31 幼女吸血鬼と年越し前の準備を
時は流れ、一年の集大成である大晦日を迎えていた。
「自分はこれをやればいいんだね?」
「ええ。白井さんの実力が定かじゃないから仕方なく、よ?」
分かっている、と陽は言いたいが、アリアには信用できる根拠と信頼が無いだろう。
現在、アリアと一緒にキッチンに立っていた。
隣に立っているアリアは、手慣れたようにストレートヘアーを後ろにまとめてポニーテールにしている。
そして、なびくように翻されたシンプルな黒いエプロン。
アリアの幼女体型と陽から見た印象も相まってか、幼い雰囲気を併せ持ちつつ、穏やかで謙虚かつお嬢様のような風貌を露わにしているようだ。実際、アリアが主とよく言っているので、お嬢様の雰囲気を醸し出しているのは間違いないだろう。
隣に立っているだけで感じる格の違いは、明らかにちょっとやそっとの才能の上乗せで詰められるものでは無い。
陽は昨日の出来事もあるが、アリアの近くに居るだけで正直ぎこちなかった。
(……意識しないようにしないと)
昨日は大晦日前なのもあって、今日の為の食材の買い出しに、普段やらない掃除をしたのだ。
普段やらない掃除……それが、陽をぎこちなくさせる一つの引き金になるとも知らず。
アリアが棚の上を掃除している際、椅子からバランスを崩して落ちかけたところを助けた。だが、抱きかかえる羽目になったのもあって、昨日はアリアと目を合わせづらくなった事実がある。
男にとって、女の子の可愛らしい顔が近距離に接近するというのは、心臓に悪いどころではない。小さな息遣いや、物理的に近付いたことによる体温の温かさ、その全てが重なった瞬間は時が止まるのと同じと言えるのだから。
陽は見習い紳士であるが、中身は男であり、女の子にめっぽう弱い方だ。
アリアとの手が重なるのすら、実際は心拍数が上がるのを押さえるので精一杯なくらいに。
「うん、切り替えないと」
「白井さん、料理中に気を抜くと危ないわよ?」
「え、あ、うん……そうだよね」
「……もしかして、熱でもあるの? 具合が悪くなる前に、無理はしない方が良いわよ」
心配してくれるアリアの優しさは嬉しいが、昨日の事を気にしていないのは羨ましいものだろう。
ふと気づけば、アリアはひんやりとした手を陽のおでこに当ててきていた。
上目遣いの深紅の瞳に、背伸びをするように伸ばされた小さな手は、心臓の鼓動を加速させるようだ。
「熱はないみたいね」
「と、とりあえず料理を進めようか……」
「それもそうね。あっ、どこか抜けている紳士さんの為に、これを準備しておいたから安心していいわよ」
自慢げに救急箱を見せてくるアリアは、こちらが怪我をする前提で考えているのだろうか。
陽は確かに、救急処置の道具は愚か、ばんそうこう一つ用意していないので、アリアの抜け目ない行動には感謝している。
それでも、少しくらいは期待してほしかった、というエゴが浮き彫りになりそうだ。
(アリアさんもいるし、頑張るか)
小さな会話がありつつも、アリアと一緒に本格的に料理をすることになった。
アリア曰く、おせちは作らないが、似せた物を作るらしい。
議論を唱える気もないので、陽はアリアのやりたいことに従うつもりでいる。また、下手に料理を知らない素人が手を出すよりも、未来を見据えている彼女に託した方が幸せになれるだろう。
アリアとの料理が始まり、陽は不器用ながらも鍋を混ぜたり、指定されたものを切っては焼いたりしていた。
まな板に包丁がリズムよく当たる音、熱されたフライパンの上で踊る食材の声は、二人だけの空間にグルメなシンフォニーを開演しているようだ。
音は甘い誘惑か、それとも食欲刺激する魔の手を鳴らすか、囲む食卓への繋がりを生み出すか、感じる音全てが、人それぞれの空間を。
陽とアリアは、もしもの事も考えて、雑用は陽が担当しつつ、メインと調整は全てアリアがこなす分担でやっていた。
陽は父親が来た時に料理を振舞っているくらいで、普段は料理をしない方だ。ただ、料理が元から出来ないわけではなく、やらないだけである。
そのため感覚を取り戻していくにつれ、リズムはビートを刻むようにテンポを変え、彼女の隣で手を取り舞う、紳士の振る舞いを映し出していく。
ふと気づけば、アリアが横目でチラリと見てきていた。
「あなた、案外できるのね。料理ができないとばかり思っていたわ」
「アリアさん程じゃないけど、これくらいはね」
「人と比べるもんじゃないわよ。比べるのは自分であり、他人は比例に過ぎないのよ。出来ない人や、やらない人から見れば、その小さな積み重ねですら羨ましい功績なのよ」
アリアの言葉は、恐らくごもっともな意見だろう。
陽自身、毎度のことながら自身への評価は低く、他者、今でいうアリアと比べる事だってある。しかし、人と比べることが出来るというのは、自分がその分野でも通用する、という自信からだろう。
たとえ手を伸ばしても届かない距離だろうと、自分という灯がある限り……創作家であっても、紳士であっても、料理人であっても、望みを叶えるために道を歩むのだから。
陽はアリアの言葉をこっそりと心のノートにメモをして、身に着けていたエプロンの紐をしっかりと結び直した。
陽自身、過去を乗り越えたいと思っているが、一歩を歩みだせないでいる。それでも、今はただ、アリアの隣に居られる事に感謝を。
エプロンを結び直したのもあってか、アリアは微笑んで見てきていた。
「言葉ではなく行動に移す……良い心構えね」
「うん。口で謝ることはできても、行動は出来ないからね」
「……にしても、エプロンに着られている感がすごいわね」
これを機に料理を継続してみたら、と言いたそうなアリアに、陽はぐうの音も出なかった。
飴と鞭を何気なく使いこなしているアリアから、おせっかいを焼かれなくなる日が来るのだろうか。
しばらくして、料理を黙々と進めていた時だった。
「おっと。アリアさん、大丈夫?」
「ええ。少しめまいがしただけよ」
アリアが鍋の様子を見ている際、ふらついたため、陽は思わずアリアの腰に腕を回して支えていた。
急に触れてしまったのもあり、鼓動は速まっている。
アリアに出来るだけ触れないようにしよう、と陽は思っていたのもあり、支えたという一つの動揺が札を剥がしてしまったようだ。
アリアの事も心配ではあるが、陽はチラリと時計を見た。
「そうだ。時間も時間だし、足りない物とか買ってくるよ。……その、アリアさんはその間、少し休んでるといいよ。朝からお昼までずっと立ちっぱなしだったわけだし」
「え、ああ、そうね」
アリアが何か言いたそうだったが、陽はそそくさとエプロンを脱ぎ、家を後にするのだった。
クリスマスにアリアから貰ったパーカーを羽織った陽は、軽快な足取りで目的地へと向かって行く。
アリアが隣に居ても、陽に似合うパーカーを選んでくれたそうだ。アリア曰く、質のいい繊維に素材を選んでくれたらしい。また、中身だけじゃなく外見も大事よ、という世知辛いお言葉まで頂いている。
アリアの前では制服か、適当な私服ばかり着ているので、彼女におせっかいを焼かれてしまったようだ。
陽自身、アリアのプレゼントは嬉しいので、着ている間はぎゅっと寄せておく。
「アリアさん、サンドイッチでよかった?」
家に帰った陽は、袋をダイニングテーブルに置き、野菜のサンドイッチを取り出してアリアに見せた。
アリアは何かと小食なので、少なめでも栄養が取れる方がいい、という陽独自の判断で選んだのだ。
また、足りなければ多めに買ったおにぎりを渡せば問題ないだろう。
「ええ、大丈夫よ。お昼をすっかり忘れていたわ……手を煩わせてごめんなさい」
「アリアさんが謝る事じゃないよ。それより、体調は大丈夫?」
義務感でやってほしくないので逸らすように言えば「平気よ」とアリアはソファから立ち上がり、両手をわざとらしく広げてみせた。
時折見せるあどけなさが一番効くのだと、彼女は理解していないのだろう。
幼女体型も相まって、幼い仕草をされて心が揺らされない理由は無いのだから。
お昼を食べるために、陽がアリアの椅子を引いて彼女が座るのを待ってみせる。
「……感情は不器用なのに、気遣いは器用なのよね」
「アリアさん、今、何か言った?」
「いえ、何でもないわ」
アリアがにこやかな様子で椅子に座った時、陽は椅子を押しながら不思議と首を傾げるのだった。




