76 刺激が強めな幼女吸血鬼にはご注意を
アリアがお風呂から上がるのを待っていれば、数十分後にお風呂場のドアの開く音が聞こえた。
アリアを気にすることが今は多いからこそ、音や行動にすら敏感になっているのかもしれない。
陽は心を落ちつかせつつ、アリアが来るのを待つことにした。
「あ、アリアさん……」
「は、陽、くん……変、じゃないかしら……?」
リビングに来たアリアの格好に、陽は驚きを隠せなかった。
アリアの寝間着は、ネグリジェかベビードールが基本だと思っていた。だが、今回はその予想を一歩も二歩も上回っていたのだ。
わかりやすく言ってしまえば、アリアの寝間着は現在、上に白いワイシャツ風のパジャマを着るだけとなっている。所謂、彼シャツに近い寝間着だろう。
当然パンツは履いている。だが、ワイシャツの長さも相まって、上手い具合に見え隠れしていた。
チラ見えする気品あふれる黒いパンツは、過去の見た記憶をそのままに引っ張りだしてきそうだ。
できるだけ見ないようにしてはいるものの……男の性というものだろう。
視線をシャツから逸らせば、下の方に行きかねないのだから。
実際、アリアの顔を見ていれば済む話ではある。
(肌面積、多すぎないか?)
アリアは何かと家では露出……というよりも、パフスリーブブラウスとかもだが、軽めな半袖系で腕の素肌を見るのは今までも多かった。
ワイシャツ一枚は流石に寒いのではないだろうか、と心配になってしまう。
「……アリアさん、なんでそんな格好を」
「恋羽さんが、陽くんのような初心な男の子なら、この格好が大好きだ、って押してきたから……致し方、なくよ……」
「アリアさん、む、無理はしなくていいんだよ? 恋羽の言葉を全て真に受ける必要は無いわけで」
恋羽の入れ知恵によって、アリアが彼シャツ風の寝間着をしているのは判明した。
陽としては、アリアが恥ずかしいのであれば、無理してほしくないと思っている。
陽は今、アリアを誰よりも心から大切にしており、愛を知りたいのだから。
愛を知るのはあくまで目的であり、手段ではない事を、陽は重々理解している。
だけど、アリアの幼女体型も相まって、気持ちがそそられるような格好は心臓に悪いのだ。
気づけば、アリアは近寄って服を引っ張ってきていた。
アリアに視線を戻せば、顔を赤くしている。
「はしたないのは承知の上で……陽くんだけに、この格好を見せたかった、と言ったら……?」
陽は思わず息を呑んだ。
当たり前かもしれないが、今一番恥ずかしいのは、少ない服だけを纏っているアリアだろう。
恋羽の入れ知恵とはいえ、アリアも子どもでは無いのだから、実行に移すのは躊躇うはずだ。
陽くんだけ……その、だけ、というお互いの中で愛言葉のような魔法は、陽に落ちつく気持ちを与えてくれた
「アリアさん、自分だけに見せてくれて、ありがとう。でも、ひよっこの自分にとっては、少し刺激が強すぎかな」
「ふふ、あなたは頭は良いのに、気持ちは子どもね。この後は一緒に寝るのだから、慣れて貰わないと私が困るわよ?」
恋愛に関していえば、陽はまだまだ未熟者だろう。
今だって、真夜から愛を学ぶように説かれ、アリアの事を意識し始めたのだから。
陽は息を吐き、改めてアリアを見た。
ワイシャツ風の寝間着に、チラリと見える黒いパンツは、相変わらず刺激が強いものだろう。
それでも、その格好を安心して見られるのは、アリアだからなのかもしれない。
最初の頃のベビードールで無防備な姿を晒された時よりも、幾分かはマシなのだから。
火照り始めた頬は、自分が意識しすぎているのかもしれない。
薄っすらと頬を赤くしているアリアの深紅の瞳に、陽の姿は恥ずかしそうに映って見えるのだから。
「アリアさん、自分以外には……その、見せないでね。溶けない氷を自分は見ていたいから」
「馬鹿ね。陽くん以外に見せるはずがないわよ。陽くんは、私だけの紳士なのよ」
陽は、笑みを浮かべた。
笑みを浮かべていれば、アリアは急に腕を抱きしめてきた。
黒いストレートヘアーからふわりと香る甘い匂いに、ちょっとした柑橘系の匂いは、陽のコンディショナーとアリアのシャンプーが混ざりあったことを伝えてきている。
(……アリアさん、寂しかったんだよね)
今日のアリアは、やけに甘えてくる。
元から甘えん坊なのと、陽の心配をした今日だからこそ、多く甘えたいのかもしれない。
アリアを知った気にはなっていないが、まだまだアリアの事を知らなさすぎるのだろう。
抱きしめられた腕は、布越しにもアリアの柔らかさを、ふくらみの感触を伝えてくるようだ。
陽は意識を逸らすように、アリアの頭をそっと撫でた。
「そうだ、アリアさん。今後も、アリアさんの頭を撫でてもいいかな?」
「今更ね。陽くんだけなら、いつでも撫でていいのよ。あなたの手は、温かくて好きなのよ」
笑顔を浮かべるアリアは、本当に嬉しいのだと間接的にも伝えてきている。
陽は胸を撫で下ろしつつも、アリアが湯冷めしないうちに、二人で部屋に向かった。
もちろん、アリアをお姫様抱っこし、お互いの体温を感じながら。
陽の自室に着き、陽は先にベッドに入った。
そうすればアリアは、誘われるように定位置へと体を潜り込ませてくる。
アリアが薄着なのもあってか、当たる腕は、アリアのもっちりとした肌の感覚を伝えてくるようだ。
近い顔の距離に相変わらず慣れないままの陽は、逸らすように話題を振った。
「アリアさん、寒くない?」
「陽くんが温かいから、寒くないわよ」
そう言ってアリアは、ぎゅっと抱きしめてきた。
寝る時はいつも抱きしめられているから慣れたが、今は感覚が違う。
寝る前なのもあり、アリアの温かさを、感触を、息遣いを間近で感じてしまうのだから。
いつも陽は、考えるより先に、過去の経験が自分を後押ししてくれる直感頼りだが、恋愛的距離は未体験への挑戦だ。
陽は寂しくないのに、心は冷たいようだった。
幼い頃から、いつも一人で寝ていたはずなのに。今はただ、人肌が恋しいように。
「……今のままでいいのかな……」
口からこぼれ落ちたのは、迷いだ。
アリアに遠まわしではあるが、陽は助けを求めているのだろう。
手探りで歩く暗闇に、松明が欲しいのだ。
周囲を照らせなくとも、近くを照らせる、命の灯が。
「それは、どういう意味かしら?」
気づけば、アリアは顔を赤らめていた。
なぜアリアが顔を赤くしているのかは不明だが、純粋な疑問を問いかけたに過ぎない。
「……その、アリアさんとの生活を考えても、進展がないままで、いいのかな、って」
「……発言によっては、冷めるわよ?」
流石にアリアに冷められては困るし、アリアの料理が無い生活を考えたくない陽は、思わず手を布団から出そうとした。
その際に、アリアが小さく甘い声を漏らしたような気はしたが、おそらく気のせいだろう。
陽が手を横に振れば、アリアは優しく手を包み込み、布団の中にそっと戻してくる。
「ふふ、冗談よ。意味を、聞かせてもらえるかしら?」
「自分にはよくわからないけど……アニメや漫画みたいな展開を一切してないみたいだから、アリアさんもそう言う刺激が必要なのかな、と思って」
座禅を終えてから、恋羽とホモに愛について尋ねた結果、二人揃ってアニメや漫画みたいなハプニングを起こせば、と送ってきたのだ。
多分グルではあるが、参考にしない理由は無いだろう。
参考と言っても、結局アリア本人に確認しているのだが。
アリアは、アニメや漫画、と言われてピンとこないのか、何とも言えない表情をしていた。
悩んでいるわけでもなく、楽しそうでもなく、本当に表情にしづらそうだ。
実際、陽自身もアニメや漫画に疎いので、アリアにとやかく言える筋合いは無いわけで。
「陽くん……私たちは私たちらしく、自分たちらしく、ありのままに生きていけばいいのよ」
「……アリアさん」
「あの二人に何を入れ知恵されたかは聞かないでおいてあげるけど……私は、陽くんと望む今を生きてみたいの、それだけは忘れないでちょうだいね」
アリアの言葉は、陽の胸を静かに貫いていた。
ありのままに生きていけばいい……おそらく、長い年月から見た、吸血鬼であるアリアの言葉だ。
嘘か実かは不明だが、アリアは自分よりも長い年月を生きているのは確実だろう。そして、今のアリアという少女を、自分の姿として保っているのだ。
一般の人間であれば、紳士や自分らしくかで迷っている陽のように、どちらかへ闇落ちするも同然だろう。
そして深入りせずに告げられたアリアの続く言葉は、陽の考えを凌駕していた。
陽は、アリアを守ろうとしていたのは事実だ。だが、根本はどうだろうか。
陽の根本を一言で表すのなら、独りよがりの自己満だ。
摩天楼の領域にあるアリアの言葉に遠く及ばない、自分勝手な人間だろう。
人間は誰しも、自分が可愛くて、自分中心の考えが変わるはずはない。
アリアはその域を超えて、遥か遠くの、聖域にいるのかもしれない。
そしてアリアは自分だけのものでは無く、陽にも分け与えてくれる、黒き翼をもった……陽から見た天使だ。
気づけば、アリアはぎゅっと抱きしめてきていた。
甘えん坊のアリアの筈なのに、なぜか今は、陽の幼い日に満たされるはずがなかった器を、彼女は満たしているようだ。
――母性という、幼い頃の陽が受けることの無かった、レプリカの愛を。
「……アリアさん、ありがとう。自分は、紳士を目指すけど、アリアさんだけの紳士にとどまるよ」
迷いは晴れないままだが、紳士としての迷いは晴れたつもりだ。
過去の自分に勝る事こそ……真の自分と言えるのかもしれない。
だからこそ陽は、真夜に過去を打ち明けていいかと、許可を取ったのかもしれない。
「アリアさん? ……寝ちゃってたんだね」
アリアはいつの間にか寝息を立てており、深紅の瞳のカーテンを閉じていた。
いつもならアリアが後に寝ているが、今日は心身ともに疲れていたのかもしれない。
それでもぎゅっと抱きしめ、身動きを取れなくしてくる甘えん坊のアリアは変わらないままだ。
(……電気を時間制にしといてよかった。てか、手が際どいな……)
陽も後は時間に任せて眠ろうとはしたのだが、アリアを抱き寄せる手とは逆の、間に入っている手には困ってしまった。
アリアが両腕で抱き寄せてくるのもあり、巻き沿いを食らった二人の間にある手は、アリアのパンツの縁に触れているのだから。
正直、彼シャツ風寝間着の唯一の弱点だろう。
手を動かせばアリアの秘部に当たりかねないので、陽は寝たくとも寝づらいのだ。
アリアが幼女体型だからこそ、の手の位置なので、とやかく言えないのも事実なのである。
「……アリアさんの紳士として、隣に立つものとしても、この状況には慣れないとなのかな」
陽は逆に自分を成長させる機会だと捉え、いつも通りにアリアを抱き寄せ、静かに瞼を閉じる。
陽が寝息を立て始めた頃、もぞもぞと動いたアリアの太ももに手が挟まれたことに、陽はついぞ気づかなかった。




