20 平穏を作るのは気心の知れた仲だけ
熱が冷めた陽は、どうにか学校へと辿り着き、動揺がありつつもお昼休憩まで乗り切っていた。
陽自身、アリアの指からなる口づけだけで火照るとは思っていなかったので、未だに考えがまとまらないでいる。
授業がうわの空になるどころか、窓から空を眺めてしまったほどだ。
ホモでもないのに、窓の外を見て注意を受けるのは、切り替えができていない証拠だろう。
この手を伸ばせば近づく距離にいるアリアとの感覚は、塩辛いではなく、今の陽にとっては器から水を溢れさせる程に満たしすぎている。
満たされた欲は何を求めているのか、自分だって理解できていない。
ただ理解できているのは、アリアに口づけというマーキングをされた事実だけだ。
吸血鬼だから気にした様子を見せないのか、陽が手を出さないから心を試しているのか、全てはアリアの手の中にあるのだろう。
気づけば、陽は息を吐きだした。
「なあ、陽。……一緒に食べてるのはいいんだけどさ、陽がその場にいて、陽がその場にいないんだけど?」
「……あ、すまない。ちょっと考えごとを。てか、誰が幽霊で存在感の無い陰キャ紳士だ」
「うんうん、そこまでは言ってないね」
「仕方ない。恋羽、陽を生暖かい目で見てやるか」
現在、陽はホモと恋羽と一緒に、学校の食堂でお昼を食べていた。
賛成、と恋羽が言って、ホモと共に生暖かい目……口角を上げてニヤニヤした視線でみてくるので、陽は落ちつかなかった。
普段であれば適当に流しているが、今回ばかりはそういかないのだ。
ちなみにホモと恋羽は、今更ニヤニヤした視線で見てきたように思えるが、食堂で集合してからずっとニヤニヤと見つめてきている。
考え事をして息を吐き出した陽よりも、この二人の方が明らかに性格は悪いだろう。
罠だと理解していても、踏み抜かないといけない罠とはまさにこのことだ。
また、先ほどから食堂でご飯を食べている男子諸君からは、殺意や、妬ましい、といった憎悪という名の感情が陽に飛んできていた
「……ホモ、恋羽、どうした?」
「うんうん、愛だね!」
「陽さんや、何か言う事があるんじゃないですかい」
言いたくない、と視線で伝えたとしても、ホモと恋羽は気迫だけでじりじりと攻めてきている。
何気に周囲からの視線が刺さるように、というよりもこちらを見てきている男子諸君らが居る程、陽は注目の的になっていた。
正直、陽自身もなぜここまで責められているのか理解していない。理解していないというよりも、他人として振舞っているだけだが。
学校自体を噂で盛り上げている現在、陽は声を出すことすらしたくないのだ。
ただし、感の良いお二人が悪友に居るので八方ふさがりに近い。
「さあな、何のことだか自分にはさっぱりだ」
「陽、流石に不味い!」
ホモの制止は空を切るように、ある意味で最悪の事態を招いた。
ニヤニヤしつつもお弁当を食べていた恋羽が痺れを切らしたのか、身を乗り出すように顔をじりじりと詰めてきたのだ。
ホモが止めたのは言うまでもなく、恋羽の暴走を未然に防ぐ為だったのだろう。
陽が知らん顔をしたので、後の祭りになってしまったが。
テーブルに手をついて恋羽に身を乗り出されたのもあり、周囲の注目は更に集まった。
ここまで目を逸らしていたが、事の発端はアリアにあるのだ。
恋羽はハッとしたのか、手で周囲に聞こえないように壁を作り、小声で声をかけてきた。
「陽のオーダーメイドで作ったやつ、動かぬ証拠としてアリアさんが身に着けてるんだよね。不思議だよね? 愛だよね?」
「……それは」
「恋羽、陽が困ってるから辞めてやれ。それに、ご飯が喉を通らない連中もいるみたいだしな」
今思い返せば、アリアの誕生日を恋羽から聞いたので、恋羽はある程度は理解しているのだろう。それでも、事実かどうか確認したいが為に、こうして直接話しているのだと陽は感じていた。
ホモが恋羽を椅子に座らせている際、そっと周りを目で見た。
そして耳を澄ませば「アリアさんに恋人がいたのか」や「アリアさんは僕のものなのに」と身勝手な欲望や悲鳴が後を絶たないでいる。
男子生徒がうなだれている理由は、アリアがフリルのリストバンドをつけているのが知られたらしく、瞬く間に噂となって広がってしまったからのようだ。
噂は形を変え、今では恋人がいるとか、真相を探るべくアマゾンの奥地に足を踏み入れようとしたものが居る程に。
更に噂を加速させてしまった原因が、市場には出回らないリストバンドなのもあり、若きものの好奇心を引き立てる香味料となってしまったようだ。
恋羽からは、アリアが袖をめくった際に見えたのが事の発端らしい、と聞いているので陽は内心呆れている。
アリアは吸血鬼なのに肌を表に出すことが多いので、バレるのは時間の問題だったのだろう。そもそもの話、アリアが学校に身につけて行かなければよかったのだが。
女の子が好きに自分を可愛くするのが嫌ではない陽からすれば、他者を汚す言葉が口から出るはずもなく。
「にしても……陽さんがお世話になっている人、っていうのが美少女で有名なあの幼女さんだったとはな」
口調を変えて話すホモは、明らかに内心でニヤニヤしているのだろう。
表情が呆れたようにこちらを見てきても、幼女好きなんだな、と言いたげなのはお見通しだ。
ふと気づけば、恋羽が人差し指を自分の頬に当てて、首を傾げてこちらを見てきていた。
「うーん、陽がアリアさんとかー」
周囲に聞こえない程の呟き声とはいえ、今の陽からすれば困ったものである。
ホモを横目で見ればけらけらと笑っているので、恋羽を止める気は無いのだろう。
恋羽が何を考えているのか理解できないのは元からだが、今回ばかりは本当に恐怖心が湧き出るようだ。
陽はこの寒気が、あくまで予感である事を心の中で祈るばかりだ。
「誰はともあれ……陽、ちゃんとプレゼント渡せてよかったじゃないか。やっぱり、やる時はやる紳士だな」
「うんうん、喜んでもらえてよかったね! これは本当に愛だね」
「ありがとう。……別に、愛や恋愛感情とかじゃないから」
一緒に住んでいるだけだから、と陽は言いたかったが、アリアと自分だけの秘密として心の中にしまっておく。
素っ気なく言った陽を、ホモと恋羽は顔を見合わせていた。




