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幼女吸血鬼と取り戻せない程の恋をした  作者: 菜乃音
第一章 幼女吸血鬼の紳士として

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50 幼女吸血鬼に誘惑の餌を与えないでください

 春休みが目前となった、ある日の昼過ぎ。

 陽はリビングのダイニングテーブルで、数えきれないほどの紙束を置き、用意したノートパソコンと向き合って作業していた。


 キッチンでは、夜ご飯の仕込みをしつつ、作業の手伝いをしてくれているアリアが立っている。


「相も変わらず、あなたは他の学生と世界が違うわね」

「まあ……というか、アリアさん、私情なのに手伝ってもらって申し訳ない」

「これでも私は、館では業務をこなしていたのだから、見ただけでも大変なのは理解しているわよ」


 陽は謝りながらも、苦笑いするしかなかった。

 他の学生と世界は同じだ、と言いたいところだが、目の前に置かれた資料が否定してくるのだから。


 資料の内容は大まかに二つで、父親である真夜の誘いから生まれた財閥とのやり取り。そして、学校のポイント管理の一部を陽は生徒会でも無いのに受け持つことになっている。


 全ては自分の為だ、と言い聞かせているわけでも無いが、貴重な体験を若いうちから出来るのであれば積極的にもなるだろう。

 遊びの時間がとか、友達との関係が、とか言った言い訳をよく聞くが、全てを両立すればいいだけの話なのだ。


 結局のところ、三月までの末締め期間に追われ、アリアの前でやる羽目になっているのだが。


 陽としては、アリアに隠してこそこそしているのは嫌だったので、丁度いい機会だと割り切っている方ではある。


「……にしても、この家はカラクリ屋敷さながらのギミックが盛りだくさんよね」


 アリアの言う通り、床からサーバー管理装置が出たり、壁から入り口が現れたりと、陽でも理解できない程の仕掛けが満載だ。


「まあ、お父様が紳士だから」

「白井さん、紳士と言えば何でもすまされるわけでもないわよ? そもそも、普通の紳士が警備は厳重、ましてや私のメイドと知り合える理由は無いのよ」

「お父様は紳士だけど、紳士の中の紳士、超人紳士だから」

「親子そろって、常識のじょの字も通用しないわよね」

「概念に捕らわれているだけじゃ、カラスに笑われちゃうからかな」


 なんであなたが疑問そうなのよ、と言いたげなアリアから、陽はそっとパソコンの画面を見て視線を逸らした。


 常識は身についている方だが、行き過ぎた常識は自分を苦しめると幼少期に理解しているので、ほどほどにしているだけに過ぎない。


 少しだけ作業に集中していれば、アリアがキッチンの方から紅茶を差し出してきていた。


 アリアは料理をしながらも、陽の資料をまとめてくれるだけにすぎず、紅茶まで振舞ってくれる。それもあり、いつかはアリアを心から労いたいという思いが、ひしひしと湧き出てくるのだ。


 ありがとう、と感謝をし、アリアから紅茶を受け取った。


「白井さん、気になったのだけど……作業は何をしているの?」

「ああ……紳士としての内容と、父親繋がりの委託業務かな」

「学生なのに仕事をさせられているようで、子どもらしく遊べず、苦しそうね」

「……子どもらしさなんて、最初から自分には無いよ」


 陽はただ、暗い表情を見せるしかなかった。

 アリアは表情を見てか、それ以上は詰めようとしてこないので、遠慮させてしまったのかもしれない。


 陽自身、いずれ過去を話さないといけないと覚悟しているが、今は羽がついていないのだ。


 自分もだが、アリアも過去を話そうとしないので、お互いにこの距離感を保つ方が最善だろう。

 付き合ってもいない――いつ途切れてしまうか予測できない、一緒に過ごす関係であるだけなのだから。


 気楽な考えであるはずが、胸の奥で湧いている温かな灯に、気持ちは揺らいでいる。


 ふと気づけば、アリアは思い出したかのように「あっ」と鈴を転がすような声を出した。


「白井さん、もし仮にそれが本当の仕事なのだとしたら――あなたは、大切な人と過ごす時間と、仕事という名の監獄、どっちを取る?」


 言葉遣いに棘を感じたが、アリアらしいと言えばアリアらしいだろう。

 どっちか、という一つの選択肢に絞り込むのは、アリアも上手いものだ。


 気づけば脳裏によぎる、完璧超人の紳士である真夜が、陽の言いたい答えを示している。

 陽は悩まず、アリアの目を真剣に見て即答した。


「自分なら、迷いなく大切な人との時間を取るかな」

「あなたにしては意外ね。その理由を教えてもらえるかしら?」

「……大切な人と過ごせる時間はそれきりしかないわけだし。でも、仕事の事を理解し合える仲であるのなら、片方が疎かになることは無いんじゃないかな。もちろん、特例を抜いてだけどね」


 やはり、脳裏に思い浮かぶのは、父親である真夜だ。

 親孝行を欠かした事や、仕事を疎かにしたことすらない、そんな超人なのだから。


 陽の一つの目標でもあり、くぐり抜けたいハードルでもある。

 陽が笑みを浮かべて言い切れば、アリアは呆れたように苦笑いしていた。


「絶賛納期に追われている人とのセリフとは思えないわね」

「はは、ごもっともで」


 と苦笑しつつも、キーの音を鳴らしていく。

 学校のポイント管理の作業に入ろうとした時、陽は軽く目を疑った。


(あの二人、アリアさんにまでポイント譲渡の話をしていたのか……)


 ホワイトデーの前にホモから貰った封筒の中身は、現在陽が持つポイントを譲渡してほしい、という内容だった。

 陽自身、特に使い道がないのでホモに譲れるだけ譲ったのだ。無論、意味もないポイント譲渡は違反なので、ホモには意味を問い詰めるつもりでいる。


 現在の画面にそれが映るのは仕方ないとしても、恋羽の方にアリアから大量のポイントが譲渡されているとは思わないだろう。


 ホモと恋羽が大量のポイントを何に使うかは不明だが、巻き込まれないことを祈るばかりだ。


 陽が画面を見て苦笑していれば、キッチンの方からテーブルを小さく叩く音が聞こえた。

 ゆっくりと目線を向けると、アリアが少し前のめりになるような姿勢でこちらを見てきている。


(……油断してた)


 陽は、顔を隠したかった。というよりも、今見ている記憶を忘れたかった。

 現在のアリアの服装は珍しいことにラフな白いシャツとジーンズの組み合わせをし、上から黒いエプロンを着用している。


 お嬢様らしい服装をしていない点では、一般じみた感じがあるだろう。だが、問題はそこではなかった。


 白いシャツはアリアの体型にはフィットしていなかったらしく、少し余裕ができていたのだ。


 少し余裕がある服に、ちょっとした前のめりの姿勢……双方の嚙み合った先が、アリアの胸元が小さくも開き見える現実。


(……見えてないけど、見えてるんだよな。あの時もだけど、心臓に悪い)


 見える胸元からは、水色のキャミソールが見え、中の素肌自体が見えることは無い。


 それを理解していても胸元に視線がいってしまうのは、紳士としての修行が足りないせいだろうか。はたまた、男の性というものか、アリアに少し求めている自分が居るのか、今の陽は重々に理解できないでいる。


 どこか抜けている、とアリアによく言われるが、アリアもアリアで危機管理能力が無いのではないだろうか。


 黙って熱くなりそうな頬を抑えた時、アリアは背を伸ばしながらも、口元に指を当てて小悪魔のような仕草をしている。

 仮にわざとでないのであるのなら、心臓を刺激するにも限度があるというものだ。


 アリアは、口角をあげた。


「白井さん、全てが終わったら、ご褒美をあげましょうか?」

「ばか。大丈夫だから!」

「……なんで急に怒ってるのよ?」

「……怒ってない」


 陽は、自分が考えすぎていたことに、心の中で反省した。

 首を軽く振って頭を冷やしている際に「恋羽さんからのアドバイス、白井さんには意味ないようね」とアリアは言っていたので、恋羽が余計なラッキー入れ知恵をしたようだ。


「白井さん、本当に、ご褒美いらないの?」

「今は遠慮しとく。……自分として、自我が持たなそうだから」


 アリアは首を傾げ、不思議そうにこちらを見てきていた。

 その後、アリアからのご褒美を拒否したとはいえ、手は正直なようで、瞬く間に作業は終わっていくのだった。

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