ほんと……心臓に悪いよ」


 健やかな表情で眠っているアリアに、きっとこの言葉は届かないだろう。

 いや、届かない方が、お互いに幸せなのかもしれない。

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