44 幼女吸血鬼の甘い贈り物に願う温かさ
バレンタイン当日、学校では泣き叫ぶ者や、勝利を掲げる者の二陣営が争いを繰り広げていた。
血を血で洗う日というのは、強ち間違いではないだろう。
「はい! 陽、これあげる!」
「あ、ありがとう……」
放課後となり、陽は教室にやってきた恋羽に警戒態勢をむき出しにしている。
おそらく手作りチョコが入っているのであろう箱を渡されたが、陽は気が気でなかった。
隣でケラケラ笑っているホモは、恋羽がどんなチョコを作ったのか理解しているからだろう。
(アリアさんに悪いし、早めに切り上げたいな……)
周囲に関しては、恋羽が廊下でアリアを待たせているせいか、もしかしてチョコを、といった無慈悲な希望をぶら下げられているようだ。
当然のように、アリアはチョコを男の誰一人にも配っていないようで、仲のいい女子数人と恋羽がアリアのチョコを得たらしい。
陽は恋羽に意識を戻しつつも、箱を恐る恐る見た。
ホモから『チョーどでかいやつだぜ』と言われていたが、箱のサイズは手のひらに少し収まらないくらいである。
陽が顔を引きずらせているのに気づいてか、恋羽は思い出したように笑みを浮かべた。
「あー、毒は入ってないから安心して! 今回は愛だね!」
「いやいや、毒が入るのを考慮する時点で終わってないか?」
「あはは、陽は恋羽の毒入りチョコを見事に避けてるよな」
笑い事では無いのだが、この二人の常識には無意味だろう。
以前、恋羽が興味本位で一つ粒のチョコに媚薬を盛っていたのを、匂いで感知して問い詰めた一例がある。
恋羽と中学校が同じでなかったにしろ、ホモとよく遊んでいたのもあり、チョコを渡してくれる関係ではあったのだ。
「まあ、今回は今回だしー。愛で満たされる毒もあるし、毒は身体に悪いだけじゃないよ?」
「そうだぜ、陽……人類が作り出した強制労働飲料水だって、実際は身体の限界に抗う毒だろ?」
「ホモ、恋羽、暴論はそれくらいにしてくれないか?」
二人の暴論には、付き合っているだけでも疲弊するというものだ。
なんにせよ、チョコを作ってくれた恋羽には感謝している。
友チョコとはいえ、感謝を忘れるのは人として、紳士としての礼儀が足りていない証拠なのだから。
当たり前だと思い込むのは、天に唾する行為だと、陽は重々理解しているつもりだ。
ふと気づけば、ホモが肘で横腹をグイグイと押し、こちらをニヤニヤして見てきていた。
「陽、本命をもらえたらいいな」
「本命?」
「お前、やっぱどこか抜けてるよな? まあいいや、俺らは行くな!」
「陽、今年のバレンタインを楽しんでね! あまり待たせちゃだめだぞ」
「楽しむってどういう意味だよ? 行っちゃった……」
散々振り回しといて勝手に放置されるのは、もはや慣れだろう。
陽はチョコを鞄にしまいつつ、日傘を手に持ち、廊下から覗き込んで待っていたアリアと帰路を辿るのだった。
何事も無く夜ご飯を食べ終えた後、陽はソファでゆっくりとしていた。
本来であれば紅茶を準備しているのだが、今日はアリアが作りたいと言って聞かなかったので譲っている。
どことなく違う雰囲気であるのに安心できるのは、アリアに信頼を置いている証拠だろう。
吸血鬼や人間関係なく、自分はアリアに一体何を期待しているのだろうか。
首を横に振った時、目の前のテーブルにマグカップが一つ置かれた。
いつものティーカップじゃないのを不思議に思えば、アリアはティーカップとなっている。
マグカップの中身を覗いてみれば、パステルのラテ色をした紅茶が入っているようだ。そして、甘くも香しい匂いが漂ってくる。
「アリアさん、ありがとう」
「ま、まあ……たまには入れてあげたくなっただけよ」
「……まるで癒しの妖精だね」
マグカップを持ち、ゆっくりと啜る。
一口飲んだ瞬間、陽は目を見開いた。
ふとアリアを見れば、微笑ましいような表情をしてこちらを見てきている。
「甘い……もしかして、これ?」
「え、ええ。その、バレンタインだし……チョコラテを作ったのよ」
「……アリアさん、ありがとう。温かくて、美味しいよ」
二月とはいえ、まだ冷えているのもあって、芯まで温まる優しい味わいだ。
陽としては、アリアにバレンタイン専用でラテを振舞ってもらえるとは予想していなかったので、心から嬉しかった。
陽は味わうように目を閉じ、そっと飲み干していく。
アリアから振舞ってもらえるからこそ、こんなにも味わい深く、コク深い味わいを堪能できるのだろう。
甘いのに、別の甘さを感じさせてきそうだ。
陽は飲み干してから、音を立てないようにマグカップを置いた。
もう一度感謝をしようとアリアを見れば、アリアは何故かもじもじしており、陽の方が居たたまれなくなりそうだった。それは、自分だけが良い思いをしておきながら、彼女の体調等の把握が抜けかけていたのだから。
「アリアさん、大丈夫? もしかして、部屋が暑かった? それとも、具合が悪い?」
「白井さん……そうじゃ、なくて……」
深紅の瞳がうるりとした輝きを見せ、アリアは恥ずかしそうに頬を赤らめている。
彼女が吸血鬼なので、部屋の温度調整、見えぬ体調の偏りがあったのか、と思って心配したがそうではないようだ。
(え、これは)
アリアの様子を見守っていた時、目の前にいきなり紙袋を出されたのだ。
アリアは紙袋の後ろに顔を隠しているが、恐らく顔は赤いままだろう。
陽が疑問気に見ていれば、アリアはごにょごにょと恥ずかしそうに口ごもっており、聞きとれたものでは無い。
とりあえず陽は、小さな手を伸ばして差し出してくる紙袋を静かに受け取った。
受け取った瞬間、ぷいっと背を向けるアリアは、表情を見られたくないのだろうか。
「……もしかして」
と言った瞬間、ちらりと見えたアリアの横顔は、愛おしい程に輝いていた。
思わず息を呑み込めば、ある言葉が脳裏をよぎる。
以前アリアに言われた『女の子に何でもかんでも聞かない』という言葉が意味を指すのなら、今は自分で紐を解くべきだろう。
陽は意を決し、紙袋の中を覗きながら開いた。
紙袋の中に見えた箱は、なぜアリアが恥ずかしそうにしているのか、全ての答えをそこに置いていたようだ。
陽は顔をあげ、アリアを見て笑みを浮かべた。
「アリアお嬢様、この上ない宝石という名の祝福、感謝いたします」
「お、大げさよ。でも……」
「でも?」
「あなたが分かりやすく喜んでくれるのは、なぜかしらね……温かいわ」
アリアはゆっくりと振り向き、軽く首を傾け、幼くも甘い魔法のような笑顔を浮かべている。
思わず飲み込んだ息に名前を付けるのなら――瞳に映る自分だけの花、だろう。
陽はそっと首を横に振り、紙袋の中に手を伸ばした。
中から取りだせば、赤いリボンにラッピングされた長方形の黒い箱が露わになっていく。
おそらくチョコが入っているのであろう黒い箱は、高級感が漂いつつも、赤色のリボンでアリアのイメージを脳に定着させてくるようだ。
ちらりとアリアを見れば静かにうなずいてくるので、開けてもいい合図だろう。
陽は少し途切れ気味だった息を整え、リボンをほどいていく。
黒い箱は光沢をもって露わになり、自分の姿を今にでも反射しそうだ。
(……手紙?)
蓋を開けると、一番上には宝石のようなシールが張られた封筒が入っており、陽はそっと手に持って光に照らして見せた。
「それは、その、後で読んでいただけるかしら?」
「うん。アリアさんの仰せのままに」
「言葉を堅苦しくしなくていいのよ。……紳士らしくて、かっこいいのだけど」
何か言った、と聞き返せば、何も、とアリアは首を振ってくるので聞こえなくて正解だったのだろう。
アリアの呟きは息を吐き出すように言われるので、聞き取るのにも一苦労するのだ。
アリアから視線を外しつつ、箱の中を見た。
箱の中には、こんがりときつね色をした丸いクッキーが入っている。遠目から見ているにも関わらず、香しい紅茶の匂いと、隠れながらも甘い匂いが嗅覚を刺激してくる。
クッキーを見ていれば「白井さんだけのために作ったバレンタインチョコよ」とアリアが耳元でこっそりと呟いてきた。
背筋がぞわっとする感じがあったが、アリアの言葉のせいか、それとも耳に触れた温かな吐息のせいなのだろうか。
クッキーに手を伸ばし、一つを手に取る。
「アリアさん、いただきます」
「白井さん、召し上がれ」
粉がこぼれないようにしつつ、クッキーをかじった瞬間、陽は目を見開いた。
(アールグレイ? いや、アールグレイの香ばしいクッキーの中のチョコに、柑橘系のフルーツの味わい……口の中で農園のティータイムを思わせてくるようだ)
紅茶の匂いがするクッキーと思い込んでいたのだが、甘い匂いの正体はチョコだったらしい。
かじっただけで溢れ出るチョコの風味は、アールグレイの苦みを調和し、クッキーとしての味わいを残しつつも、まろやかなチョコを後から主張してくる。
極めつけに、チョコだけにとどまらず、カットされたオレンジ系のフルーツが混ざっているらしい。
一回噛めばさっくりクッキーの味わい。もう一度噛むと、断層から姿を見せるチョコが味わいを主張してくる。そして、チョコを味わおうと咀嚼すれば、小さくカットされたドライフルーツのオレンジ類が姿を見せ、飽きの来ない世界へと誘ってくるようだ。
紅茶に合うクッキー、ディップするかのような落ちついたチョコに、まるでお皿に盛られたフルーツ……それらが融合して、ティータイムと言わずして何と称するのだろうか。
思わず紅茶が欲しくなる味わいは、紅茶をよく嗜むアリアだからこそできる、至高の一品だろう。
これを食せる自分は、世界で一番幸せ者だ。
吸血鬼や人間関係なく、お互いの口に合うであろうアリアからのバレンタインチョコは、食の思い出の一ページに静かに刻まれていく。
「……美味しい」
そんな一言で済ましてはいけないと、陽は重々理解している。それでも、今はその言葉しか、頭に思い浮かんでこなかったのだ。
ただのクッキー兼チョコであるはずなのに、胸の奥が熱くなるような感覚は、思考を鈍らせてくる。
「白井さんが美味しいと思ってくれてよかったわ」
「……うん、美味しいよ」
「白井さん、食べてくれて、私のチョコを受け取ってくれて、ありがとう」
ふと気づけば、アリアは陽の頬を持っていた白いハンカチで拭いていた。
長年溜めていた星が、流れてしまったようだ。
お互いの間に置いた手が重なり、陽は温かい感覚に胸を焦がすのだった。
たとえ偽りの愛でも、ゆっくりと染み渡る、夜空の宝石が輝くように。




