55 幼女吸血鬼と過ごす夜の時間
寝る前のお話をするためとはいえ、同じベッドでアリアの隣に座っているのもあって、陽は心が落ちつかなかった。
ホモと恋羽が一階に下りたとしても、アリアと一緒に居る空間に変わりはない。だが、寧ろ距離は近づいている。
耳を澄ませば、小さな息遣いでも拾ってしまいそうな距離。
お互いの間に置いた手に重なる小さな手は、確かな存在を、温もりを伝えてきている。
数分も過ぎていないであろう空間に、何十時間もの時を超えたのではないかと、陽は思わず錯覚してしまいそうになっていた。
「その、アリアさん……何を話そうか、なんてね?」
「ふふ、白井さん、そこは紳士の腕の見せどころじゃないかしら?」
「自分は紳士としての教育も受けて生きてきたけど、卵だよ?」
「あら? なら、今羽化すればいい話でしょうに? 心配しなくても大丈夫よ。あなたは、私が認めているどこか抜けた紳士だもの」
アリアのお褒め付きは嬉しいが、貶しているのか、貶していないのか理解しづらい茶化しに、陽は苦笑するしかなかった。
実際のところ、アリアが相手……陽に悪意を持った言葉を言ってくるとは思えない。そのため、しっかりとした評価をした上で、最適な言葉を投げかけてきてくれたのだろう。
彼女の言葉は『否定の無い気づきを与えてくれる』ので、今の陽にとっては、大事に抱えたい言葉である。
陽は話題を少し悩みつつも、ちらりとアリアを見た。
(アリアさん、カーディガンを羽織っているけど、目に毒で、優雅な花なんだよな……)
現在のアリアは寝間着姿であり、フリルの付いたワンピースネグリジェを着用している。
カーディガンを羽織っているが、少し視線をずらせ見える白い肩に、チラリと映る黒い紐は、心臓に悪いという褒め言葉も大概だろう。
陽はアリアから軽く目を逸らしつつ、ただ正面を見た。
「アリアさん、このお泊りなんだけど……まるで家族みたいだよね」
陽自身、正直何を言っているのか理解できていなかった。
アリアをチラリと見れば、暗い表情をしている。
「あ、ごめん。嫌、だったよね」
そう、アリアは家族の話を自ら話そうとしなければ、触れようともしてこなかったのだ。
今日の出来事だったとはいえ、少しくらいは考慮する必要があっただろう。
後は眠りにつくだけだから、お互いに気持ちよく一日を締めくくりたい筈だ。
違う話を切り出そうと頭を悩ませた時、重ねられていた小さな手が、ぎゅっと握り締めてきた。
大きな夢、抱えきれない程の優しさが、その手には詰まっているようだ。小さい手には収まりきらない程の、大きな思いに、確かな温かさが。
「……私は、この生涯にたった一人だけ、自分の家族である本当の妹が居るの」
淡々と言葉を口にしたアリアは、どこか冷たく棘があるのに、温かいようで、初めて聞く優しい声だった。
陽自身、アリア本人から家族の事を話されると思わなかったので、自分語りであろうと、アリアの事を知れるのが嬉しかった。
アリアに妹が居るのは、クリスマスに話題で軽く出ていたのもあり、陽はしっかりと記憶している。
いつかアリアが話してもいいように、アリアを思いやりたいと感じていたから。
お泊りの話題は、今の陽にとってどうでもよくなっていた。どうでもいいわけではないが、四人での貴重な時間は、自分の記憶の本棚に記しておけばいいのだから。
過去を振り返れたとしても、他者の生きてきた時間や関係は、その本人からしか聞けない。
家族の話をアリアがあまりしたがらないのを陽は理解しているので、今は心をゆだねたいのだ。
気づけば、そっと話し始めたアリアの横顔をまじまじと見つめていた。
「妹は、生意気だけど、家族に対して……まあ、私しかいないのだけど、とても優しい子なのよ」
「すごくいい、妹さんなんだね」
アリアは、静かにうなずいていた。
妹の話をするアリアは嬉しそうで、見ているこちらも笑みを浮かべてしまう。
「こんなことを聞くのもなんだけど……妹さんとは仲が良かったの?」
「生憎、人間から見れば仲が悪い、の一点張りね」
別に聞いても大丈夫よ、と深紅の瞳で言いたそうなアリアは、こちらの心を読んでいるのだろうか。
陽としては、人間から見れば仲が悪い、という言葉に引っかかりがあった。
仲が良いのであれば、アリアでも遠まわしに皮肉めいた言葉遣いをしないだろう。
推測になってしまうが、長い年月で見た感覚を指しているのかもしれない。
あくまでアリアと過ごしてきた日々から感じ取れた、陽の直感からの考察である。
「……それでも、吸血鬼からすれば、気持ち悪い程に仲がいい姉妹だったと思うわよ?」
嬉しそうに言うアリアに、陽は思わず笑みをこぼしていた。
「そっか。……二つの宝石が一緒にある瞬間を、この目で見てみたいよ……」
「……世界が赤い夜に染まる頃、いつかは見えるかもしれないわね」
アリアが一瞬だけ顔に影を見せたが、陽はあえて気づかぬ振りをした。
ホモに警告された後だというのに、理解しておきながら、結局は見て見ぬ振りを、近くで支えている振りをしてしまうのだろうか。
陽は自分を偽善者だと、重々理解している。
アリアから言われた言葉が何を意味しているのか、今の陽は、それを考えようと思えなかった。
言霊から生まれた真実は、いずれ時と共に舞い降りてくるのだから。
ふと気づけば、アリアは羽織っていたカーディガンを脱ぎ、近くのサイドテーブルに綺麗に畳んで置いている。
不意に見えるようになった白い肩に黒い紐は、静かにも心臓を刺激してくるようだ。
「夜も更けてきたし、そろそろ寝ましょうか」
「……うん。そうだね」
「ふふ、恋羽さんの言ってた通り、純粋無垢な男の子ね」
余計なお世話だ、と言いたかったが、陽は心の中にしまっておいた。
今あるアリアの笑顔を、自らの手で壊し、忘れたくないのだから。
アリアの空間に考慮しつつ、陽は布団の中で横になりつつも、人一人分の空白を作りながら布団を開いた。
「アリアさんが嫌じゃなければ……その、一緒に……」
「あなたから添い寝のお誘い……嬉しいから、お邪魔させてもらうわね。不慮の事故とはいえ、大晦日の夜に一緒に寝たのに遠慮がちなのは、まだまだ子どもね」
「羞恥心が無くなることを大人だというのなら、自分は子どものままでいいよ」
わざと呆れてみせれば、アリアは笑みを浮かべている。
そしてアリアは、ネグリジェがはだけないように抑えつつ、開けていた空間へと潜り込んできた。
ぴったりと近づいた距離はアリアの体温を感じさせ、当たる素肌はネグリジェの滑らかさを教えてくる。
(……こんなにもすべすべな素材で出来ているのか)
寝る直前なのに心が落ちつかないのは、添い寝をする相手がアリアだから、だろうか。
アリアとの距離が近づいた、というよりもアリアが胸の中に納まる位置なのもあり、肩の黒い紐がどうしても見えてしまうのだ。また、アリアの体型と合っていないのか、首の隙間から中が見えそうになっている。
軽く開けているとはいえ、黒い紐を辿ったものが見えそうになってしまうだけなので、意識をしなければ問題ない筈だ。
「ふふ、こんなにも無防備なのにも関わらず、手を出さないのは流石私の見込んだ紳士ね」
「アリアさんのお眼鏡に叶ったようで何よりだよ」
陽は実際、手を出す気もないし、アリアに許可なく触れようと思っていない。それでも、以前の行動から推測して、アリアから触れてくる可能性は高いだろう。
アリアが寒くならないように、陽はアリアを腕で跨ぐように、しっかりと布団をアリアにかけた。
(……本当に、なんでアリアさんは、自分とこんなにも近く接してくれるんだよ)
明らかに距離感がおかしいと、陽も心のどこかでは理解していた。それでも、今ある現実が、陽自身のエゴが、否定してくるのだ。
少しだけでも甘えていたいという、アリアに感じてしまう母性に、陽は抗えないでいる。
「アリアさん、電気を消すね」
「ええ」
陽はアリアを揺らさないようにリモコンへと手を伸ばし、小さな豆電球を灯した。
この時、アリアが陽の胸の中でうずくまっているのもあって、陽は微笑ましさを感じるしかなかった。
小さく鼻を鳴らしているのが、また妙にむず痒さがあるというものだろう。
本当は館の主であり、お嬢様だが、幼女体型も相まって幼い子のように見えるアリアに、微笑ましさを感じない理由はないだろう。
「……白井さん」
「アリアさん、どうしたの? もしかして、寒かった?」
「そ、そうじゃないわよ……」
「何かあった?」
「こ、こんなにもくっついているのだから……もし、我慢できなかったら、少しくらいなら、私に手を出してもいいわよ……」
震えたような声で恥ずかしそうに言うアリアに、陽はただ、静かに頬を和らげた。
「アリアさん。自分は責任を重く受け止めているし、本当に愛し合える人にしか、手を出すつもりはないから。……だからその、安心して眠って大丈夫だから」
「ほんとうに、馬鹿」
「……なんで?」
「き、気にしなくていいのよ。それなら、私があなたを抱き枕にするわよ?」
「どうぞお好きに」
アリアは本当に有言実行し、ぎゅっと抱きしめてきた。
片方の手はどうにか外に逃げられているとはいえ、もう片方の手はアリアとの間に挟まっており、何かと際どい位置にある。
片方の手は何かと際どい位置にあるだけに限らず、存在感を認識させるアリアの小さなお山に腕が当たっているのだから、心臓に悪い事この上ない。
陽は手を動かさないように、ゆっくりと脱力した。
「アリアさん、おやすみなさい」
「白井さん、おやすみなさい。……あなたで、よかったわ」
アリアの言葉に驚き、どういう意味か問おうとしたのも束の間、アリアからは既に小さな寝息がこぼれていた。
一定の間隔で聞こえる彼女の寝息は、確かに一緒に、同じベッドで寝ている現実を、耳を通して心に伝えてきているようだ。
抱きしめてくる小さい体から伝わる温もりに、柔らかな感触は、アリアでしか味わえない夢幻の至高だろう。
「……自分は、アリアさんと一緒に居られて、幸せだよ。ありがとう」
この時、アリアは寝ているにも関わらず言葉に反応してか、照れ隠しのように陽の首筋に軽くかぷりとかじりついてきた。
全然痛くないのは歯をたてられていないのもあるが、アリアと言う少女だからだろう。
陽は、アリアを求めるように腕を彼女の背に回しつつも、静かに目を閉じるのだった。
幼女吸血鬼と一緒に眠れる、この一瞬への感謝を忘れずに。




