04 幼女吸血鬼はおせっかい焼き
シチューを食べ終えた後、アリアはお皿をサイドテーブルに置き、気楽そうに見てきていた。
陽としては、アリアの手から食べさせられたり、アリアが見ず知らずの自分に優しくしてくれたりするのが未だに疑問のままだ。
彼女はお返し、と言っていたが、ここまで丁寧にされればお釣りが高くなるだろう。
陽自身、家で一人の時間が今まで多かったせいか、アリアと居る時間に違和感がありつつも、心のどこかでは安心している。
アリアとは気心が知れた仲でもなければ、昨日出会って話した程度の関係だ。それなのに、陽の気持ちは他の生徒と話すよりも、迷いなく落ちついている。
「悪化するか分からないのだから、後は身体を休めて寝るだけね」
とアリアは言っているが、部屋から立ち去る様子はなく、近づけた椅子に腰をかけたままだ。
背筋を伸ばし、柔らかな目線で見てくる彼女は、こちらの事を警戒していないのだろうか。
陽は確かに、彼女からこの上ない程の看病をされているし、体はだいぶ楽になってきている方だ。
立ち去る様子を見せない彼女に、陽は一つの疑問が浮かび上がってきていた。
陽は上半身を起こしたままにして、アリアの目を見てゆっくりと口を開く。
「あのさ……アリアさんは、何でこんなにも良くしてくれるんだ?」
「言ったでしょ、知り合った人が倒れるのは嫌なだけよ」
「えっと、自分は貸し借りを気にしてないし」
「貸し借りはこの看病でチャラよ。それに、断らないあたり、看病されるの、嫌じゃないでしょ?」
アリアの言葉は研ぎ澄まされたように鋭く、陽の心の隙間を射抜いてきている。
陽としては、アリアが思い詰めていないのなら良いが、ここまでぐっさり言われるのは予想外だ。
アリアの看病を断って、一人家で寂しくいる判断だってあったのだから。
断らなかった、というよりもアリアの押しに負けた方が強く出ているが、心の奥底にしまい込んでおいたほうが良いだろう。
陽自身、看病をされるのは初めてだし、知らない世界を見ている気分である。
問題としてはアリアが躊躇なく男の住処に上がってきていることで、それ以外は特に問題ないのだ。
アリアが思い詰めた行動で無いのであれば、詮索は不要だろう。
陽は居心地悪い話を逸らすように、ふと思い出した事を口にした。
「あのさ、話しは変わるんだけど……アリアさんは昨日、何で川を見ていたんだ? それに、本当に吸血鬼なのか?」
昨日見たのが事実であっても、本人の口から改めて聞いてみたい思いが気づけば勝っている。
自身のエゴと理解しておきながら、言葉をアリアに届けてしまうくらいに。
ふと気づけば、アリアは口元を隠して小さく微笑み、自身の前髪をそっと避けてみせた。
「あなた、雰囲気は紳士なのに、ずかずかと踏み込んでくるのね」
「悪いけど……自分は、紳士じゃないよ」
陽は今まで反応しなかっただけだが、自分の事を紳士だと思ったことは無い。
たとえ、父親が紳士である教育をしてくれたとしても、無下にしてしまう程に。
言葉にしたくない過去が、今がそうさせているのだから。
アリアは呆れたのか、息を一つ吐き出し、深紅の瞳で哀れむように見てきている。
「――自覚がないだけね」
「自覚がないって……何が分かるって言うんだよ」
気づけば、陽は布団の中で拳を握り締めていた。
「自分の見ている価値観と、他者の見ている価値観なんて、意味が無いのよ。価値観……今を作っているだけで、年単位で考えれば、哀れなものよ」
少しずれている彼女の思考は、吸血鬼だから、なのだろうか。また、人が一日を噛みしめていたとしても、彼女からすれば通り過ぎる風なのかもしれない。
その時、アリアが表情に一瞬陰りを見せたのを、陽は見逃していなかった。
看病をしてくれている際、一度も見せなかった、負の感情が表に出たことを。
見せた陰りは、触れてはいけないものだと、陽の直感が囁いてきている。
どうにか雰囲気を変えようと、陽は思い出したようにアリアを見た。
「その、川を見ていたのは何でなんだ?」
川を見る、という行為自体は不思議ではないだろう。
陽としては、夜にアリアが川を見ていたのもあるが、吸血鬼は流水が苦手だという仮染めの知識があるからこそ気になってしまったのだ。
普通に考えれば、危ない橋を渡っていたようなものだろう。
「……少し、悩んでいたのよ。赤い月明かりの下は、落ちつくの」
「そ、そうなのか」
暗い声になったアリアは、価値観もそうだが、触れてはいけない連鎖になっているのかもしれない。
陽自身、ここまで地雷を踏み抜くとは思っていなかったので、今後は自重しようと思っている。
「別に、あなたが気にしなくてもいいのよ?」
「アリアさんは、自分の心を読んでいるのか?」
「どこぞの心を覗く妖怪じゃない限り、出来るはずないじゃない」
陽からすれば十分に読まれているので、半信半疑になりそうだ。
ふと気づけば、アリアは人の姿……黒いストレートヘアーのまま、制服の後ろからコウモリの羽――悪魔のような黒い羽を出していた。
「羽……見間違いじゃない」
「人の世で言う幼女体型だけど、これでも立派な誇り高き吸血鬼なのよ?」
「制服が破れないって、どうなってるんだ?」
「気になるなら、羽、触れてみる?」
わざとらしく羽を細やかに揺らすアリアに、思わず首を振っておいた。
確かに触ってみたい、という好奇心は湧き出ているものの、それで触れてしまえばただの変態だろう。
いや、羽だけを触るのだから、本体に触れていないのでセーフなのだろうか。
制服を突き破らない羽は、心を揺らす好奇心を湧き上がらせてくるようだ。
「強いて言うのなら、魔法、とでも思っておくことね」
「魔法か……便利な言葉だな」
「あなたたち人間が思う程、魔法は便利じゃないのよ」
アリアが魔法に対して意見を持っているのを見るに、彼女も魔法が使えるのだろうか。
普通に考えれば、羽の付け根部分を魔法と言っているので、少なくとも使えるだろう。
ふと気づけば、アリアは立ち上がり、カーテンのズレを直してから、もう一度椅子に腰をかけた。
「話はこれくらいにして、早く寝た方が良いわよ。人は、私たち吸血鬼が思うよりも、丈夫じゃないのでしょう?」
アリアの言葉に身をゆだねるように、陽は仰向けになるようにベッドで横になった。
そして横を見れば、アリアの顔が映り、深紅の瞳が光を帯びて輝いて見える。
「……アリアさんは、この後どうするの?」
アリアは手慣れたように、横になった陽に布団をかけていた。
まるで幼い子のお世話をするようなアリアは、陽の事がどう見えているのだろうか。
アリアの年齢は知らないが、容姿と年齢は恐らく一致していないだろう。
とはいえ、陽自身は女性に年齢を聞くのは失礼だと重々承知しているので、詮索は程々にするつもりだ。
かけていた布団を整え終えたアリアは、布団の上に置いていた陽の手を握ってきていた。
自分の手よりもひと回り以上に小さい、か弱そうでしっかりとしている、優しくひんやりとした手で。
「今日は、ずっと傍に居てあげるわ」
(……言ってる意味がわからない)
脳裏によぎるは、自分の耳がおかしくなった、もしくは聞き間違えか、という二択だ。無論、前者も後者も否定論であるが、仕方ない話だろう。
今目の前に居るのは、学校で憧れの的……みんなのアイドルとすら言える彼女、アリアだ。
彼女の秘密を知られていないとはいえ、そんな美少女が傍に居てくれるのは、今の陽の体調からすれば女神そのものだ。ただし、彼女は吸血鬼であり、実際は小悪魔のようなものである。
アリアは心をくすぐるかのように、握った手とは逆の手で、口元を隠して小悪魔のように微笑んでいた。
「あなたを取って食べようなんてしないから、安心するといいわ」
「……そこは心配してないんだけど。……家に帰らなくて、大丈夫なのか?」
「今は、あなたが心配なだけよ……」
アリアは触れられたくないのか、少しだけ暗いトーンになったのから察するに、彼女も複雑な事情を持っているのだろう。
陽からすれば、彼女が安心していられるのなら良いが、気が気で無いのなら看病は終わりにしてもらっても良い方だ。
「そう、か……まあ、嫌じゃないなら、好きにしてくれれば良いから」
「ほら、つべこべ言わないで、早く寝るの」
幼い子に言い聞かせるような温かい声で宥めてくるアリアは、こちらを子どもか何かと勘違いしていそうだ。
たとえ、この愛情がレプリカのような嘘であっても、小さく輝いて落ちる水滴だと、陽は思えた。
「……白井さん、おやすみなさい」
「アリアさん、おやすみ、なさい……」
陽は、初めてを体験した。
おやすみ、という知らない明日を迎えるための、魔法の言葉を。
体は疲れていたのか、数秒後に陽は瞼を閉じて、静かに寝息を立てた。
陽が眠りについたのを合図にしてか、部屋の明かりは消え、闇夜の静寂が訪れた。
「白井陽……私は、誇り高き吸血鬼なのに、おせっかい焼きなのよ」
寝静まった空間に呟かれた言葉に、陽はついぞ気づくことは無かった。
今宵、二人の手を繋ぐ姿は、カーテンの隙間から差し込んだ月明かりに照らされている。