08 幼女吸血鬼の料理は至高なる誘惑となりて
何事も無く家に着いた陽は、冷蔵庫に食材を入れていた。
問題として、アリアも一緒に居る分、夜ご飯をどうしようか悩んでいたのだが、悩む心配は無かったようだ。
アリアが、上がらせてもらうだけじゃ悪いから、と夜ご飯を作ってくれることを申し出てくれたのだから。
陽からすれば、アリアのシチューを一口食べて料理の虜になっているので、断る理由は無かった。また材料からしても、アリアは最初から作る気でいたのだろう。
ふと気づくと、アリアは制服の上から黒いシンプルなエプロンを翻して着用していた。
黒いストレートヘアーを手慣れたようにまとめているアリアは、普段から料理を作っているのだろうか。
(……料理を作るのにも一苦労なんだな)
陽としては、わざわざ髪をまとめるくらいなら、吸血鬼の姿でいいのではないか、と内心思っている。
陽は彼女が吸血鬼の姿があると知っているので、楽な姿でいるのに越したことは無い筈だ。
とはいえ、失礼に値するので陽は口に出さないようにしている。
冷蔵庫に食材を入れ終えた後、手を洗っているアリアを横目で見た。
「何か手伝うことはあるか?」
アリアは何を思ったのか、陽の姿を見ては、ゆっくりと瞳を見てきた。
「……見た感じ、出来るとは思えないわね」
「慈悲は無いんだな」
「適材適所ね。……変にうろつくくらいなら、ソファに座っているなり、できるまでおとなしく待っている事ね」
「了解。じゃあ、適当に見ているとしますか」
「案外素直なのね」
まあな、と陽は返しつつ、キッチンが見える位置に置いてあるソファに腰をかけた。
以前と変わらず、ダイニングテーブルにキッチン、食器棚と備え付けられた大きな鏡しかないリビングは、生活感が無いに等しいものだろう。
陽としては、後ほどの事を考えても模様替えはしたいと思っている。
行動と考えは別物だと理解しているため、今はただソファに腰をかけて、アリアの作業を眺めておく。
アリアは手際よく、片方のコンロでご飯を炊きつつ、タマゴを割って混ぜたり、鳥肉を醤油につけたりとマルチタスクで作業をこなしている。
陽が真似ようとすれば、間違いなく家を焦がすくらいの器用さだ。
普段料理をしない陽でも、アリアの手から奏でられる旋律は長年の経験だと理解できた。
予測であるが火を見るよりも明らかに、容姿が容姿であるが、アリアは自分より年上である。
それでも、料理に触れてこないお嬢様や主であったとすれば、迷いなくこなすのは不可能に近いだろう。
テキパキと作業をこなしていくアリアを見ていると、陽はなぜか心がむず痒かった。
(……まるで、お嫁さんに料理を作ってもらっているみたいだ)
陽自身、家族としての振る舞いを知らないが、アリアにお嫁さんのような雰囲気を感じとっている。
仮的に……というよりも実際作ってもらっているが、付き合って料理を作ってもらうとなればこんなにもドキドキした感覚に陥るのだろうか。
そっとため息をついた時、陽はアリアと目があった。
手を止めて細目でジッと見てくるアリアに、陽は些か居たたまれない感じがある。
「……私の作り方が気になったのかしら? それとも、紳士さんは妄想を膨らませちゃったのかしら?」
「……いや、別に」
「あら、素直じゃないのね」
くすくすと微笑んでいるアリアを横目に、陽はソファから立ち上がった。
アリアに余計な詮索をされかねないと思った陽は、棚に近づいて食器を出した後に、アリアの手が届きやすいところに置いておく。
そして「少しだけ上行ってくる」と伝えて陽は二階へと上がった。
二階の使っていない部屋の整理をする為に。
しばらくして、ダイニングテーブルには色が添えられていた。
陽とアリアは用意した椅子に座り、お互いに向かいあっていた。
「おお、凄いご馳走だ」
「手を込んだものを作ったから品数は少なめよ……食べ盛りの高校生には少なかったかしら?」
「いやいや、滅相もない! 作ってもらえただけ嬉しいし、どれも美味しそうでワクワクする」
テーブルには、親子丼に味噌汁、焼き鮭が置かれている。
素朴なように見えても、陽からすれば豪華な料理だ。
陽は確かに食べ盛りの年頃ではあるが、一般よりも小食気味なのでありがたい限りだ。
ダイニングテーブルは、二人で使うにしては少し広めであるが、どんぶりの影響かアリアとの近さを実感させてくる。
他者の介入を許さない、自宅という空間の結界の中では更に。
「いただきます」
「いただきます」
お互いに手を合わせ、食への感謝を告げた。
生きとし生けるもの、残してくれた食材への恩を忘れないように、礼儀を正して。
箸を手にして、陽は手始めに味噌汁から啜った。
味噌汁は、一口啜っただけで味噌の風味が口いっぱいに広がり、形崩れしていない豆腐がまろやかな風味を携えて口の中を冒険している。また、食べやすいサイズに切られた人参が入っており、これまた味噌汁に良き甘みを調和してくるので、陽はついつい頬をおとしそうになっていた。
舌にとろける食感や、砕けるように溶けていく人参の甘みある食感。かと思えば、しっかりと効いた味噌の風味は、隙も生じぬ二段重ねの様に味覚へと攻撃を仕掛けてきている。
器から口を離すことすらも愛おしいと思えてしまう味わいに、陽は心からアリアに感謝した。
(親子丼は……)
そして陽は味噌汁に続き、親子丼を口にした。
鶏肉と一緒に口へと放り込んだ、とろけた卵とご飯は、陽の脳裏に焼き付くような味わいを電気のように走らせる。
瞬時に理解できた、パサつきの無い鶏肉。しかも、あのご飯が炊ける短時間で準備されたのもあって、神に等しい領域だ。
パサつきなく食べられるのもあるが、しっかりと味のしみ込んだ鶏肉は、噛めば噛むほど口の中に味わいと風味を広がらせてくる。
極めつけの、親子丼のメインと言えるとろけた卵は、甘くまろやかな喉越し。そして、味の効いた鶏肉とバランスの取れた配合となっている。
ご飯と一緒に食べたのもあって、箸が止まらなくなってしまう程の絶品だ。
陽はもはや、頬が落ちる寸前ではっとなり、ゆっくりとアリアを見た。
「……美味しい」
美味しい、もはやその一言に全てが凝縮されてしまった。
無論、美味しい、の一言で片づけられる代物ではない。
陽の食べている姿を見ていたアリアは安心したのか、口角を上げて柔らかな笑みを浮かべた。
その初めて見た少女の笑みに、陽の心は揺さぶられている。今にでも吸い込まれそうな深紅の瞳も相まって、気持ちをくすぐってきているようだ。
「ふふ、あなたの口に合ったようでよかったわ」
「……うん。自分には持て余すくらい美味しいよ」
普通に考えても、こんな絶品な料理を食べられる自分は幸せ者だ、と陽は重々承知している。ましてや、一つ屋根の下で、みんなの美少女と名高いアリアと一緒に居るのもあって罪悪感に駆られそうだ。
ふと気づけば、アリアは小さく笑い、にこやかな表情でこちらを見てきていた。
「卑下、遠慮しなくていいのよ。これは、あなたの為に作ったのだから」
「……勘違いするような発言は辞めてくれよ」
「あら、私は事実を述べたまでよ。それとも、何か良からぬことでも思い浮かんじゃったのかしら? だとすれば、私に聞かせてほしいものね」
小悪魔のように誘惑してくるアリアに、陽は恥ずかしくなって目を逸らすようにご飯を口に放り込んだ。
「……別に。ただ美味しかったから」
「詮索はしないでおいてあげるわ」
(なんでアリアさんにここまで追いつめられているんだよ、自分は)
居たたまれなくなった陽を、アリアは首を傾げて不思議そうに見るのだった。