48 かじかむ手が手繰り寄せたいものは
月明かりが差し込む庭に、二つの影が手を繋いで地上に照らされていた。
陽はアリアの誘いを受け、現在は手を取り庭に出ている。
見上げる夜空は、めいっぱいの幸せを体現した星々に、綺麗なお月様が浮かんでいた。
星空に吸い込まれるほど、陽の瞳には星の光が反射している。
(……そういえば、夜空を見るのが好きなこと、アリアさんと過ごしてから忘れかけてたな)
この鮮明に見える星々の夜空は、自宅の庭以外だと、人口の明かりに邪魔をされて鈍って見えてしまうだろう。
家の電気を消しているため、庭を照らす月明かりがより綺麗に見えるのだ。また、周りが壁で囲まれているのもあり、近くに高いビルや建造物が立たない限りは、自然の光を妨げることがない。
ぼんやりと見える広めの庭には、アリアと庭でお茶でも飲むことがあったらと用意したテラス用のテーブルとイスに、閉じられたパラソルが存在感を露わにしている。
最低限の家具だけだった家の中もだが、アリアと過ごしているからこそ、必要な物が増え始めているのだろう。
二人で過ごすための、遠慮のない空間そのものを形作るように。
「最近はあまり見てなかったけど……初めて会った時、アリアさんが見せてくれたその銀髪に羽は、今でも鮮明に覚えているよ」
現在のアリアは、家の中から引き続き、セミロングの銀髪で右サイドに髪をまとめた吸血鬼の姿をしている。そして、背中に生えているコウモリの羽は、彼女が吸血鬼である証明だ。
月夜の下にキラリと光る、特徴的な八重歯に深紅の瞳は、相手がアリアだからこそ見惚れてしまうのだろう。
アリアは懐かしまれると思わなかったのか、深紅の瞳をパチクリさせ、驚いたようにこちらを見てきていた。
そしてにやりとした笑みを見せ、幼くもずる賢いような雰囲気を醸し出している。
「……そうね。私はあの日あなたに出会わなければ、この髪も羽も、失っていたのかもしれないわね」
唐突な告白に陽は驚き、手を横に振るしかなかった。
「あ、アリアさん、嫌なことを言ってしまったのならすまない。自分は、アリアさんがアリアさんらしく居る時が、とても素敵だと思っているよ」
艶のある黒いストレートヘアーの時の彼女、今のように銀髪幼女吸血鬼の時の彼女……陽からすれば、それらは全てたった一人の少女、アリアという存在ただ一人だけに過ぎない。
幾千もの糸を束ねても、それを形作る原点が糸であるように。
この時、陽の方だけに月明かりが差した為、アリアの顔がどうなっているかは見えない。
それでも、繋いだ手は先ほどよりも温かく、離そうとしていない。
「馬鹿。本当、口が上手くなっても、どこか抜けているのよ」
「お父様みたいな超人紳士よりも、自分らしくありたいからね」
「巣立ちができても、餌を確保できなきゃ意味ないわよ」
「アリアさんが美味しいご飯を作ってくれるから、自分は十二分に恵まれているけど?」
「そういう意味じゃないわよ!」
もう、と言ってみせるアリアと顔を見合わせていたようで、お互いに笑いをこぼしていた。
その瞬間にも、アリアと出会った当初が数カ月前だというのに、陽は心から懐かしんでいる。
二人を包み込むように、月明かりが差し込んだ。
(……アリアさん、つけてくれていたんだ)
長袖の白いパフスリーブブラウスに隠れて気づかなかったが、アリアは陽が初めてあげたプレゼントをつけてくれていたようだ。
アリアの右の手首に、赤いリボンのついた白いフリルのリストバンドが月明かりを帯び、綺麗に輝いていた。
首に付けた、赤いリボンと白いフリルのチョーカーも相まって、天使が目の前に降りたったようだ。
実際、目の前に居るのは幼女吸血鬼だが、お嬢様としての品も溢れ出る可愛らしさは、天使と言っても過言ではないだろう。
ふと気づけば、アリアは深紅の瞳をうるりとさせ、笑みを浮かべていた。
「……白井さん色に、私は染まっていってるのよ」
茶化しで言われたのかは不明だが、陽は顔が熱くなっていた。
熱を抜きたくとも抜けないほど、アリアの言葉は重なるのだ。
陽は静かに目を逸らし、夜空を、星空を見上げた。
「自分という名の色は……アリアさんの色で確立され、星のように輝いているよ。鳥籠の中しか知らない自分が、羽を羽ばたかせたいと思えたほどに」
「……あるわよ。羽なら」
アリアは小さく呟き、体を寄せてきていた。
ぴったりと腕がくっつくと、服の上からでもアリアの柔らかさを、温かを伝えてくる。
「あなたは価値観が変わっても、自分らしく、磨かれているのね。紛れもなく、偉いわ」
笑みを浮かべるアリアに、陽は静かに息を呑んだ。
「自分は……アリアさんと居ると、胸の奥が温かいんだ。だから、苦手意識はあっても、磨くことは忘れないようにしているんだよ」
「ふふ。良いことを教えてあげるわ……覚悟と行動は別ものよ。それに、胸の奥が温かいのは、私も同じよ」
アリアは凛としたように言っているが、その言葉に迷いはないようだ。
自分の思う温かいと、アリアの思う温かいが同じものかはさておいても、同じ気持ちがあるのは嬉しいものだろう。
付き合っていないとはいえ、同じ屋根の下に住んでいるのだから、小さな感情も沸くというものだ。
陽は着ていたスーツをしっかりと整えてから、改めて、月明かりに照らされているアリアを見た。
「話は変わるけど……吸血鬼姿のアリアさんの銀髪、そして右にまとめられたポニーテールのような髪も含めて、深紅の瞳と合ってて、まさに主と言えるお嬢様って感じで素敵だよ」
「……あなたは隠れた宝石よ、まったく」
アリアは照れたのか、頬を赤くしていた。
陽としては率直な感想を述べたつもりだが、アリアの心に鐘を鳴らしたのなら、言葉にして良かったと言えるだろう。
彼女の容姿を普段も褒めることがあるとはいえ、吸血鬼の姿を褒めることは滅多に無いのだ。
少し空を見上げた時、アリアがピクリと体を震わせると同時に、可愛らしい鼻の音が鳴った。
陽は小さな笑みを浮かべ、繋いでいた手を解き、自身の着ていたスーツを静かに脱ぐ。そして、アリアの肩に羽織らせるようにかけていく。
「アリアさん、無茶はよくないよ」
「……ふふ、あなたにおせっかいを焼かれるなんて、私は気を抜いていたのね」
「……おせっかいを焼いたつもりはないよ。男として……いや、アリアさんだけの紳士として、当然のことをしただけだよ」
アリアは深紅の瞳に星を宿らせ、笑みを浮かべてから、羽織ったスーツをぎゅっと寄せていた。
アリアの身長的に、陽のスーツは包み込まれるほどの長さはあったようだ。
スーツをぎゅっと寄せているアリアに、陽は思わず頬が緩んでいた。それは、大事なものを離したくない、と手に持つ幼い子のように見えてしまったからだろう。
鼻を鳴らさないでほしいのだが、アリアには伝えても意味が無いのかもしれないので、言葉をそっと心の中にしまっておく。
「それじゃあ、冷えこんできてるし、家に戻ろうか」
「それもそうね」
「……お嬢様、足元は暗いですから、お手をどうぞ」
「私は吸血、き――」
膝を曲げ、アリアの視線の高さに合わせて手を伸ばした時、陽を輝かせるように一直線の月明かりが差しこんだ。
「……白井さん、お願いするわ」
乗せられた小さな手に、陽はうなずいた。
歩幅を合わせて家に戻る際、夜ご飯の話に花を咲かせている。
照らす星々は、服を揺らす程度の風も相まって、静かに微笑んでいるようだった。




