59 輝きを失う幼女吸血鬼
翌日、その日の黄昏は赤かった。
夜の帳が落ちる頃には、どんよりとした黒い雲に空は覆われ、一粒の光すら差していない。
三月で温かくなっているのに、寒さを感じてしまう。
今日はアリアと会うことがなかったのもあり、陽は心配が募ったままだ。
メッセージを送ろうか悩んだが、送れずに手元に残ったままである。
夜ご飯どころか、朝やお昼ご飯でも会わなかったのだから、拭いきれない気持ちが揺らめいている。
自分はアリアの何を知れていた、アリアの近くに居て何になれた、と言った考えが脳裏を巡るばかりだ。
水を飲もうと階段を下りれば、音が出ていないのに、軋んだ音を響かせてくる。
陽は、自分は、紳士として、全てを考えさせられるようだ。
不安な気持ちを抱えたまま、一階のリビングに差しかかった時だった。
光の漏れたリビングから、アリアの声が聞こえてきた。
誰と話しているのだろう、と疑問になる気持ちを抑え、陽はリビングに入らないようにしつつ、壁に背を預けて静かに覗いた。
リビングを覗けば、アリアが壁に埋められた巨大な鏡の前に立っていた。
陽の位置から見える鏡の中に、知らない少女が映りアリアを笑っている。
見た目は鏡に映っている範囲でしか分からないが、恐らくアリアと同じ幼女体型だ。
ストレートヘアーの白髪に、左サイドにまとめられている髪型は、白髪を除いてアリアの吸血鬼の髪型と瓜二つだ。
幼女体型とは裏腹の起伏ある富んだ体つきは、服がお嬢様風かつ子供らしさのある白いパフスリーブブラウスに、リボンの付いた薄水色のベスト着用なのもあり、喉から手が出るような美少女体型と言えるだろう。
皮肉にも、女性の悩みで聞く悩みが身長以外にはない、整った体型だと陽ですら理解できるほどだ。
極めつけに彼女は、吸血鬼の確信と言えるコウモリの羽をもっている。
アリアをあざ笑うような口からは、八重歯がチラリと見えている。
特徴的とも言える紫がかった深紅の瞳から見るに、アリアの言っていた妹ではないだろうか。
陰から見ていた陽は、うつむくアリアの前に今は出る事ができず、拳を握り締めていた。
「ほんとうに、お姉様は可愛そうな存在」
無邪気で笑うような声の響きに、聞いているだけでも初めて怒りを覚えそうだった。
「他人の評価? 主としての威厳? 何それって感じー? 結局は、自分が正義だーって、権力を振り回してただけでしょう?」
鏡の中から声をかけられているはずなのに、なぜ自分にも声が聞こえるのか、陽はそれが疑問だった。それでも今は、アリアを見守るしかないだろう。
陽は、あんなにもうつむいたままのアリアを見たことがない。
家族は共に支え合って生きていく、というのを勘違いしていたのだと思わされるほどに。
「価値観、だっけー? お姉様は、異質な存在で忌み子なのに、なんで主になったら他の価値観が変わると思ってたの? 結果的に鏡世界から追放されて、裏で動いてたメイドからの仕送りも禁止なんだから哀れだよね」
「あの子は、あなたに関係ないわよ」
「主なのに目を見て話せないのー? あはは、いい加減諦めて、楽になったらどう?」
沸き立つ感情というものは、ここまで抑えようが無いのだろうか。
握り締めた拳から今にでも悲鳴が上がりそうだ。
ふと気づけば、鏡の中に映る少女は、こちらを見てニヤリとしていた。
憶測ではあるが、陽が少女の姿をとらえていたのだから、恐らく少女も知っていた上で話していたのだろう。
そして少女は「お気に入りのおもちゃが見つかるといいね」と言い残し、蜃気楼のように鏡から姿を消した。
悲しそうなアリアにかける言葉は見当たらないが、足は勝手に動いていた。
引き寄せられているわけでも無いのに、動かずにはいられなかった。
アリアはこちらの気配に気づいたのか、驚いたような表情をしている。
アリアに「盗み聞きする気はなかった」と、本当に偶然であっても見合ってしまった現状に、静かな謝罪の言葉をおいた。
アリアの方に近づけば、体が小さく震えているのが理解できる。
「……アリアさん、さっきのは?」
曇った深紅の瞳は、確かに陽を映した。
表情にいつもの笑みは無く、アリアは暗いままだ。
傍から離れてしまえば、すぐにでも散ってしまいそうな程に。
「……あの子は、私の妹、ステラ・コーラルブラッドよ」
「やっぱり、妹さんだったんだ」
アリアは静かにうなずき、自身の両手を握っていた。
僅かに震えているアリアの肩は、肉眼でも確認できてしまう。
まるで気にしていないような振る舞いを見せているアリアだが、表情は暗く、声からは棘が抜けきれておらず、そこに居てそこに居ないようだ。
「もし、声が明確に聞こえていたのなら気にしないでちょうだい。悪いのは……問題は私にあるの。あなたが心配しなくても大丈夫よ」
アリアが他人だと理解しているが、この手を伸ばさないままでいいのだろうか。
陽は心の中で、紳士の自分、陽である自分を差し置いて、自分を手繰り寄せたかった。本当にしたい行動は、自分が一番理解しているから。
その時「本当に、大丈夫よ」とアリアは片言気味に言って、どこかに行こうとした。
彼女は吸血鬼であるが、夜だから安全という保障は何処にもない。いや、それはただの言い訳に過ぎない。ここで彼女を見て見ぬ振りをすれば、後悔してもしきれないだろう。
黒いストレートヘアーを揺らし、どこかに行こうとしたアリアの手に、気づけば自分の手を伸ばしていた。
震える手が、深紅の瞳が、離して、と訴えかけてきても離すつもりはない。
「……白井さん、私は本当に心配しなくても大丈夫よ」
「アリアさん、どこにも行かないでくれ。心配なんかじゃない……自分が、今はただアリアさんを必要としてるから」
真剣に見ていたのもあってか、アリアの手から力が抜けるのを感じた。
陽は無言のままのアリアの手を取り、ソファに腰をかけるのだった。




