06 幼女吸血鬼になら騙されてもいい
学校が終わり、陽は帰宅の準備を終えてから教室を出た。
ホモとは別々に帰る事となったため、特に用もないので一直線に帰るつもりだ。
校門を抜けるまで、陽はそのつもりだった。
(……アリアさん)
昇降口から校門に向かっている際、制服姿からも溢れ出るお嬢様のような雰囲気を持った少女、アリアの姿が目に映った。
彼女の立ち姿は他の生徒と一線を画しており、明らかに生きている世界が違うのだと、陽は感じとれている。
問題としてアリアは吸血鬼であり、太陽の下に居ても大丈夫なのか、という事くらいだ。
太陽の光が弱点であるのは御伽話に過ぎないが、仮にアリアも例外に漏れなかったら、だいぶ見えない傷は負っているはずだろう。ましてや、アリアは人間の姿であるときは黒いストレートヘアーであるため、余計に光を帯びてしまう。
陽は悩むことをせず、鞄から静かに一つの筒を取り出し、クルリと拘束を解いた。
そして堂々とした振る舞いで、ゆっくりとアリアに近づいていく。
「……お嬢様、太陽の光は毒でしょう?」
持っていた筒のボタンを押せば、さっとアリアを覆い隠すように上部へと広がり、アリアを下にして影を作った。
陽はもしもの事も考えて、表が白色、内側が黒色の日傘を持参してきたのだ。無論、自分用ではなく、アリアの肌を守るためにだが。
余計なお世話かも知れないが、アリアを放置する気にはなれなかったのだ。
校門を背にして立っていたアリアは、影ができたのを理解してか、見上げるようにこちらを見てきた。
「あら、ありがとう。さすが紳士ね」
「……何度も言うけど、自分は紳士じゃないよ」
「そうかしらね? ……にしても、案外大胆ね」
アリアの言う通り、ここは校門であり、他の生徒も通る場所だ。
アリアは陽に教えるかのように、わざとらしく周囲を見渡して見せた。
陽がアリアに傘を差したのもあり、アリアに対して恋心を抱いているであろう男子諸君からは、睨みつけるような焼けた視線が飛んできている。
また同じクラスの男子からは、仲が良かったのか、と不思議そうな視線が飛んできていた。
陽はクラスメイトの交流は愚か、ホモか約一名の強引関わり以外は話をすることがないため、不思議がられるのは仕方ないと思っている。
アリアにバレない程度に息を整え、静かにアリアの瞳を見た。深紅に輝く、深く赤いその瞳を。
「嫌だった?」
「いえ、別に私も気にしてないわよ。価値観の違いだもの」
「価値観、か」
価値観、ある意味でアリアを呪縛するような言葉なのかもしれない。
周囲の視線を気にしないようにしている陽としては、価値観とは遠い存在なのだが。
アリアの表情に曇りが見えないので、心から気にしているわけでは無いのだろう。
「一つ聞いてもいいか……誰かを待ってた?」
アリアが首を振るのを見るに、誰かを待っていたわけではないらしい。
陽としては、何で校門に立っていたのか疑問でしょうがなかった。
気にするのもほどほどにしつつ、ゆっくりと言葉を決めていく。
「アリアさんはどこまでご所望で?」
「……あなたの家まででいいわよ」
唐突に告げられたその言葉に、えっ、と陽は驚くことしか出来なかった。
陽自身、彼女がどこに住んでいるのか分からないのもあるが、お持ち帰りをする為に傘を差したわけでは無いのだから。
ましてや校門で言われたものあり、流石に動じない精神は持ち合わせていない。
「えっと、あらかじめ話を通しておいてもらえると助かるんだけど……?」
「あら? 今話をしたから、問題ないわよね?」
「求めているのは事後報告じゃなくて、事前連絡なんだけど」
「そう。じゃあ、今から行きましょう」
なぜかを引き下がる様子を見せないアリアに、陽はため息をつくしかなかった。
この場所で言い争ったとしても、アリアとの関係が変に広まるのは避けたいのだから。
(……主従関係が明確になりつつあるな)
察し始めてはいたが、アリアの雰囲気はお嬢様のような幼女吸血鬼なので、仮的にも紳士と言われている陽が勝てるはずもなかった。
陽は肩を落とさないようにして、アリアの手からそっと鞄を取り、帰路を辿ることにした。
無論、アリアを歩道側にし、日が当たらないように細心の注意を払いながら。
道を歩けば、小石をはじく音が鳴り、揺れゆく木々が綺麗な音色を奏でている。
普段であればホモと会話をして帰っている帰路も、静かな空間に包まれているようだ。
ただし、今は自分が日傘をさし、アリアを導いているという例外を除いて。
陽自身、傘を他者に合わせて差しながら歩くのは不安であったが、慣れてくれば楽なものだと思っている。また、アリアの身長が低いのは唯一の救いだろう。
アリアの歩幅に合せて歩きつつ、陽は思っていることを口にした。
「アリアさん、無礼は承知なんだけど、一つだけ聞いてもいいかな?」
「白井陽、特別に許可するわ」
やはりだが、アリアはこちらの事を従者か何かと勘違いし始めているのだろう。
気づけば、傘を差したまま陽は足を止めていた。また、アリアも気づいたらしく、傘の内側に入るようにして顔を見上げるように足を止めている。
「……帰る家はあるのか?」
枯葉が地を蹴れば、二人の姿しかない道には静寂が訪れていた。
陽はただ、アリアの帰る家があるのか、ずっと気になっていたのだ。
別にアリアは他人だから、陽が気にすることでは無いと理解していても、手を差し伸べられるのなら、無償でも伸ばしたいと思ってしまったから。
人の無償の優しさは、相手にとっては都合の良いただの道具で、動かなくなったら壊れたおもちゃのように捨てられる事は陽自身が重々承知している。
(……ごめん、ホモ、お父様。自分は、紳士じゃないから、優しくないから……アリアさんになら、騙されてもいいから)
彼女が人間であったのなら、もう一度手を差し伸べようなんて発想に至らなかっただろう。
正直、帰る家があるのか、と聞いた陽自身が、微かに震えてしまうほどの恐怖を背負っているのだから。
表には出さない、鏡に映る自分だけが知っている気持ちを。
ふと気づけば、アリアはそっと下を見て、肩を落としていた。
今まで見ていたお嬢様のようなアリアではなく、まるで人間らしく、彼女が吸血鬼であることを忘れさせるような雰囲気を漂わせている。
「……私が帰ることはできないの」
棘があるような冷たい声で言ったアリアは、この数日で初めて暗い表情を表に出していた。
顔は笑っているのに、気持ちは笑っていない、陽がする演技と同じ感情を。
赤黒く染まっていく深紅の瞳は、話したくなかったのだと、間接的に伝えてきているようだ。
「そっか。悪いことを聞いたね、すまなかった」
「別に、あなたが気にすることじゃないの。だから、今の話は忘れてちょうだい」
陽はアリアの事を知っているわけでも無いし、ましてや話して数日の仲である。
結ばれた糸は、そう簡単に解かれるはずも無いのだろう。
たとえそれが、仮染めのどこか抜けた紳士と呼ばれる陽が相手であっても。
陽としては、アリアから聞きたい話は聞けたので、情報は少量でも大きな収穫だと思っている。
陽はわざとらしく持っていた二つの鞄を肩にかけ直し、アリアを笑みで見た。
「アリアさん、ちょっと寄り道するんだけど、付き合ってもらってもいいかな?」
アリアの瞳からは暗さが抜け、赤い宝石のような輝きを映していた。
アリアは提案に驚いたのか、目を丸くして、驚いたようにポカリと小さく口を開けている。
驚いた様子を隠さないアリアの幼い感情に、陽はふと見惚れていた。
アリアに下心が無いとはいえ、あどけない表情をされてしまえば話は別だろう。
「あら、予定でもあったのかしら? 家に向かって、って言ってしまって申し訳ないわね」
「今決めたことだけど?」
「白井さん、紳士なのにどこか抜けているわね?」
「はは、ホモにも同じこと言われているよ。で、着いてきてくれる?」
アリアがうなずいたのを見て、陽はエスコートするように目的地へと歩を進めるのだった。