71 紳士としての一歩を幼女吸血鬼に誓って
「アリアさん、今日一日お疲れ様」
「あら、自ら紅茶を入れてくれるの……優しいわね。陽くんも、あの後大変だったでしょうに」
夜ご飯前の空いた時間に、ソファに腰をかけていたアリアの隣に陽は座り、ぶどう香る紅茶を振舞った。
結局のところ、アリアを助けた後は、ヒーローインタビューのように先輩や後輩、同級生問わずの質問攻めにあったのだ。
ホモからは『普段の行いだな』と嬉しそうな笑みを向けられたのは、今でも些か不明ではあるが。
陽自身、使わないと思っていた身体能力……紳士として頭一つ抜けた力を使うとは思っていなかったが、アリアを傷ひとつなく助けられたのは幸運だっただろう。
紳士として育てられた故に嫌われる過去のある自分でも、環境が自分を、陽自身を成長させてくれている。
気づけば、アリアは目を細め、紅茶を美味しそうに啜っていた。
今では慣れた近い距離も、映る横顔から見える微笑ましい表情も、今では全てが近づいたユートピアだ。
「……そう言えば、アリアさん、あの時は急に抱き寄せちゃったけど、どこか痛いとか無い?」
今更聞くのはおかしい気もするが、学校では息つく間もなかったので仕方ないだろう。
アリアは持っていたティーカップを静かに置き、じっとこちらを見てきていた。
陽の方に伸ばされる小さな手は、なにかを求めているのだろう。そして、うるりとした深紅の瞳には、笑みを宿した陽の姿が反射している。
「私は吸血鬼よ……あの人に触れられなかっただけで、傷は無いも同然なのよ」
「そっか、なら良かったよ」
「助けてくれた時もだけど、あなたの持っている物は変わっているのね」
「普段使う予定は無いんだけどね」
日傘にある仕込みワイヤーフックや、腕時計のスタン針などは、学校外だと一発退場だろう。
結果的に、陽はあの学校内だからこそ行えた行動である。父親の真夜なら、気づかぬ間に人前でも使える実力を持っているので、自分はまだまだ足元にも及ばない。
陽が苦笑いしていれば、アリアは陽の手を取り、甘えるように触れてきていた。
「……アリアさん?」
「別に大丈夫なのよ。でも、手を握ってほしいの……」
「仰せのままに」
陽はアリアの小さな手を優しく取り、両手で包み込んだ。
小さな手は確かに温かいのに、何故か冷たく感じた。
そっと温めれば、冷たさは抜け、心が求めていた拠り所を伝えてくるようだ。
アリアは表情に出していないが、恐らく今日の一連の流れで疲れたり、ちょっとした恐怖はあったりしたのだろう。
主としての威厳が邪魔してなのか、上手く甘えられないアリアだからこそ、こうしてお願いをするように甘えてきているのかもしれない。
陽としては、アリアの些細な一面もしっかりと見ているので、もっと甘えてほしいと思っているのだが。だからこそ、一緒に寝るようにしたり、登下校を一緒にしたり、とアリアが言いづらいことを陽の方から誘っているのだから。
(……今日、悩んで決めたこと、アリアさんには先に、しっかり伝えないと)
今日は、ホモや恋羽、アリアから『紳士らしい』と、どこか抜けた紳士としてではない形で褒められている。
褒められるつもりではなかったが、勇気を出した行動が花を咲かし、果ての無い空の形を教えてくれたのだ。
だからこそ迷っていた――誘われた生徒会の話に、結論がついたと言える。
先ほどよりも少し強く、アリアの手をぎゅっと包み込み、陽はアリアの目を見た。
アリアは変化に気づいたらしく、真剣でありながらも、微笑ましい表情でこちらを見てきている。
「……アリアさん、自分、決めたよ」
「あなたの結論……いえ、歩むべき道を聞かせてもらえるかしら?」
軽くうなずいておいた。
アリアは包まれていた手を離し、背筋をしっかりと伸ばして、こちらを深紅の瞳でしっかり見てきている。
ゆるぎない赤い輝きは、まるで今の陽を後押しするかのように鼓舞しているようだ。
「怖いけど、アリアさんを今後守りきるためにも――二人の作る生徒会に入ることにするよ」
「……紳士だから、は別にしても、あなたが自分を信じていられるのなら、私は止めないわよ」
「うん。迷っても、進む足は止めないようにするよ。アリアさん、ありがとう」
「私は別に何もしていないわよ。……陽くんの決める未来を、主として、アリア・コーラルブラッドとして見てみたくなっただけなのよ」
決意を固めたこの日は、記憶の一ページに刻まれるだろう。
陽は前にも何度か、アリアの笑顔を、ホモや恋羽との関係を守りたいと、過去の自分として何度も誓っている。
アリアが、偉いわね、と言いたげな視線を向けて頭を撫でてくるものだから、陽はむず痒さがあった。
陽自身、紳士としてか、自分らしくとしてか、という点では今も尚悩んでいる。たとえ、今日の出来事が功を奏したとしても、今後はどうなるのか不明なのだから。
それでも今はただ、こうしてアリアに話した決意を、心の中で静かに固めるだけでも良いだろう。
「休み明けにでも、ホモや恋羽に伝えるかな」
「行動は早い事に越したことは無いわね」
アリアが微笑みながらティーカップに口をつけた時、陽はある事を思い出した。
「そう言えばアリアさん……ご褒美のキスを、その、自分なんかにしてもよかったの?」
アリアは思い出したかのように、頬を赤く色づけていた。
今聞く気はなかったのだが、頬に残った温もりは少し神経を集中すれば未だに健在なので、陽は気にせざるを得なかったのだ。
頬を赤らめたアリアは、こちらを細目で見ては、近くにあったクッションを手に取っていた。
瞬く間もなく、クッションで陽を叩いてくる。
痛くは無いのだが、クッションの風圧から感じる通りであるのなら、アリアは恥ずかしさが込み上げているようだ。
クッションの嵐が止んだのかと思った時、アリアは頭突きをし、陽の胸の内で頭をぐりぐりしてきた。
幼い行動をするアリアは、微笑ましいものだろう。
「あ、アリアさん?」
「自分なんか、じゃないわよ、馬鹿。……陽くんがかっこよかったから……」
消え入りそうな声なのに、あくまで陽を肯定しているアリアは、陽をしっかりと見ているのだろう。
何でもかんでも聞くべきじゃないのに、聞いた陽自身がよく分かっていない。
気づけば、アリアは顔をあげ、陽の前髪を軽く避けてきた。そして、じっと見てくる深紅の瞳に、陽はむず痒さが湧き出ている。
「陽くん、顔立ちや容姿は整っているのに、今までうじうじしていたから、あなたの持つかっこよさと釣り合っていないのよ」
アリアがムスッとした表情で見てきているので、陽は不本意ながらもアリアの頭を撫でておく。
「……ごめん。それは、紳士としての自信が無い自分が悪いや」
「べ、別に怒っているわけじゃないのよ。えっと……どこか抜けた紳士としてもかっこいいのは陽くんだけだから、私もご褒美をあげたくなっただけよ」
温かな空気が肌を撫でた時、アリアがぎゅっと抱きしめてきていた。
体は幼女体型なのに、とても温かく、収まりきらない程の熱があるようだ。
回された小さな腕は、細いのにしっかりと存在を伝え、アリアがそこに居ると伝えてくる。
人は見た目で判断してはいけないと、アリアが一番の模倣だろう。
甘えてくるアリアの気持ちに答えるように、陽もそっとアリアの体に腕を回して抱き寄せた。
縮まった距離は、温かさを混じり合わせ、お互いを更に認識させてくる。
アリアが人を愛せないなら……自分がアリアの近い距離に居る事で、双方にとっての幸せになるのではないだろうか。
ぎゅっと服を握ってくる小さな手の感覚を理解しつつ、陽は胸で顔を埋めて匂いを嗅いでいるアリアを覗いた。
「アリアさん、自分、紳士として、もう一度しっかりと向き合ってみせるよ」
言葉はツギハギだけど、確かなピースは埋まっているだろう。
「ふふ、私好みの紳士としても、普通の紳士としても私がしっかりと見ていてあげるわよ」
「アリアさんのお褒め付きの紳士なら安心だよ」
「……忘れない事よ。私はあなたが手を離さないと約束してくれたから、陽くんだけにすることを」
陽は、静かにうなずき、アリアをもう一度抱きしめた。
過去を話していなくとも、今を歩み、その最初の体温を堪能するかのように。




