28 幼女吸血鬼とのゲームに優雅なひと時を
アリアの準備が終わった後、陽はソファに座るアリアと向かいあっていた。
テーブルには、ハートマークだけのトランプが置かれている。
アリアは十三枚のカードを持ち、見やすいように横一列に並べた。
「それじゃあ、分かりやすいように簡潔に説明するわね」
「オリジナルか……楽しみだ」
子どもながらのワクワクする気持ちを抑え、アリアの説明に耳を澄ませる。
アリアの説明を聞くに、今からやる遊びは実にシンプルなものだ。
細かいところを端折れば……プレイヤーは最初に五枚のカードが手元にある。そして、そのうちの四枚は初めにランダムで配られたものだ。
手持ちに固定された一枚は、キーカードと分類される。
このゲーム最大の特徴であるキーカードは、どの数字よりも強い、という理解しやすいハンデが付与されるようだ。
勝負方法は簡単で、選んだカードを出し合って、強い数字が勝ちとなり、五枚の手札が無くなるまで行う。
ちなみに、キーカードを抜いたうちの十一枚から四枚が手札に来るので、キーカードがこの勝負の鍵を握るだろう。
一通り説明し終えたアリアは、用意していた紅茶で喉を潤していた。
「……まあ、説明は以上よ。キーカードは決まったかしら?」
「うん。聞いた時から決まってるよ」
「それじゃあ、私のキーカードはこれよ」
アリアは見せるように、Qのカードを見せてきた。
チョイスを見るだけなら、アリアらしいと言えばアリアらしいだろう。
陽はアリアに渡された残った山札から、一番下のカードを表に向けてアリアに見せる。
「自分のキーカードはAだよ」
「ふふ、あなたらしいチョイスね」
陽は頭にハテナが思い浮かんでいた。
(……手札は、キーカードを除いて、三、五、八、十……見方次第だと、高い数字はアリアさん持ち。でも、勝つのが目的ではない自分にちょうどいい)
そう、どれだけ数字が低くても、使い方次第では最大の武器になるのだから。
陽の目的は、あくまでアリアを楽しませることだ。それはすなわち、自分の勝ちに繋がるも同然。
結果だけを追い求めるのであれば、賭け事にフェア精神は必要ないのだから。
例外に漏れず、ホモが代表例であるように。
陽は手札を見て、そっと息を吐き出した。
今までのアリアの様子から察するに、勝負はオマケで、本質は相手を見抜くことにあるだろう。
(間違いなければ、アリアさんもこれを切ってくるはず)
勝負は始まっているので、ソファに座って深紅の瞳でじっと見てくるアリアの目を、陽も真剣に見た。
「それじゃあ、始めましょうか」
「そうだね。自分はこれにするよ」
「私はこれね」
お互いにカードを裏向きで持ち、テーブルへと手を伸ばして出した。
そして合図は、お互いのアイコンタクト。
カードをめくれば、陽はA、アリアはQという、双方の持ちうる最高火力を出した。
キーカード同士、引き分けだ。
このゲームに同じ数字は無いが、引き分けはある。
アリアは顔を上げてこちらを見ては、笑みを浮かべた。
「……お互いの性格、自分らしさが出ているわね」
陽は息を呑んだ。
アリアに料理……手のひらで踊らされているように思えたのだから。
アリアのティーカップに伸びる手が、余裕の振る舞い、思考を読んでいると伝えているようにすら見て取れる。
簡単なトランプゲームであっても、思考次第ではここまで切羽詰まるのだろうか。
始まって間もないというのに、陽は握った手の震えが止まらなかった。
彼女が吸血鬼だからではない、アリアと一緒に居たつもりだったという、知らない自分が顔を覗かせているから。
陽は一呼吸置いてから、次のカードを悩んだ。
予測であるが、アリアが次は絶対に負けると、陽は確信している。
その時、呟く柔らかな声が、そっと耳を撫でた。
「白井さん、自分らしさは何を指すと思う?」
自分らしさ、それは今の陽が迷っている言葉の一つだ。
過去に捕らわれた自分が抜け出せない、鳥籠という名の牢獄のように。
(……自分らしさ、か)
お互いの関係や捉え方次第では、吸血鬼として、紳士として、はたまた違う答えとしての問いを求めているのか、で意味合いが変わってくるだろう。
陽は肩を落とさないように、表情に柔らかな雰囲気を浮かべ、見上げるようにアリアを見た。
「お父様の言う紳士なら『胸を張って、自分らしくある事が寛容である』ってよく言ってた」
「英才教育かしら?」
「うーん、多分違うと思う」
陽自身、どこまでが英才教育と指すのか理解できていない。
「もしくは、ジェームズ・ミッチェナー曰く『人生とは、真の自分を見つける旅路である。それに失敗したなら、ほかに何を見つけても意味はない』っていう言葉が好きかな」
「あら、作家の名言ね」
「アリアさん、知ってたんだ?」
「そうね。字を書くのが好きだから、色々と読み漁っている時に目についたのよ」
英知とはまさにこの事ね、と楽しそうに言うアリアは、知らない一面を見せてくれたようで陽は嬉しかった。
照れくさそうなアリアは、恥ずかしそうにトランプで口元を隠している。
小さな仕草一つも絵になる彼女に、陽の心は気づけば揺らいでいた。
それからカードを選び終わり、お互いにカードを向き合わせた。
「――私が二で、白井さんが八……私の負けね」
「やっぱり、アリアさんの言葉通りの数字」
「ふふ、キーカードを出したのはお互い様よ」
負けても誇らしげにしているアリアは、この勝負を楽しんでいるのだろう。
陽としては、吸血鬼であるアリアが退屈をしない、というのが尊敬に値している。
彼女がよく、自分とは違う年単位の考え方をしていたので、陽は少なからず楽しませられるのか不安だったのだ。
陽は不思議に思いつつも、カードを二枚回収し、Aから連なる階段状にし、アリアにも見やすいように置いた。
「相手への配慮を忘れない置き方、流石ね」
「まあ、これくらいは……」
うずうずとした恥ずかしさが込み上げてくるようだ。
彼女は隙あれば、こちらの良いところを見ては褒めてくるのだから。また、間違いはしっかりと指摘するので、類を見ないありがたみを感じる程だ。
正しければ人は勝手に集まるが、不正確なものを正すために付いてきてくれる人は信頼を置く者のみ、と言えるくらいに難しいのだから。
「……あなたはどこか抜けた紳士なのに、冷静で温かくて、それでいて人を見捨てようとしない。だから私は、あなたを肯定するし、指摘もするのよ」
「そっか……本当に助かるよ。……アリアさんの、吸血鬼でも人としての価値観をちゃんと見て、幅広い視野に、謙虚さに優しさ、品性ある振る舞いを自分は尊敬しているよ」
「ふふ、お互いにしっかり見ているのね」
「改めて思うと、恥ずかしいや」
甘いわね、と言いたげなアリアだが、小さく微笑んでいるので気にした様子を見せないようにしているのだろう。
自分だけがアリアを見ているとばかり思っていたが、本当に見られていたのは陽のようだ。
陽の場合、ただ単に自分と接してくれるアリアを見ているだけで、アリアの過去、本当のアリアを見ようとしていないのだから。
こちらの事を気にも留めた様子を見せずに、ティーポットから紅茶を注ぎ足しているアリアは、マイペースにも一歩一歩を進んでいるのだろう。
アリアを思うとむず痒い気持ちに、名はあるのだろうか。
陽がアリアを見るたびに思う、高鳴るようで、温かな心拍数の鼓動に。
(……アリアさんを楽しませるのもそうだけど……自分も楽しまないといけないな)
相手の視点に立って見て、改めて理解した考えに、陽は息を吐いた。
アリアも陽の変化を察してか、一息ついた後、軽い手の動きでカードを取っている。
そしてお互いに笑みを浮かべ、次のカードを出し合うのだった。
(残り一枚……自分の最後は十)
勝負は終盤となり、お互いにカードは残り一枚となっていた。
場面には、アリアからQとKが流れている。
現状、アリアが勝ち越しの状況であり、次の一手で陽が勝てば引き分けだ。
陽は音が聞こえるのか、という程に息を呑む。
勝っても負けても、最後に楽しんだ方が勝つ、それがアリアとの勝負だったのではないかと陽は思っている。
主従関係であれば、従者は主を楽しませることに専念すべきだろう。しかし、在り来りな接待を否定し、自分らしさを求めている主ならどうだろうか。
この勝負で感じてきた事が真実なら、アリアは勝負自体を楽しんでいると言い切れる。
それでも、楽しんだまま終わらず、一つの想いを、勝負を通して伝えてもいいだろう。
ティーカップの置く音を合図に、お互いにカードを出した。
めくられた瞬間、アリアの表情に笑みが浮かぶ。そして、小さく手を鳴らして見せる。
「あら、最後の一枚はあなたの勝ちだったようね」
「アリアさんがJを持ってたのなら、自分はこの時点で負けだったよ」
「九と十……まるで、カードは最初からこの運命を望んでいたようね。それと白井さん、なにか言いたい、って顔をしているわよ」
アリアはこちらの心を読んでいるのか、それともちょっと動かした表情筋で気づいたのか。
深紅の瞳で真剣に見てくるアリアに、陽は決意を固めた。
ゆっくりと頷いてから、瞳にアリアの姿を輝かせて収める。
「自分事なんだけど、いいかな?」
「ええ、白井さんの想いを全て聞かせてちょうだい」
「付け言葉かも知れないけど、自分は引き分けにしたかった理由があるんだ。――自分らしくさせてくれるアリアさんと、対等な関係で居たかったから……」
いつの間にかソファから下りて近づいてきていたアリアに、細い人差し指で陽の口はふさがれた。
か弱そうで細いのに、確かな感触と温かさがある、彼女の指で。
笑みを浮かべて近づく彼女の顔は、陽の鼓動を静かに加速させている。
「多く言わなくても、伝わっているわよ。白井さんと遊べて楽しかったわよ」
「……小悪魔め」
今の彼女に送る、最高の褒め言葉だ。
陽の口から離した指を、わざとらしく自身の口に触れさせるアリアに、思わず目を逸らしていた。
羞恥心とかではなく、近くて遠いような、そんな気持ちを感じたせいかもしれない。
陽が目を逸らしていた、その時だった。
(おっと。……アリアさん、表情では平気そうにしてたけど、本当は疲れてたんだよね)
アリアは倒れ込むように、太ももへと頭を乗せてきたのだ。
そして瞬く間もなく、小さな寝息が聞こえてきている。
彼女は吸血鬼であり、いつ寝ているのか分からなかったのもあり、正直内心ではほっとしている。
昼に格別強い、という訳でもなさそうなので、アリアは疲れて眠ってしまったのだろう。
陽自身、アリアが外側に顔を向けて寝てくれたのでまだ安心できている。無理に起こす気は無いのだが、彼女の寝顔をまじまじと見るのは心が痛むのだから。
陽は、ちょっとだけ、と気づけば指が彼女の頬に伸びていた。
指に吸いつくようなもっちりとした感触。それでいて滑らかな肌伝いに、陽は鼻を鳴らした。
(……ほどほどにしないと)
少しだけ彼女の触感を味わった後、陽はローテーブルの下に備えておいたブランケットに手を伸ばした。
そして男の膝枕で眠っているアリアの体に、ふわりとブランケットをかける。
「おやすみなさい、アリアさん。メリークリスマス」
陽の言葉に反応してか、アリアが小さく喉を鳴らすので、陽はついつい頬が緩んでいた。
(さてと、自分も準備しますか。アリアさんが眠ってくれたのは好都合だし)
静かなひと時が訪れたが、幼女吸血鬼とどこか抜けた紳士のクリスマスはまだ終わりを見せていないのだった。




