32 幼女吸血鬼と迎える新年に、隠し味を添えて
「今年最後のご馳走……すごく豪華だ!」
「ふふ、そんなに慌てなくても、お蕎麦は逃げないわよ」
夕方にはおせちに似たり寄ったりしたものを作り終わり、今は夜ご飯を食べようとしていた。
年の最後を祝うように、テーブルには一輪の花を生け、鮮やかに彩る年越し蕎麦が置かれている。
アリアは余った食材をふんだんに使ったらしく、蕎麦の盛り付けに海老の天ぷら、様々な形でかたどった野菜、かまぼこやだし巻き卵といった豪華な見栄えだ。
またアリアは天ぷらを先に乗せておく派なのか、お互いの蕎麦の上で既に食される時を待ち構えているようだ。
陽としては特にこだわりはないため、準備してくれたアリアの好みが理解出来て嬉しい方だ。
「アリアさん、いつも本当にありがとう」
「何故かしらね。あなたにされる感謝だけは、むず痒さを感じるわ」
現状、陽の好きな食べ物は空白から、アリアの手料理となるほど、この年は終盤だけでアリア色に染まっているようなものだ。
アリアは感謝されたのが恥ずかしかったのか、頬を赤らめながら椅子に腰をかけた。
そしてお互いに顔を見合わせ、今年最後の食卓に手を合わせ、言葉を口にする。
感謝……それは、人が人に、人が自然に、生きる全てに感謝をする行いだ。
陽は箸を持ち、天ぷらと野菜の間を避けて、蕎麦へと伸ばしていく。
透き通るような汁から蕎麦を持てば、乗った天ぷらと野菜から溢れ出た光沢を纏いし麺が姿を見せる。
心からもう一度感謝をし、麺を口にした。
(……なんだ、これは。初めて食べるような、いや、初めての感覚!)
アリアが先に天ぷらを乗せたのは、天ぷらのサクサク感や、もっちりとした衣を噛み切れないとかだと思っていた。だが、本質は違うようだ。
天ぷら、本来であれば油が汁に移り、麺をコーティングしてしまう程しつこいものだと思っていた。
今啜った蕎麦は、様々な盛り付けがされている中で、蕎麦本来のうまみ成分を引き出しつつも、飽きの来ない天ぷらと野菜の甘み成分が凝縮されているようだ。
そして味を引き出しつつも、するりと通る滑らかな喉越し。
極めつけに、全てのうまみを凝縮した汁も相まって、体内に神秘の宇宙を広げている。
忘れぬうちにやってくる口中香は、更なる食欲を刺激してくるようだ。
陽は美味しさを忘れぬうちに、海老の天ぷらへと箸を伸ばした。
一口かじれば、麺の上に乗っていたことを忘れさせる、音が鳴るサクサク触感。そして、内側の海老に纏わりついている二重衣からなるもっちりとした食感。
人によっては苦手である、二つの食感を味わえる天ぷらは、アリアが作ってくれたのもあり、陽は思わずにやけてしまいそうだった。
ふと気づけば、アリアは手を止め、こちらを見てきていた。
「この蕎麦に天ぷら、全てが美味しい。アリアさんには感謝しか湧かないよ」
「ふふ、白井さんが手伝ってくれたおかげよ」
笑みを浮かべるアリアに、陽は思わず目を逸らした。
確かに美味しいのだが、陽からすれば彼女の笑みの方が何よりも眩しく、心に来るものがあるのだ。
視線を戻せば、アリアは箸を静かに置き、水の入ったコップに口をつけていた。
「……白井さん」
「アリアさん、どうしたの?」
「こうして、また来年も、一緒に食べられるのかしら……」
心配するように呟くアリアに、陽はそっと箸を置いた。
「食べられるよ。こんな自分なんかでよければ、アリアさんの手料理をずっと振舞ってほしいくらいだから」
「こんな自分、なんて自分を否定しちゃだめよ。……白井さんが嫌、って言う程、これからも料理くらい振舞ってあげるわよ」
「これは所謂、来年も一緒に居られる約束、かな?」
「ふふ、特別にそう受け取る許可をあげるわ。そうね、来年の抱負を聞くことを引き換えにしようかしら」
小悪魔っぽく言うアリアは、リターンが見合っていないことを理解していないのだろう。
来年の抱負を話すだけで、こんなに美味しい料理に辿りつけるのなら、陽は迷わず答えるのだから。
この後、お互いに来年の予定とかを話しつつ、蕎麦を食べ進めるのだった。
あと少しで日付が変わろうとしている頃、陽はアリアと一緒に、ソファに腰をかけていた。
目の前に置かれた湯呑に、鳴り響く時計の針は、揺れる鼓動と共鳴しているようだ。
「あ、アリアさん……その、寒くない?」
「ええ、心配しなくても平気よ。白井さんがくれたカーディガンで温かいし、お茶もあるから余計よ」
「そ、そっか。ならよかったよ」
心配事の無さに心をなでたいが、陽はそうするにもいかなかった。
現在、アリアの服装……というよりも寝間着姿のせいで、気持ちは居たたまれない程の塩辛さを覚えているのだから。
アリアは、ワンピース型のベビードールを着用している。
肌の露出は控えめではあるが、ひっそりと見える白い肌。そして、白い色のフリルワンピースのベビードールに、胸元が紐リボンという悪魔的な姿のせいで、目のやり場に困るのだ。
彼女が幼女体型なのも相まってか、ベビードールの雰囲気にあっており、隙間からチラリと見える素肌が男心をくすぐるというものだろう。
幼女好きの男性であれば、迷いなくアリアは襲われていたのかもしれない。
陽に襲う動機が無くとも、彼女の姿に心を揺さぶられないわけではないので、こちらの心臓の負担を考えてほしいものだろう。
極めつけにアリアは、羽は出していないが、長い髪を右サイドにまとめた、銀髪の吸血鬼姿となっている。
見慣れた黒いストレートヘアーから、銀髪のセミロングかつサイドにまとめた髪型……それは、今年の見納めにでも、とアリアに誘われているようだ。
自分がアリアに弱いことを悟られているのか不明だが、少なくとも遠慮はされていないだろう。
(はあ……自分は、アリアさんに何て思われているんだろう)
お茶を美味しそうに飲んでいるアリアから、陽は目を逸らすように、そっとお茶を啜った。
「あら、もうそろそろね」
「そうだね。その、アリアさ――」
アリアに言葉を紡ごうとした時、弾ける音が外から聞こえてきた。
静かな空間を遮るような音、打ち上げ花火が上がったのだ。
アリアの姿で動揺して気づいていなかったが、時刻は年越しを迎えていたらしい。
陽はそっと目を閉じて、鳴り響く花火の音、遠くから聞こえる鐘の音に耳を澄ませた。
暗闇の中にも聞こえる温かさ、見るもの全てが嘘ではないと、感覚を持ちし日々への感謝をしながら。
(……アリアさんと一緒に居られますように)
アリアの事も考えて、初詣に行く予定はないので、こっそりと今年の願望を心の中で唱えておく。
そっと目を開けば、アリアがこちらに体を向けてきていた。
深紅の瞳はこちらをまっすぐに見つめてきており、宝石よりも透き通る赤い輝きに飲み込まれてしまいそうだ。
ふと気づけば、アリアはゆっくりと頭を下げ、笑みを浮かべた。
はっとなり、陽も頭を下げてアリアに一礼する。
「明けましておめでとうございます。白井さん、今年もよろしくお願いします」
「明けましておめでとう。こちらこそよろしく。……なんか、アリアさんが丁寧にお辞儀をするのって、むず痒いな」
「あなたは私を何だと思っているのかしら? 主なのだから、普段の口調や振る舞いから想像できないでしょうけど、作法くらいは習得してあるわよ」
「ほんと、どこからどう見ても完璧で、ケースの中の宝石だな」
「その宝石にお世話を焼かれているのだから、あなたは運がいい人ね」
アリアと顔を見合わせて笑っていれば、テーブルに置いていた陽のスマホが小さく鳴り響いた。
スマホを手に取れば、通知がメッセージを表示している。
二人分の名前、ホモと恋羽から連絡が来ていたようだ。
グループではなく個人に打つあたり、二人は変わっていないのだろう。
「あら、そのスマホって鳴るのね?」
「そっか、アリアさんはスマホを持ってないから知らなかったのか」
クリスマスにアリアと恋羽が知り合って以降、この数日間で恋羽から陽を通してアリアに誘いがあったのだ。
アリアがスマホを持っていないのもあり、恋羽からすれば陽は都合のいい仲介人だっただろう。
アリアがスマホを知らないのは今に始まったことでは無いので、陽はそっと画面を操作してホモのメッセージを開いた。
開いた瞬間『あけおめ! アリアさんとイチャついてるかー、このこの』と、ホモが恋羽と一緒に映っている写真をセットで送ってきていた。
「えっと……あけましておめでとう。余計なお世話だ、体調に気をつけて永眠することをお勧めします、と」
「白井さん、ホモさんの事を心配してるのかと思えば、遠回しに冷たいのね?」
「まあ、ホモだからな」
そして恋羽のメッセージを開いた時、陽の手は止まった。
アリアが、どうしたの、と言わんばかりに首を伸ばして見てきている。
恋羽の文言を見たアリアは、分かりやすく頬を赤らめた。
恋羽からは『新年よろしくー! 初心なお二人さんはどこまで進展があった? お人形さんみたいに可愛いアリアたんを食べちゃダメだぞ☆』と意味不明な挨拶が送られてきていたのだ。
また、なぜ『アリアたん』呼びになっているかは不明だが、少なくとも仲は良好なのだろう。
文面を見た陽は、開いた口が恐怖で塞がらなかった。
(何を考えてるんだよ、あいつは!? 食べちゃダメ、っていったい自分がアリアさんに何をする気だと思ってるんだ?)
陽は息を吐き「アリアさんは恋羽になんて送りたい?」と、返信内容はアリアに任せることにした。
返信が終わった後、陽はお茶を飲んでひと息ついた。
一応、父親が来ることは伝えてあるが、改めて時間を伝えようとした、その時だった。
「おっと。アリアさん、大丈夫?」
「少し、疲れている、だけ、よ」
ふらふらした様子で肩に寄り掛かってきたアリアは、疲れがだいぶ溜まっていたのだろう。
溶けるような声で話すアリアは、視点があってないのか、ぼんやりとこちらを眺めてきている。
自分の手に触れる彼女の手は温かく、吸血鬼であっても夜で眠くなっているようだ。
(……まあ、頑張ってたし、仕方ないよな)
正月の準備と言いつつも、彼女は掃除から料理、色々なことを絶えずやっていたのだから。
労うことをしたいのだが、彼女のプライドを傷つけそうで、行動に移しづらいのもある。
陽はアリアを揺らさないようにし、ゆっくりと彼女の背中に腕を回しておく。
「アリアさん、時間は明日もあるし、今日は早めに眠った方が――」
「今日は、もう少しだけ、白井さんと一緒にいたい」
「……え?」
アリアから告げられた我がままに、陽は困惑して動きが止まるのだった。




