40 真実の価値を見出せなければ地に落ちる
正月が明け、時が過ぎれば、学校は新学期を迎えていた。
学校に登校して、席に着いていた陽は頭を悩ませるしかなかった。
登校するなり、学校は騒がしさという名の噂で包まれていたのだから。
窓から外を見ていれば、廊下や教室内に、噂の声が広まっている。
「ねえねえ、聞いた聞いた? ある神社で、アリアさんが手を繋いでカッコいい男と歩いていたって噂?」
「え、マジ? アリアさん、日傘を差させている男を差し置いてデートとか、雑用男乙―って感じだよねー」
完全に噂が独り歩きして、根も葉もない根拠が出回っているのを聞くに、アリアと陽に対する風評被害は酷いものだろう。
また陽は、クラスメイトから哀れみの眼差しを向けられているのもあり、窓の外を見るしかないのだ。
わざわざ声を大にして広めようとする連中に、陽は正直興味がない。噂という、根拠の薄いデマに流され、真実を知ろうとしない愚か者に沸かす感情が無駄なのだから。
それでも、アリアを悪く言うのは阻止するつもりでいる。
調べたところ、噂の根源は同じ学校の生徒が目撃したらしく、アリアが男と手を繋いでいた、と噂を流したのが発端のようだ。
クラスメイトの陽に集まる視線が、哀れんでいる視線なのか、それとも察した視線なのかは分かるはずもなく。
陽がため息をこぼした時、聞きなれた声が聞こえた。
「よー、噂の根源の陽、おはよう!」
「ホモ、おはよう。いや、根源じゃないからな?」
誰が一人芝居するんだよ、と睨むようにホモを見た。
ホモは近づくなり、目立たないようにペンライトを制服の中に締まっている。
ホモに関しては自分よりも先に来ていたのだが、生徒会と揉めたらしく、教室を留守にしていたようだ。
揉めた原因がペンライトであるのに、ホモが持っているのは生徒会を上手く丸めたからだろう。
ホモを呆れた目で見れば、ホモはこそこそとポケットからスマホを取り出した。
「なあなあ、陽、お前か?」
はいそうです、とホモに対しても答えたくないので、そっと首を横に振っておく。
ホモはムッとした表情を見せ、手慣れた操作でスマホを触っている。
ホモの口角がニヤリと上がった瞬間、背筋が凍り付くようだった。
そして見せられたホモのスマホの画面に、神社で手を繋いで歩く陽とアリアの姿が映っていた。
見せつけられた写真を見てから、陽は笑みを浮かべてホモを睨みつける。
「ホモ、盗撮か?」
「違う違う! ちょうど、運よく、その場に居合わせただけだ!」
「撮ってる時点で盗撮には変わりないだろ! てか、なんでその場に居合わせてるんだよ?」
できるだけ周囲には聞こえない声量で話しているが、少し波長がずれれば狂いかねない。
「それは、宿命だな。バトルゲームや恋愛ゲームでもあるだろ……主人公補正ってやつが。まあ、俺が、人生の主人公だから、主人公補正は俺持ちだけどな!」
高らかにニヤリとして言うホモに、陽は呆れるしかなかった。
ホモは恋羽と毎年神社にお参りをしに行っている、と言っていたので、丁度神社がかみ合ってしまったのだろう。
それでも、他人を許可なく撮影するのはいかがなものなのだろうか。
写真は後ほど証拠としてもらってから、ホモには消してもらう予定だ。
「はあ、ついに陽にも春が来たんだな。お母さん、嬉しいわ」
「ホモ、普通にキモイぞ。それに、お母様の話はやめてくれ」
「へいへい。で、この写真、いる?」
ため息一つこぼしたところで、ホモには効果が薄いのだろう。
彼も母親の愛情を知らない一人なので、共感性が無いわけでは無いのだが。
結局のところ、恋羽への手土産話との交換、という条件で写真をもらってから消してもらうのだった。
新学期はじめなのもあり、昼過ぎに陽は家へと帰っていた。
目の前に置かれているお茶に映る自分の姿を見て、陽はそっと息をこぼした。
息をこぼしたのがまずかったのか、アリアが目を細めてこちらを見てきている。
「白井さん、ため息をついていたら、正月に溜めた運気も逃げちゃうわよ?」
「そう言われても……帰り道、腫れ物に触るような目で見られていたのがどうも腑に落ちなくて」
今日の帰り道も、アリアに日傘を差し、ただペースを合わせて歩いただけに過ぎない。
過ぎないのだが……異様なまでに視線が飛んできており、冬休みに入る前とは注目度合いが違ったのだ。
噂で、陽はアリアに見捨てられただの、アリアの気を引こうとしていた罰があったなど、根も葉もない噂をわざと陽に聞こえるように話していた人は確かにいた。
それでも陽は、明らかな視線の違いに、ホモほどではないが気づいたほどだ。
ホモが人の発する微かな命の線で見極めるのなら、陽は感覚の中でも直感がずば抜けた強感覚になっているのだから。
ふと気づけば、アリアは湯のみを置き、手を下ろしていた。
「悩んでいたのだけど……白井さんと一緒に神社に行ったことは、聞いてきた人に話したのよ」
「……へ? な、なんで!」
驚きのあまり、陽は声が裏返りそうになった。
アリアの心配をしていたが、まさか噂の中心であるアリアが、自分と神社に行ったことを白状すると思わないだろう。
陽自身、無駄に目立ちたくないし、平穏な学校生活を送りたいのだから。
アリアに日傘を差した当初ですら、ホモがポイントを使ってくれたからこそ、噂はすぐさま落ちついたとすら言える。
一般的に広まったとなれば、打つ手は無いに等しいだろう。
「なんで、ねー。いずれバレることを予め潰しただけよ。でも、白井さんに相談した方が良かったかしらね」
「そ、相談って……自分は絶対に嫌だ、って言ったと思うよ」
「知っているわ。だから事後報告にしたのよ。白井さんが目立ちたくない事や、刃を向けられたくない事も、一緒に居れば理解しているもの」
理解しているのなら事実を広めないでくれ、と口にするのを抑えて、呆れて肩をすくめるしかなかった。
アリアはお茶を嗜んでいるので、彼女の価値観からすれば、噂はそこら辺に吹く風に等しいのだろう。
またチラリとこちらを見てくる視線から、学校でも動きやすくなるでしょうに、と言いたそうなのは伝わってくる。
深く考えれば、ただ、アリアと一緒に神社に行ったのが広まっただけだ。
一緒に住んでいるのはバレていないので、アリアと気兼ねなく接触しやすくなる節を考えれば安いものだろう。
「……アリアさんは、こんな自分と一緒に居る事を話してよかったの?」
「あなたはもう少し、あなた自身の価値に自覚を持った方がいいわ」
アリアの発言はごもっともだ。
真夜がアリアに、陽の事を話しているのを聞いたので、アリアの中では一種の形が生まれたのかもしれない。
陽は、アリアと一緒に居る時は皮を被ることはしないが、過去には布をかぶせたままだ。
紳士としての自分ではなく、本当の自分を隠すように。
陽が黙ってうつむけば、アリアは静かに席を立ちあがった。
「白井さん……過去に何があったのかまでは知らないけど、過去のあなたは今を映しているの?」
アリアの問いに、陽は言葉が、声が出なかった。
今の自分は自分だ、と言い切れたはずなのに、蛇に睨まれた蛙の様に、体が思うように動かなかったのだ。
静寂が空間に流れていれば、アリアは後ろを振り向き、階段の方へと向かっていった。
アリアはこちらを、いつもの深紅の瞳で見てきているはずだったが、その瞳はどこか曇っているようだった。
(……ごめん、アリアさん。今は本当に、話したくないんだ)
考え事をしている時、アリアの立ち去った方から壁を叩く音が聞こえ、陽は思わず頭を上げた。
「自分、アリアさんに何かやらかした?」
今自分に出来るのは、アリアとの仲を保つことだろう。
おどおどした気持ちはあれ、陽は一歩を踏み出すように、キッチンに立つのだった。




