18 幼女吸血鬼の生まれた日
時は、十二月十日の夜。
陽は夜ご飯を食べ終えた後、そわそわして落ちつかないでいる。
アリアに教わった紅茶の入れ方を行動に移し、椅子に座ってくつろいでいるアリアに紅茶を振舞おうとしているが、陽の心はそこにあらずのようだ。
(……アリアさん、気にしてないのか?)
椅子に座っているアリアは、今日が自身の誕生日だと思わせるそぶりを見せていなかった。また、学校の帰りや、朝挨拶した時も見せていないので、ただ単に忘れているのだろうか。
二人分のティーカップを用意する手は震えるようで、気が気ではなかった。
仮に、アリアの誕生日が偽の情報だったのであれば、この日の為に準備してきた段階で計画は水の泡だ。
また誕生日だったとしても、アリアが他者からプレゼントをもらうのを嫌っている可能性や、プレゼントが趣味に合わない場合もあるのだから。
せっかくのサプライズをして、険悪な雰囲気になってしまうのは、陽としては避けたいところである。
アリアと距離が近い空間で住んでいるとはいえ、気心が知れた仲、と言うのには程遠いのも事実なのだから。
(ひと時の戯れだ。紳士たるもの、我を忘れることなりて、目的に忠実であれ)
父親の教えを陽なりに解釈した言葉を自分自身に言い聞かせつつ、ティーカップに出来上がった紅茶を入れていった。
カップの中で、茶葉は踊るように舞い、香りある湯気を昇らせている。
カップを手に持ってから、アリアの元へと歩を進めた。
陽は動揺した様子を見せずに、アリアに自然な動作でティーカップを差しだした。
アリアは差し出された紅茶を見て、ゆっくりと手に取り、小さく息を吸って香りを堪能しているようだ。
見た目は幼女なのに、振る舞いにお嬢様のような上品さがあるアリアは、幼い頃から教育でも受けていたのだろうか。
「白井さん、紅茶を出すのも随分と様になったわね」
「ありがとう。アリアさんが教えてくれたおかげだよ」
謙遜しなくてもいいのに、と言いたげな様子で見てくるアリアに、陽は笑みを浮かべておいた。
アリアが自然と紅茶を嗜んでいるのを横目で見つつ、ソファ横に隠しておいた紙袋を取っておく。
ソファがあるのはいいが、お互いに使わないのもあり、もはやインテリアと化しているソファに今だけは感謝しておいた。
アリアの方に戻れば、アリアは目線で追うようにこちらを見てきている。
「……白井さん、これは?」
黙って紙袋を差し出せば、アリアは不思議そうな様子で見てきていた。
普通に考えると、目の前で急に紙袋を差し出されれば、何事かと思うのは当然だろう。
陽は人に誕生日プレゼントをあげる、というのをホモにすらしたことがないので、勝手が分かっていないのもある。
渡したら受け取ってもらえるとは思っていないが、あまりにも唐突すぎただろうか。
紙袋に目線を落としてから、じっと見てくる深紅の瞳を見た。
陽は一旦自分の方に紙袋を戻し、少しだけ呼吸をする。
「……あの、今日がアリアさんの誕生日って風の噂で聞いたから……その、日頃お世話になってるから、感謝の気持ちを込めて、プレゼントを」
緊張しているつもりはないのに、探り探りの言葉もあってか、片言気味にしか言葉が出てこなかった。
アリアは陽に呆れたのか、息を一つ吐き出し、持っていたティーカップを静かに置いた。
「私は確かに、こっちだと今日が誕生日ね。話した記憶はないのに、どこの馬の骨が知っていたのか、不思議だわ」
「えっと、もしかして、不快だった?」
「はあ、なんでそうなるの? ……私、人間の誕生日を知らないのよ」
とアリアが言った時、黒いストレートヘアーは、吸血鬼の姿である銀髪になっている。右側に余分な髪がワンサイドでまとめられたセミロングの髪型を露わにし、背中からコウモリの羽を顕現させて。
陽は思わず息を呑んだ。
アリアが自分の前で吸血鬼の姿になるのは予想外で、アリアの機嫌を損ねてしまったのかと思った。
また陽は、人間の誕生日を知らない、と言ったアリアの言葉に引っかかる気持ちがある。
アリアは人間と馴染んで生活しているように見えたが、今まで自分の誕生日を隠し、他者の誕生日を見てこなかったのだろうか。
吸血鬼の誕生日がどんなのかは想像できなくとも、自分がアリアにしてあげられる事はあるだろう。
陽は改めて、アリアの前に紙袋を差し出した。
たとえ彼女が吸血鬼であっても、陽からすれば、一緒の空間に住むかけがえのない住人となっているのだから。
「……白井さん、ごめんなさい。私は、初めての誕生日の経験だから、どうすればいいのか分からないのよ」
「では、アリアお嬢様の初めてを、わたくし白井陽に祝わせていただけますでしょうか?」
陽は姿勢を低くし、右の膝をつき、紙袋を持った左手をアリアの前に出しつつ、右手を自身の胸元に当ててみせた。そして、傍から見れば下手くそであろう柔らかな笑みを浮かべる。
これは、今の自分ができる、アリアへの精一杯の敬意の証明だ。
アリアは黙ったまま、小さな手で紙袋に手を伸ばし、静かに受け取った。
陽の顔を見てか、深紅の瞳はうるりとした輝きを見せる。
アリアは変わらない様子であるが、羽は正直なのかふわふわと小さく羽ばたいていた。
「白井陽、私の誕生日を祝ってちょうだい」
「はい。今も尚祝っておりますが、敷地をあげた最大限の明るいお祝いを致しましょうか?」
「……気持ちだけで充分よ。というか、本当にやりかねないわよね?」
「今すぐにでも手配はできます」
物価が傾くくらいのお祝いなら出来るが、どうやらアリアはご所望ではないようだ。
父親の力があれば、国一つ動かす盛大なお祝いも出来るが、陽自身そこまでやる気はない。
ふと気づけば、アリアは呆れた様子を見せていた。
「絶対にやめてちょうだいね? 私は吸血鬼なのよ?」
「承知いたしました」
「後、堅苦しくしないで、いつもの白井さんでいいわよ、まったく」
陽は紳士の振る舞いをやめて、アリアの近くに椅子を近寄せた。
椅子に座ってからアリアを見れば、アリアは渡した紙袋に興味を示している。
「……中身を見てもいいの?」
「うん。一緒に過ごしてくれるアリアさんへ、自分から送れる心程度のプレゼントが入ってるから」
「あなたが選んでくれたのなら、私は安心しているのよ」
そう言ってアリアは、小さな手で紙袋を丁寧に開いた。
陽は中身を知っているから何も思っていないが、中身を知らないアリアはどんな気持ちで見ているのだろうか。
陽としては、アリアから安心されていることを再度確認できたのもあり、正直安堵している。
一緒に住んでいるとはいえ、警戒されている、実際は無理している、など色々な思考を巡らせてしまっていたのだから。
ふと気づけば、紙袋を開けたアリアは、手を伸ばしてごそごそと中身を漁っていた。
そして紙袋から手が見えれば、アリアの小さな手のひらより少し大きめな円状の物が姿を現した。
「これは?」
「ああ、それは日焼け止めクリーム。ハンドクリームもいいかなって思ったんだけど、アリアさんは吸血鬼だから、こっちの方が実用性あるかなって」
「……見ればわかるわよ。そうじゃなくて、ケースのメーカーを見たことがないのよ」
「あー、オーダーメイドです」
「あなた、いい意味で抜けているわね。本当に高校生?」
アリアに疑われているが、陽は正真正銘の高校生だ。
ただ、そんじょそこらの学生とは住んでいた世界が違うだけの、一般的で、普通の学生である。
アリアは日焼け止めが気になったのか、じろじろと見ては警戒している様子だ。
アリアにあげた日焼け止めは、市販ではまず手に入らない代物だ。
ハンドクリームの用途を踏襲しつつ、水をはじいたり、日光からダメージを防いだりと、一般の人間が使いづらい科学配合となっているのだから。また、香りはしつこくなく、日常生活に使用しやすいものとなっている。
アリアが日頃使っている日焼け止め自体、人間の世で見たことがないので、吸血鬼専用の代物だろう。
陽はちゃっかり成分を把握し、オーダーメイドとして上品の物を用意したのだ。
これくらいの事をしなければアリアの持ち物に敵わないあたり、吸血鬼とは恐ろしい世界だろう。
「ふふ、大事に使わせてもらうわね」
「使ってくれるのは嬉しい限りだよ」
「……あら? もう一つ何か入っているようね?」
アリアは紙袋の奥底に入っていたもう一つの箱に気づいたようで、手を伸ばして取ろうとしていた。
陽としては、アリアが取ろうとしている箱こそが本命なので、部屋に帰ってから気づいてほしかったと思っている。だが、アリアが気づいたのもあり、まあいっか、と内心で完結しておいた。
アリアが紙袋から取り出せば、アリアの手の平よりも少し大きめな、白いリボンが付いた青い箱が姿を見せる。
外装を悩んだのだが、露わにするよりも包んで渡した方が良いと思ったので、陽のセンスで青い箱になったのだ。
アリアがこちらを見て「開けてもいいの?」と聞いていたので、陽ははにかんだ表情をしてうなずいた。
アリアは陽がうなずくなり、小さな手でリボンを丁寧にほどき、箱のふたを開けた。
その中には、上下に左右対称で控えめに付いたフリルに、中央に蝶々結びされた赤いリボンの付いた物が正体を顕現させる。
「リストバンド……?」
これこそ陽がアリアに送りたかった、白いフリルを主とした、赤いリボンの先が少し伸びた――陽デザイン、フリルの付いたリストバンド。
アリアが気に入るかは分からないが、陽の中では思いつく最高のプレゼントだと自負している。
アリアは今でも確かに可愛いだろう。余計なお世話ではあるが、お嬢様かつ美少女であるのを考えて、普段身に着けていても問題ないデザインにしつつ、主である威厳を保てるアクセサリーを考え抜いた一品だ。
上品なアリアの振る舞いに態度、合わせ持った謙虚さに冷静さ、そして底知れぬ優しさの塊である彼女を形作るように。
白と赤の目立つ組み合わせではあるが、アリアは元から目立つ容姿なので、一つの花を添えると考えれば良いものだろう。
「アリアさんに似合うと思ったんだけど……お気に召さなかった?」
アリアは首を横に振り、小さな微笑みを浮かべてこちらを見てきた。
「いえ、初めての誕生日プレゼント、凄く嬉しいわ。服はブラウスとかスカートが多くあるけど、こういうアクセサリーは無かったから新鮮な気分よ」
「喜んでもらえたようで何よりだよ」
「あの日に会えたのがあなたで良かったわ。ありがとう、白井陽」
「プレゼントするのは……一緒に過ごしてくれるアリアにだけ、だから」
小さく微笑むアリアにむず痒さを感じ、消え入る声で『だけ』のお返しをしておいた。
プレゼント、という言葉に沢山の意味を込めてしまったが、アリアなら理解しているだろう。
同じ空間で一緒に過ごしてくれる、母性溢れるようで、陽ではなく自分を見てくれるアリアなら。
ふと気づけば、アリアは箱からフリルのリストバンドを取りだし、自身の胸元に両手で包むように、幸せそうな笑みを浮かべて引き寄せていた。
少し首を傾げ、こちらを見て口角を緩めたアリアは、小悪魔のようで今の自分にとっては塩辛いようだ。
陽は我慢できなくなって、椅子から立ち上がり、ティーカップを手に取った。
突然の行動にアリアは驚いたのか、目を丸くしてこちらを見てきている。
「……紅茶、冷めたから入れ直してくるよ」
「あら? あなたの心に薪でもくべちゃったかしら?」
「……自分は、アリアさんと過ごしてから、ずっと温かいよ」
「……馬鹿。本当、どこか抜けた紳士ね、陽は」
紅茶を入れ直している陽は、アリアが小さく呟いた言葉についぞ気づかなかった。
(……受け取ってもらえてよかった)
偶然とはいえ、アリアといられる日々に退屈を感じたことは無い。心に、小さな消えない灯が残り続けているように。




