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幼女吸血鬼と取り戻せない程の恋をした  作者: 菜乃音
第一章 幼女吸血鬼の紳士として

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61 幼女吸血鬼とどこか抜けた約束を

 数分後、アリアは服を握っていた手を離し、気まずそうに隣で縮こまってしまっている。


 陽としては、アリアに全てを吐き出してでも涙を流しきってほしかったのだが、脳が自我を保つためにも抑制をかけたのだろう。


 黒い雲が晴れている深紅の瞳は、話す前よりも美しく、透き通る赤いワインよりも輝いている。


 テーブルに置いてあったクッションを抱きしめているアリアは、幼さがあって可愛らしいのだが、頬を赤くしているので陽は気まずさがあった。


「あの、アリアさん?」

「う、うるさいわよ……」

「え、逆ギレ?」

「違うわよ……私は主であるのに、あなたの前で泣いてしまった事を恥じているの」


 別に泣くことは恥じることでは無いのだが、アリアのプライドは許せなかったのだろう。

 陽としては、吸血鬼であるアリアの確かな人間味を感じられたのもあり、心からホッとしているのだが。


 恥ずかしそうにしつつも、ボロボロの羽を顕現させ、小さくふわふわさせているアリアは、気持ち的には落ちついているのだろう。


 彼女の羽は、陽が思っているよりも正直者なのかもしれない。


「そんなことで」

「そ、そんなことで、って何よ……紳士として、思いやりに欠けているわよ……」

「自分として言わせてもらうけど……生きてれば誰でも泣くだろ。無理をしてても、自分が辛いだけだぞ」


 説得力は、アリアの生きてきた時間と比べれば無いに等しいだろう。

 泣いていないのを誤魔化したいのなら、目が乾いていたから自然的に潤わせた、とでも言えば人間の原理上辻褄が合うのだから。


 一応の事もあり、彼女の泣いている姿をできるだけ見ないようにしていたが、泣いてしまった事実がアリアは心残りなのかもしれない。


 気づけば、アリアは悲しい表情とも取れない、どこか悩んだ様子を見せていた。そして、自身の羽に触れ、うつむいている。


「これから、どうすればいいのかしらね……」


 普段なら簡単にかけられる言葉も、今では一つ一つが未来を紡ぐ重い言葉だ。

 今の彼女は恐らく、人間としてか、吸血鬼としてか、で悩んでいるのだろう。

 陽の中で言う、自分らしくか、紳士らしくか、という天秤に似たものなのかも知れない。


 吸血鬼か人間かの悩みは、他者である自分が口を出して良いものではないだろう。

 置かれている境遇は似ているかも知れないが、あくまで似ているだけで、同じでは無いのだ。

 分かち合う事ができるかもしれない、といった固定概念で動くのは、相手を最後まで思いやる覚悟を貫く必要がある。


 陽はチラリとアリアを見た……ボロボロの羽ではあるのに、彼女は美しかった。


 あの日にアリアが言った『蛹から羽化した蝶は、羽がもげようと美しい』というのは、アリア自身に言い聞かせる言葉だったのではないだろうか。

 アリアは確かに今を悩んでいるが、悩んでいるその姿すらも美しいのだから。


 気づけば、手はアリアの頭に伸びていた。

 アリアは急に撫でられて驚いたのか、目を丸くしてこちらを見てきている。


「アリアさんの家族事情や運命を司れるわけじゃないけどさ――こっちにいる時くらいは、自分を家族として頼ってくれよ」


 話しを聞いていた限り、この世界に、アリアの家族と言える家族は滞在していないだろう。

 アリアの妹は愚か、アリアを慕っているメイドすらも、拠り所としては居ない筈だ。


 だからこそ陽は、大胆ではあるが、自分を家族として見てほしい、とアリアの心に問いかけたに過ぎない。


 今の自分に、アリアの家族としての代わりが務まるかと聞かれれば、恐らく否だ。

 料理はアリアに九割近くは任せきりであり、掃除とかと言った家事に関しても、目を離していればアリアが全て終らせている時もあるのだから。

 それでも唯一出来るのは、アリアの傍に居る自分らしい陽としての、新たな家族としての形だ。


 例え血が繋がっていなくとも、支え合って、共に生きていこうとする覚悟を、家族と示さない理由は無いだろう。


 気づくと、アリアは深紅の瞳をうるりとさせており、今にでも泣いてしまいそうである。


「白井さん……あなたにとって、私は何に見えるかしら」


 陽は、音が鳴ってしまうくらいの息を呑んだ。


 自分の見ているアリアという、ありのままの答えを今の彼女は欲しているのだ。

 吸血鬼でもなく、人間でもなく――ただ一人の少女、アリアとしての問いだろう。


 陽はひと息置き、深紅の瞳に映る自分に笑みを映させた。

 彼女の景色がもう一度歪むほどの、心の音色を響かせるために。


「――自分だけの、アリアさんは白井陽だけの、幼女吸血鬼だよ」


 付き合ってもいないのに言うのだから、アリアに引かれてしまっても仕方ないだろう。

 陽はアリアの気持ちに答えるため、己の持つ、見てきた世界をありのままの言葉として述べていく。


「優等生でおせっかい焼き。でも、本当は寂しがりで、我がままで、甘えん坊な幼女吸血鬼だよ」

「ううぅ……幼女は本当だとしても、寂しがりは余計よ!」

「なんで甘えん坊はいいのに、なんで寂しが――うっ、あっ」


 照れ隠しなのか、力のままに頭突きをしてくるアリアに、陽は息を吐き出すしかなかった。

 痛くは無いのだが、勢いが強いのと、彼女が幼女なのもあってか、受け流しをしきれないのだ。


 今までの雰囲気を壊す仕草をやってくれたアリアを宥めるように、陽はそっとアリアの頭を撫でた。


 アリアは落ちついたのか、息を吐き出し、しゅんとしている。

 切り替えが早いのは、アリアの長所であり、微笑ましい部分である。


「もう一つだけ、いいかしら……人間としても、吸血鬼としても曖昧な私はどう存在していけばいいのかしら」


 簡単な答えに、過ごしている時から出ていた答えに、陽はそっと口角を上げた。


「自分はアリアさんが好きだから、アリアさんらしく居ればいいよ」


 アリアはアリアのままでいいのだ。

 他の誰でもない、アリアだからこそ、自分はこうして真剣になれるし、懸命に悩めるのだ。

 自分らしく居られるアリアを、何よりも好きなのは噓ではない。


 たとえ偽りの愛であろうと、確かな答えは既に出ているのだ。

 人間や吸血鬼関係なく、アリアというたった一人だけの少女が存在する、揺るがぬ真実が。


 気づけば、アリアは驚いたように目を丸くし、頬を赤くしていた。

 アリアの頬が赤い理由がわからず、陽は首を傾げるしかなかった。


「あの、アリアさん、どうして頬がさっきよりも赤くなってるの?」

「……ふふ。本当に、どこか抜けた紳士で、鈍感なのね」

「え、いや、どういう意味?」


 思っている言葉を口にしただけにすぎない陽からすれば、疑問にならない理由は無かった。

 微笑ましいような表情をするアリアには、今の陽の気持ちは知る由もないだろう。


 今のアリアなら、過去を乗り切れると信じて、ソファから立ち上がろうとした時だった。


 ふわりとした温かさが、宙に銀の髪をなびかせ、包み込んできたのだから。

 瞬く間もなく、アリアは正面から離さないと言わんばかりに、ぎゅっと陽を抱きしめている。


 抱きしめてくるアリアの片手を、陽は静かに握った。


「白井さん、私を一人にしないでね」

「……アリアさん。安心して。可能な限り、この手を離さないで、アリアさんの紳士であり続けるから。まあ、こんなどこか抜けた自分だけど」

「馬鹿ね。あなたがどこか抜けているから、私は安心しているのよ。本当に、離さないでね」


 自分の覚悟を証明するように、陽は静かにアリアを抱きしめた。

 これは告白ではなく、覚悟の証明だ。


 吸血鬼の生きる時間の中を、自分が生き続ける事は不可能だからこそ……アリアの呪縛とならないように、アリアだけの紳士としていられるように、いずれ偽りの愛を本当にできるように。


 今の生きる時間を分かち合うように、アリアを胸の中でもう一度静かに包み込んだ。

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